合理的な配慮とは何か、を考えてみる~電子書籍のアクセシビリティ
こちらの記事は、私のサイト"#a11yTips: Webアクセシビリティ・情報バリアフリー " で2016年2月2日に公開済のものを転載しました。なお文末形式を整えるため一部修正しています。
障害者差別解消法と共生社会
2016年4月1日に施行に施行された障害者差別解消法は、
全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進すること
を目的としている。従来の『障害者や高齢者のために』ではなく、『障害者や高齢者も』という考え方に変わった。
そもそも、障害とは社会の中にあるもので、"人"に付随するものではないという考え方もある。
株式会社ミライロ社長であり日本ユニバーサルマナー協会代表理事の垣内俊哉氏は、著書「バリアバリュー 障害を価値に変える」の冒頭で以下のように記している。
「障害」は人ではなく、環境にあると私は考えています。漢字の表記のみにとらわれず、社会における様々な「障害」を一つでも多く解消することを目指します。
※こちらは著書内での「障害者」の表記についての説明で、「障害者」の表記については色々意見が出ているので後日改めて自分なりに考えて表したい。
キーワードは「合理的配慮」
さて、差別解消のためにすべきこととして大切なキーワードに「合理的配慮」がある。
権利条約第2条による定義では
「合理的配慮」は、「障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないもの」(内閣府 共生社会政策 障害者施策「障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針」第2 行政機関等及び事業者が講ずべき障害を理由とする差別を解消するための措置に関する共通的な事項 3 合理的配慮 )
と記されている。
‥まぁ、行政の文書なのでちょっと判り難い。で「合理的配慮」ってどうしたらいいのー??と思われるであろう。
内閣府ではWebサイトに合理的配慮等具体例データ集という参考事例集を用意している。
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2010年から2012年まで、内閣府・厚生労働省の障がい者制度改革推進会議総合福祉部会会長だった、日本社会事業大学特任教授佐藤久夫氏は、合理的配慮について
相当程度個別性の強い、「特定の」配慮であって、多くの障碍者に共通する「配慮」は含まれないと見るべきだと思われる
また
職場内で車いす利用者が落とした物を拾ってあげたり、社員食堂でお盆をテーブルに運んだりというレベルであれば合理的配慮とも考えられるが、毎日の通勤・通学の介護となるとまったく異なる。これを合理的配慮とする可能性を検討するとすれば合理的配慮の概念理解が誤っている
(いずれも佐藤氏著書『共生社会を切り開く— 障碍者福祉改革の羅針盤』(p.204)より引用と記している。
全ての人が暮らしやすい社会を目指して配慮に努めるべきではあるが、行き過ぎた結果、別の誰かが不利益を被るのは「合理的配慮」ではない。
さて、なぜ長々と「合理的配慮」について記したかというと、本来の意味を変えたり見た目を変えることで、別の誰かの理解や認知が阻害されては本末転倒と考えるからである。
『電子書籍アクセシビリティの研究』*1を拝読したところ、冒頭、Voice Over(iOSバージョン1.0.2)の誤読を防ぐための措置として
たとえば「合成音」は「ごうせいおと」と読み上げたため、それを「合成音声」に書き換えたところ「ごうせいおん」と正確に読み上げた。
「0.20」は「ぜろどっとにじゅう」と読み上げられた。これは、小数点を「カンマ」にすることで正しい読み上げがなされることを優先して、「0,20」と表記した。
「ICT」は「あいくと」と誤読された。文字間に半角スペースを挿入したところ、正しく「あいしーてぃー」と読み上げた。
といった記述にちょっとした「もやもや感」を覚えた。したいことは判るのだが‥。
そこで公刊記念シンポジウムにご参加された、木達一仁氏のblog「覚え書き」を拝見したところ
読み補足というのは、ルビを振るのと同じですから違和感はありませんが、原稿に手を加えてしまう用字変更や表現変更という手法には、やっぱり違和感があります。
