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無駄が経済を回している!?

自己紹介

ご覧頂きありがとうございます。新卒で食品会社に就職し、アメリカの子会社に赴任。そのままアメリカで転職し駐在12年目に突入!

自分自身への備忘録も兼ねてアメリカでの体験や自身の考えをnoteに残していきたいと思います。同じ境遇やこれから海外に挑戦したいという方にとって少しでも参考になれば幸いです。

はじめに

私がアメリカで働き始めた時に感じた違和感の一つに「無駄が多い」ということがあります。

日本人としての感覚では、1人でこなせるような範囲の仕事を、アメリカでは複数人で分業していることがしばしばあります。

例えば、レストランに行っても一人で回せるであろう席数に2〜3人のウエイターがいて、ウエイターの方が客より多いこともしばしばでした。

アメリカの「無駄」と物価の関係

ジョブ型雇用のアメリカでは仕事の範囲がしっかりと定義されていて日本人のそれと比べると非常に狭いことが一般的です。

結果として、範囲としてはさほど広くない業務により多くの人々が雇用され、それが価格に転嫁され、物価が高くなっているように感じます。
もちろん、業務範囲が狭くなっている分、深みがあるのだとは思いますが…(正直それも感覚的には感じません)。

このような日本人にとっては一見「無駄」に見えてしまうコストが、消費者に負担として跳ね返ってくるのです。

日本の行き過ぎた「無駄を省く」文化

一方で、日本はアメリカとは正反対です。
日本文化には「無駄」を良しとしない精神が根付いており、効率性を最優先に考える傾向があります。

無駄を省き、自助努力や時には自己犠牲の精神で完遂しようとする姿勢が、個々の社員に期待されていると感じます。結果として、仕事の範囲が拡大し、最終的には膨大な量の業務範囲を抱え込むことになります。

この「無駄を省く」という姿勢は、物価を抑え、経済全体におけるコスト削減に貢献しているかもしれません。しかしその反面、時には「やりがい搾取」とも言われるような状況に陥いることさえあります。

過剰な業務負担の中で、社員は知らず知らずのうちに自己犠牲を強いられ、それが物価の維持や企業の利益に繋がっているのです。しかしその結果、給与は上がらず、経済全体の発展も停滞という合成の誤謬に陥るリスクがあります。

「無駄」の適正なバランス

適正な範囲の無駄というのは、ある種のバッファ(余裕)とも言えます。
そして過剰な効率化や無駄の排除は、失敗を許さない環境を作り出します。
そういう意味ではアメリカにおいてはそもそも「無駄」とすら認識していないレベルなのかもしれません。

例えるなら、「遊び」のない車を運転するようなもので、非常に高い運転技術が求められる状況です。もちろんそれをうまく乗りこなせれば非常に強力な武器となることは容易に想像ができます。そしてそれを突き詰めて成功したのがトヨタの「かんばん方式」なのかもしれません。

ただ少しでも操作を誤れば大事故に繋がる恐れがあるように、ミスが許されない環境は精神的なプレッシャーを増大させます。

一方、適正な範囲での「無駄」が許容される職場では、社員が挑戦し、時に失敗する余裕があります。その余裕があるからこそ、クリエイティブなアイデアが生まれ、長期的には組織や経済全体の発展に繋がるのではないでしょうか。

そう考えると、無駄の存在は決して悪ではなく、むしろ経済を回すための潤滑油とも言えるのではないでしょうか。

最後に

日本の「無駄を省く」文化と、アメリカの「無駄を許容する」文化を比較すると、どちらにも利点と欠点があります。しかし、日本の長きにわたる経済低迷の理由の一つには「無駄を許さない」風潮が強くなりすぎていることがあるようにも感じます。

無駄を適度に取り入れることで、組織や社員に余裕を持たせ、失敗を恐れず挑戦できる環境を作ることが、今後の日本経済や働き方にとって重要なテーマではないでしょうか。

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