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私たちと物語~角田光代さんの言葉から
『私たちには物語がある』。
角田光代さんのご本。
なんて素敵なタイトルなんだろう。
なんて優しくて、そうして心強い響きなんだろう。
〈物語〉を考え続けてもうずいぶん長くなるけれど、
考えれば考えるほど物語の深みは底知れず、
迷い、憧れ、翻弄されつつもまた求めてしまう。
もちろん、「本の中にだけ」物語があるわけじゃない。
物語はどこにでもある。
私の名前にだって、
ふだん暮らしている町の地名にだって、
たった1本のえんぴつにだってたくさん物語はつまってる。
いったい物語って何なんだろう?
「私たちには物語がある」。
じゃあ、その「私たち」の中にこの私はいるのだろうか。
私はもちろんと答えよう。
この言葉は、
物語に心を寄せるすべての人に開かれてると思う。
「私」という単数形じゃなくて、
「私たち」という複数形を角田さんが選び取ったということ。
やっぱり、ひとりじゃないよってことなんだと思う。
物語なんて作りもの。
そんなことも耳にする。
確かにそうかも知れない。
物語は私の代わりに仕事もしてくれないし、
おなかの足しにもなりゃしない。
でもこの日常のあれこれの、
小さなことにへこたれても、
ページをめくればすぐにするりと「ここじゃない世界」に行けるとしたら、それはやっぱりほっとする。
逃げでもいいじゃん。
小さい頃の遊びの時の「タイム!」みたいに、
少しだけ離れて、
少しだけ呼吸を整えてから、
このやっかいな世界にまた向き合えれば。
1つだけ。
角田さんの言葉でそのあたりを。
あるエッセイについて書かれた内容が、
その文脈を飛び越えてぴたりとこのことに重なってる。
【だれの日々も役にたたない。私たちは何かの希望を持ったり馬鹿でかいことを考えたりしながら、でも一日一日の些事をみみっちくこなしながら過ごしていく。著者の、どうということのない毎日を読んでると、馬鹿でかい何かに触れたような心持ちなる。その馬鹿でかさは私を安心させ、同時に敬虔な気持ちにさせる。毎日はみみっちくともそれが連続すると「生」という大げさな何かに変化するのだ。】小学館文庫、p.232
だから、物語はシェルターなのだ。
つかのまの、ささやかな、
でも大切な。
物語は、
すぐ近くにある遠くの世界。
その遠くの世界から、
しばらくのあいだこの近くの世界を眺めているとなぜだろう、
まあ、そろそろやって見るかななんて思えたりする。
だからさあ、安心して言い切ってしまおう。
「私たちには物語がある」。