ヴァーチャル神保町勉強会15回目 『分解の哲学』を読んで自然とのサイクルを考える
こんにちは。センケイです。
今回は初めての課題本会になります。
幸い、自分がこの本に惹かれたのと同じように、ご参加のかたがたもこの本を面白いと言ってくださり、実りのある課題本会になったのではないかと感じています。
さて、予告当初から自然とのサイクルと考える会と銘打っていましたが、さて、日常に身近な自然とはどんなものが考えられるでしょうか。
最初にピックアップいただいた話題は、食を丁寧に取ること、という話題です。これは1章の後半で登場するものですね。今日になって改めて気づいたのですが、考えてみれば食というのは、まさにさっきまで生きていたものを取り込むという意味で、日常で最も濃い自然との関わりかもしれません。
この本が疑問を投げかけているのは、はたして私達は食の主体たりえているのか、という点です。現代社会、国家、あるいはテクノロジーの集合体というものが、隅々まで商品化され、食料もまたその一部に組み込まれてくるのであれば、私達の食はもはや生産ラインの末尾に付与されたものでしかなくなるわけです。
これに対し、食事に時間やエネルギーをかけることで、ただちに主体になるというわけではないものの、一定の自律性は取り戻され、「食べることは回復する」というわけです。
また、この本が総じて面白い点は、システムが循環されるにあたり、腐敗の重要さが強調されている点です。インターネットや電気機器、巨大な施設など、いい意味での「腐敗」ができないモノの数々は、循環を妨げ、ひいては持続可能性も損なってしまうぞ、というわけです。
できれば自然の力で腐敗させたい。そうでなくとも、中央集権的なものではなく、ありとあらゆる「人々の群れ」の力で分解ないし修理されるようにしたい。それが、この本の目指すゴールと言えそうです。ハート、ネグリがいうように、市場でも「公」でもないところにモノの帰属を帰そう、というわけです。
なお、おそらく様々な人々の群れを指すのであろう「マルチチュード」という言葉は、ぱっと調べた所、下記サイトによる説明が分かりやすかったです。
http://www.kyoto-academeia.sakura.ne.jp/index.cgi?rm=mode4&menu=mogi&id=67
さて、この視点を踏まえた上で盛り上がったのは、インターネットにおいていい意味での腐敗はあるだろうか?という話題です。
SNS での関係であれ、Web サイトといった構築物であれ、形式上は固定化され、腐敗が難しそうなしろものに見えます。
しかし実は考えてみれば、そこには実際には様々な薄まりや、これに対する修理、そして熟成があるのではないか。こうしたご意見が上がってきました。
インターネット上での関係といえどやっぱり知らないうちに疎遠になるものだし、メンテナンスも必要ということ。
そして、疎遠になった先に、ある意味ではむしろいい関係になる場合もあるということ。などなど。
関係性というのは不思議なもので、ふぁぼりあうようなあっさりした関係が一番良いという場合もありますし、インターネットはある意味ではそうした薄まりおよび薄まりによる熟成を促しているのかもしれません。
では、Web サイトなどのアーキテクチャーの場合はどうでしょうか。
一つ上げていただいたのは、中古品市場の話題です。
1円で売られている本は、読んでみるとその本の価値が本当に1円分しかないということはないでしょう。これは、本の価値が金銭を越えた別の価値を熟成させていることに他ならないのかもしれません。
あるいは分かりやすく、むしろ金銭的価値を高めている中古の本。時間の経過そのものが熟成させたと言えるかは分かりませんが、ある種の価値の熟成は確かに起こっているように見えます (個人的にこの話題で最初に思い浮かべるのは、本ではないのですが『スーパードンキーコング2』のサントラですね)。
個人的には、昔 岡田斗司夫さんの講演会に馳せ参じたときに、「中古のウォークマンの中にはすでに誰かの曲が入っていて、そのことが新品以上の価値になる」といった内容の話題があったことを思い出します。
あるいは、mixi というサイトも、変容してまた独自の意味を熟成させていることでしょう。
ともあれ、インターネットにはインターネットの、腐敗、熟成、分解、再生もまた有り得そうだということを実感として得ることが出来てきました。
なかなか本の中の話題が豊富で語り尽くせないところも多いので、同じ著者の他の本をピックアップしつつ、ここで話せなかったこともまた話せる機会を設けたいと思いました。
具体的には、8月17日の回あたりで、『給食の歴史』会をやり、そのときにお話できたらな、と考えています。お楽しみに。
個人的な関心としては、『老化はなぜ進むのか』において紹介される、自分はがん細胞だと自覚した細胞が健気にも自滅する話や、『複数性のエコロジー』において紹介されるコンクリートという環境の役割なども関連させて考えたくなりますが、長くなりますので記事としてはこのあたりにしましょう。 (最後にもう1つだけ挙げるとすれば、『分解の哲学』において、親のシャケが最期に生まれた川に戻り、子どもたちの生きる環境のために自らの身体を捧げる話は涙なしには語れません…!)
それでは、今回もありがとうございました。
また、巡り巡るサイクルのどこかでお会いしましょう。
参考文献
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3305
藤原辰史 著, 青土社 2019
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000911992012.html
アントニオ・ネグリ, マイケル・ハート 著, 水嶋一憲 監訳, 幾島幸子, 古賀祥子 訳 NHKブックス 2012
http://www.kyoto-academeia.sakura.ne.jp/index.cgi?rm=mode4&menu=mogi&id=67
最終アクセス: 2020/07/13
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000194623
近藤祥司 著, 講談社 2009
http://www.ibunsha.co.jp/books/978-4753103355/
篠原雅武 著, 以文社 2016