というご意見が記されていた。
『電子書籍アクセシビリティの研究』に関してはたまたま著者ご自身が当事者であり、誤読を防ぐための措置として「.」が「,」になったり、「合成音」を「合成音声」と変えることを納得していたとしても、著作権法を考えると他の電子書籍は容易に変更することは難しいであろう。(これについては、木達氏blogのご指摘に同意見)
また、この先、Voice Overが仕様を変更することがあるだろう。「0.20」は「れーてんにぜろ」と読まれるようになる可能性は捨てられないし、一度配布した電子書籍は再配布できないのではないか。だとすると、一時的な対応よりもむしろ冒頭に音声読み上げに対する注意書きを施すことこそが「合理的配慮」であり、そもそも変えてしまうというのは若干行き過ぎのように感じる。
少なくとも行政文書や行政が発行している白書で、いつアップデートされるか判らない『特定の音声読み上げソフト』のために、元々の文書から変えるのは難しい。
因みに「0,20」のみ書いてあると座標軸のように思うが、前後の文章を考えたらいきなり座標軸が出てくるわけではないので勘違いのまま読み続けることはたいがいの方はないであろう。が、例えば「正確さ」について強くこだわりを持つ方だとここに捕らわれて読み進められなくなるかも知れない。(極論かもしれないが‥)
また仮に「0,20」と本当に表記しなくてはならない場合は、「0.20」とどう区別するのだろうね‥。考えが尽きない。
アクセシビリティへの配慮と落としどころ
日々Webコンテンツを作成している中でWebアクセシビリティに配慮したいが、そうすると元の文書に手を加えねばならないという板挟み状態にあることが多々あった。
例えば「表の方向と注意書きの位置」が好例である。
電子書籍自体は1990年代から開発・販売が始まっていたが、その後2014年頃までにはEPUB3が中心であった。今のところEPUB3は商業出版に特化していてこれからだと思うが(EPUB仕様 3.0.1)、少なくとも安定するまではバランスを欠くことなく『(どんな)障害者も高齢者も』含めて誰もが、内容が理解しにくくなったり誤認したりしないような表記・表現にするのが落としどころではないかと、私は考える。
なお、冒頭でご紹介した垣内氏は、株式会社ミライロでの「障害者」の表記について、以下のように記している。
株式会社ミライロでは「障害者」と表記しています。「障がい者」と表記すると、視覚障害者が利用するスクリーンリーダー(コンピューターの画面読み上げソフトウェア)では「さわりがいしゃ」と読み上げられてしまう場合があるからです。
私たちを取り巻くIT環境変化のスピードときたら、これまで体験したことがない早さと言っても過言ではないと誰もが感じていると思う。
これから先、更にモノのインターネット(Internet of Things : IoT)により、私たち生活者が意識しなくても毎日インターネットのお世話になる時代になりつつある。実際、社会的インフラでインターネットを使っていないものってどの位あるのだろうか。またこれからどう変わるのか、いつ変わるのか。判らない。
そういう意味でも、車で言えばハンドルの「遊びの部分」を残しておくのも情報アクセシブルに向けてのコツのように思える。
『電子書籍アクセシビリティの研究』で表された考え方も、それを聞いて思うところがある方の考え方も、行きつく先は「共生する社会」だと私は考える。
様々な立場や経験、見方の中で意見が出され、皆が思う「共生する社会」に近づけることを願っている。
『電子書籍アクセシビリティの研究』、アクセシビリティの今後をいろいろ考えさせられ、そういう意味では*2良い一冊であった。PDFのアクセシビリティを考えている自分にとっては、勉強になった。
蛇足だが、Kindleで『電子書籍アクセシビリティの研究』を読む際に黒バック・白文字、フォントはゴシックを選んだが、全ての文字がゴシックになるわけではなかった。見出しは明朝体のままの箇所もあった。なんでだろう。
*1 「電子書籍アクセシビリティの研究」は2017年1月発売された。なおこのnoteに転載した私の文章は2017年2月に記述したものである。
*2 元の文章で漏れていた部分を追記した。(追記→"そういう意味では")
(了)
(ヘッダー写真 撮影地 ニュージーランド クイーンズタウン ©moya)