なぜ日本人は『半沢直樹』に魅了されるのか
自己紹介
ご覧頂きありがとうございます。新卒で食品会社に就職し、営業職を経験したのちにアメリカの子会社に赴任。10年間超海外駐在しています。
自分自身への備忘録も兼ねてアメリカでの体験や自身の考えをnoteに残していきたいと思います。同じ境遇やこれから海外に挑戦したいという方にとって少しでも参考になれば幸いです。
勧善懲悪へのあこがれと現実社会との対比
なぜ『半沢直樹』は多くの日本人の心を掴み、あれだけのヒットを記録したのでしょうか。そこにはいくつかの理由があると考えます。
まず、日本人が『半沢直樹』で描かれているような勧善懲悪ストーリーを好む理由について考えてみたいと思います。
歴史的にも、日本の文化には正義を貫くという美徳がDNAレベルで根付いていると感じます。『アンパンマン』や『水戸黄門』のような作品が古くから愛される理由も、その一端を示しています。勧善懲悪は、視聴者にとって心地よい満足感をもたらし、社会の不正や悪に対する憤りを共有する手段となっていると感じます。
そして、『半沢直樹』は、その勧善懲悪のテーマを現代のビジネス社会に持ち込んだことが画期的であったのだと考えます。
しかし、『半沢直樹』が人々を魅了するもう一つの理由は、現実社会ではなかなか見られないストーリー展開や結末にあると考えます。
日本のビジネス社会では、稟議システムに代表されるような意思決定の仕組みにより上層部が連帯責任を負うことが一般的です。これは、判断ミスや不正を未然に防ぐ仕組みではありますが、逆にいうと判断ミスや不正が起きてしまった時には連鎖的に承認した上位職者まで責任が及んでしまう仕組みともいえます。
そのため、そうなってしまうと上位職者は保身のために行動し、自身の過失を認めてまで過ちを正すよりは、解釈を変えて(上位職者にはその権限が与えられている)問題を正当化したりすることもあります。
文化や社会システムによる影響
さらに、日本社会は「恥の文化」であり、明確な善悪の指標が決まっていないものに関しては、周囲がどう認識するのかということを善悪の評価基準とする傾向が強いと感じます。「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」という表現もそれをよく表してい流と思います。
「赤信号・・・」ひとつとっても、みんながそう考えている中で半沢直樹がいくら赤信号では渡ってはダメだと言おうとも、何をそんなことでいちいち騒いでいるの?とはなってもそれはダメだねとはならないはずです。ドラマの中での頭取のように自身の進退をかけて過ちを正そうというケースは極めて稀なのではないでしょうか。
また、日本のビジネス社会においては、人材の流動性が低く、半沢直樹がいうところの「倍返し」に失敗した際のリスクがあまりにも大きいという特徴があります。
また人事評価の透明性も低く、公益通報者保護法があっても機能しにくいという現実が、問題や不正があっても後の処遇を恐れて見てみぬふりをせざるを得ない状況を作り出しているのではないでしょうか。
実際、半沢直樹も不本意な出向という処遇を受けましたが、それを不当な処遇だとする明確な評価が下せないのが日本の評価システムだと感じます。
最後に
これは日本だけの特徴かということそんなことはなく、世界中どこでも程度の差こそあれ同じような特徴はあると思います。
アメリカの場合は公益通報者保護法がある程度機能していて、内部告発した社員が堂々といつも通り出社しますし、会社としても処遇に対して極めて慎重にならざるを得ません。それこそ「腫れ物に触る」くらいの慎重さが必要です。それは行き過ぎなようにも感じますが、それくらいに雇用者が守られているというか、不正を社会システムで炙り出すという意思を感じます。
しかしながら日本においては文化的にも思想的にも社会システム的にも、実際には『半沢直樹』のようなことは極めて稀で、それが行き場のない不満を抱える多くのビジネスパーソンの心の隙間を埋め、これだけのヒットに繋がったのではないでしょうか。