砂漠で水を汲む
(4)
あざやかな手並みで暴漢たちを片付けた美少女は、ゆっくりとこちらに歩いて来た。
少女はぼくのそばにしゃがみこむと、救急セットを取り出して治療してくれた。回復液をかけ、包帯をぼくの足に巻きつける彼女の黒髪のあいだから、ネコのような獣耳が二つ顔をのぞかせていた。
「ずいぶんやられたね、間に合ってよかった」
「あいつらは?」
「さあ、面白半分で他人を襲うプレイヤーキラーならいいんだけど」
体力が回復してお礼を言うぼくに彼女は小さくうなずき、魔法使いがかぶるような茶色のローブを取り出すとぼくに手渡した。
「街中ではこれを着てるといいよ。正体がバレにくいから」
少女がローブをかぶると、彼女の頭上に表示されていた《さらまんだ》というハンドルネームが消えた。
「正体を隠す必要、ありますか?」
「きみは砂漠の神殿で何かを手に入れたんでしょ? それを狙ってくる人たちがいるかもしれないって、考えないのかい?」
「どうしてそれを?」
「Nくんに聞いたよ。さあ、安全な場所へ行こう」
彼女がたたたと走り始めたので、ぼくも彼女の後を追って倉庫街を駆けた。
「Nさんのこと知ってるんですか?」
「うん、昔からのゲーム友達。きみのことをサポートしてほしいって言われてね」
「助かります」
「どれだけ役に立てるかわからないけどね」
人通りの多い場所まで来て、ようやくぼくたちは立ち止まった。他のプレイヤーたちが会話をしたり、ショッピングをしたりしている様子を見るとホッとした気持ちになった。
彼女はぼくの周りをくるくる歩き、それからぼくの顔をじっと見た。
「取り立てて変わったところはなさそうだねえ」
「さっき息子と一緒にプレイしたんだけど、特に変わったところはなかったです」
「ふーむ。じゃあ、昨日きみが行った砂漠へ案内してもらおうかな」
ぼくとさらまんだはバトルフィールド行きのシャトルに乗り、昨夜の記憶を頼りに砂漠の中心部へ降り立った。
白く輝く太陽の光と、波のようにうねって地平線まで続く砂丘の他に、あたりには何もなかった。
たしか太陽が真正面に見えたはずだ。ぼくはマップと太陽の位置を見比べながら、ダズとともに砂の上にひざまづいた場所を思い出そうとした。
砂の上を風が渡っていき、砂塵が宙を舞って、太陽の方へと吹き飛ばされていった。風は止むことなくぼくたちの間を吹き抜けていった。
「砂漠に、こんな風吹いてたっけ?」
「いや」
ぼくとさらまんだは顔を見合わせ、それから風が吹く方へと走り出した。
ローブをかぶって走るぼくたちは砂漠の民のようだった。真っ青の空に輝く太陽に焼かれながら、砂の上に濃い影を踏んでぼくたちは風を追った。
「いつからVTuberをやってるんですか?」
「2年くらい前かな。ゲーム実況がほとんどだけど」
「ゲーマーなんですか?」
ローブをかぶった美少女に並走しながら、ぼくはたずねた。
「うーん、ゲーマーっていうほどやりこんではないけど、昔からのゲーム仲間がいて、彼らと一緒に遊ぶためにいまもゲームをやってるようなところがあるね。まあ、オフで会ったことないから、お互い顔は知らないんだけど」
「Nさんも?」
「え、うん。リアルでは会ったことないねー」
風を追って走るぼくとさらまんだの前に、こんもりとした小さな緑の森が見えてきた。
「オアシスだ」
「この砂漠にオアシスなんてあったっけ?」
「あれもアップデートで追加されたのかな?」
光の加減で緑色にも見える澄んだ池の周りに、生い茂った木々が涼しげな影をつくっていた。木陰に座ってパイプをくゆらせる商人も、木につながれたままくちゃくちゃと口を動かすラクダの姿も見当たらなかったが、そこは砂漠を渡る隊商が水とひと時の涼を求めて休む小さな安息地そのものだった。
「現実の世界では行ったことないけど、ここは本物のオアシスみたいに感じる」
「たぶん本物のオアシスなんだよ、ここは」
あたりを見渡しながらさらまんだが言った。
「本物?」
「砂漠にぽんと池と木々を配置したんじゃなさそうって意味。植生とか、地下水脈とか、全部計算してここに置いてるっぽい」
「たかがゲームで、そこまでする?」
