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『ルックバック』考 (1)振り返るということ

(1)振り返るということ
映画版『ルックバック』を見た。
私は原作を見ていなかった。
ただいくつか、解説動画の切れ端からものすごい作品だということを聞いていた。
映画がはじまり、いくらもしないうちに泣いている自分がいた。
それは、藤野が京本の手を引っ張りながら街中を走り、藤野が振り返った場面だ。
幸福な高揚の中にいる二人。
手をつないでいる二人。
私は一方でこの幸福が続くはずがないと恐れ、崩壊を孕んだ眩しい二人を恐れた。

人はなぜ、振り返れるのだろう。
1つには安心から。
見守ってくれる人がいる時、私は振り返ることが出来る。

藤野は描く。
描き続ける。
藤野の部屋で描き続ける藤野の背中をひたすら画面は映す。
単純な構図。
定点観測。
だから極めて効果的に時間の経過が分かる。
1冊また1冊と増えていく本。
四季を感じさせる窓外の景色。
藤野は振り返らない。
その部屋には、誰もいないから。
それでもなお、私は見てしまう。
例えば背中は扉に似ている。
今は閉ざされていたとしても。
開くことの可能性を思わずにはいられない。
背中はどうか。
背中にも潜在的な動きがある。
今にもその人は振り返るかも知れない。
その仮定には抗えない。
背中も扉もすでに、物語的だ。

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