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クリエイターという変な人たち、ありがとうね
こんにちは。満腹おにぎり太郎です。
試験が終わり、この土日で心身ともにリフレッシュする時間をもちました。
がんばったり我慢した分だけご褒美があると、人生が輝いているというか、生きている実感、自分の人生が動いて生き生きとしていることをシミジミと感じます。
特に少し前の私は無駄に頑張りすぎて疲労困憊な状態が続いていたので、これが正しい達成感なのかと齢25にして感動しています。(肝心の成績は3月あたりまでお預けです…)
そんな学生生活における心の支えが、創作活動です。
私にとっては音楽と文章がそれです。
音楽(特に歌)に関しては先生が存在して学びながら得てきたものがあり、文章は最近ちまちまとnoteで書き始めた程度ですが、元々書くことは苦ではなく、むしろ楽しく興味のあることの一部でした。
今回は、様々なジャンルの芸術家や創作的活動を行っているクリエイター、特にここでもの書きを行っている皆様にとって希望になるような話をしていきたいです。
私の人生において感動を与えてくださった創作者たちへの感謝の想い密度100%です。
変な人でありがとう
失礼にとらえられてはいないでしょうか。
これは最大の誉め言葉で、唯一無二のクリエイターであるあなたが作り続けることで、あなたの作品で心が動いた誰かが救われるのです。
つらい時もあるかもしれませんが、これからも作り続けましょう。
「ありふれていたり、誰のためのものかわからないものしか私は作っていないのに、なぜそう言うの」かって?
ジャンルを超越した『あなた』の人柄、生き方に心が動くからです。
創作のジャンルというものは、あくまで記号やぼんやりとしたルールの枠組み(例えばエッセイもの、ノウハウ、教育系などなど)です。
そのルールの中であなたの持つ知識やことばの選び方をすることで、あなたの人柄が見えてくることがあります。
そしてあなたの美的感覚が伝わってきます。
つまり、ジャンルがあなたの生き方の上に立っているのです。
それが読者に共感を与えたとき、作品の深層にいる『あなた』を見つけて共感したとき、何が起こるか。
私の場合は読んでいて「好き」を感じたら、生きる希望が湧いてきます。
基本的に私は己の成すことに自信がないです。
歌うにしてもものを書くにしても、「きっと万人受けじゃない」が強く存在します。
そんなときに偶然「変なものを作る人」「変なものに価値を見出す人」「変な人生経験をしている人」に作品を介して出会えることが、ものすごく幸運なのです。
「きっと万人受けじゃない」の反例が生じ、結果的には自己肯定するプロセスに繋がり、創作の扉が大きく開いてゆくのです。
変でいいけどさ
かといって、敢えて狙った変でいることは避けていただきたいです。
そんなあなたは見たくありません。
あなたが本意でない「変」をすると、読者(≒ファン)はすぐに察知します。
本意でない「変」をもとに獲得した読者を増やしていくことは可能ですが、本意でなくする理由は何でしょう?
もし「変」を演じるにはそれをする価値があるとき、期限を決めての方がいいかもしれません。
誰のための自分ですか?あなたのためです。
読者は変なあなたが好きなのではなく、あなたがあなたでいるのが好まれるのです。
さいごに
なぜでしょう、変に説教臭くなってしまいました。
しかし、特に年の浅いクリエイターによくあると思うのですが、己の無価値さを嘆いて創作から離れたり、自傷的になってしまうのを度々見かけて、それをもとに文章を書いてみたくなりました。
恐らくあらゆるクリエイターが考えたことのある、己の価値について。
こんな切り口でいいのかわからなくなりましたが、ひとまずまとめると『あなたの思うがままに、あなたらしさはあなたが感じて』というところです。
どうかあなたの健康な創作生活が続きますように。
久しぶりに文章を書いたので、とても粗っぽいものになってしまいました。
ひとまずここで投げさせていただきます。