「スパコンを使えば地球全体の気象変動や地殻変動をシミュレートできるからね。最近はコストが下がって企業のR&Dでも普通に使われてるよ」
さらまんだは池のそばにしゃがみこみ、水を手ですくってみせた。
「ほら、見てよ」
さらまんだの手のひらからこぼれる水のなめらかさに見とれていると、そっちじゃない、こっちと池のなかを指さされた。
「池のなかにメダカみたいな小さな魚がいるでしょ、あれはオアシスにやってくるラクダのフンを食べる種だよ。てきとーに置いたグラフィックじゃない」
「詳しいね」
「いま画像をキャプチャーしてググった」
ぼくは池の底を泳ぐ小さな魚の影を追った。近づこうとすると、ピンッと遠くに逃げていく。ぼくは実家で父親が飼っていたメダカを思い出した。
「もしかしたら、このオアシスだけじゃないかもしれない」
「何が?」
「これはまるで、世界を一個まるごと創ろうとしているみたいに見える。地球によく似た惑星の環境を」
「私たちが開発したのは、環境だけではないよ」
オアシスの池が揺らぎ、波紋のように小さな波が同心円状に広がった。ボイスチェンジャーで変成したその声にぼくは聞き覚えがあった。
「ダズ?」
「いま、私たちって言ったね。きみはこのゲームの開発チームのメンバーなの?」
さらまんだが水に話しかけると、池はそよ風に揺れるようにふたたび波打った。
「私たちはこの世界を創り出した。ネットワークゲームの内部ではあるが、この世界は循環し、互いに連環した、一つの生態系として存在している。そして私たちは世界をただ再現するだけでなく、この世界が秩序を保ったまま発展するための意思を創造したんだ」
「増大したエントロピーを低い状態に戻す力ということかな?」
「そう。孤立系では非可逆過程を元に戻す力が必要だ」
「何のこと?」
「彼らはね、世界と一緒に神を創ったんだよ。どれだけ変換効率を上げてもエネルギーは利用するときにロスが生じるから、閉じた系の内部のエネルギーの総和は必ずゼロに近づき、いつか世界は停止してしまう。だから無からエネルギーを生み出す存在が必要なんだ」
オアシスの池に生まれた波紋は遠くへ広がり、ゆっくり消えたかと思うと、またどこか一点から新しい小さな波が生まれ、広がった。
「昨日この砂漠の地下で触れたもの、あれは何?」
ぼくは池の水に向かってたずねた。
「この世界、意思、そしてナーミを私たちは創り出した。ナーミは非常に実験的な存在で、いわば新しい生命なのだが、それをきみたちに守り育ててほしいと思っている」
「なぜぼくたちが?」
「きみたちだけというわけではない。1,000万分の1の確率で、ランダムに選ばれたプレイヤーたちに託している。きみたちに託したのはNo. 40だ」
池の波紋が静かに広がり、その中心部分から白金色に輝く輪郭が浮かび上がると、すうっと宙を飛んでぼくの腕のなかに収まった。それはふわふわしてやわらかく、だがはっきりと存在していた。
風がざあっと吹き過ぎていき、それっきり何も聞こえなくなった。ぼくとさらまんだは顔を見合わしたまま、しばらく黙っていた。ぼくは赤ん坊をあやすように、腕のなかでゆっくり明滅するふわふわした何かを抱きかかえながら、さらまんだを見た。
「ぼく、もう子供いるんだよな」
「な、なんだよう」
さらまんだはぼくに見つめられて後ずさった。
「さらまはさー、結婚してないからさ、子育てとかよくわかんないし、オタクにそういうのは無理じゃないですか?」
「じゃあ、Nさんに相談するかなー」
「や、Nくんも無理だと思うよ」
「だったらどうしたらいいんですか、これ」
「いやー、そう聞かれても……まいったねえ」
遠くの空に、紫色の雲が広がってゆくのが見えた。ストームがこのあたりに迫ってきているのだった。
「とりあえず安全なところへ行きますか」
「そうだね、どこが安全なのかよくわからないけど」
ぼくたちは振り返り、マップを開いてストームの発生状況を確認すると、安全地帯に向かって走り出した。
ぼくの腕のなかにあるふわふわしたそれは、呼吸をするように膨らんだりしぼんだりを繰り返しながら、白金色に輝いて眠り込んでいるように思われた。
(つづく)
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