心の中の鉄塔、鉄塔の上には小さな神様を
この物語に目で触れた時、一気に懐かしさが込み上げてきた。今回手にしたのは文庫版だが、単行本で読んだ頃の思い出が蘇った。
久しぶりに感想文を書けるということで意気揚々と再読してみたら、最初に読んだ頃よりも随分と眩しい夏の話だった。自分がもう青春の学生時代を終えた社会人であるからだろう。公園といえば、青々とした葉が空いっぱいに広がり、鮮やかな草花が生え、木々が揺らぐ、そんな空間だ。そして学校には様々な家庭の、様々な悩みを抱えた人がいる。公園でこのような青春時代を過ごせる伊達を含める登場人物が羨ましい。出来れば自分が彼らと同じ中学生の頃に出会いたかった物語だ。
学校、公園、家……建物の周りにはいつだって複数の鉄塔が聳え立つ。意識して見ないと気がつかないが、それぞれ普遍的で、よく見ると各々個性的だ。この本を読むまでは意識することすらなかった鉄塔だが、意外と人間味がある建造物だ、と興味を持った。こっちの鉄塔からあっちの鉄塔。さらに向こうにある鉄塔。人と人の繋がりも、この鉄塔と鉄塔の繋がりと似ているのかもしれない。確かに過去はどんどんと忘れてしまうが、鉄塔のように図太い絆は人の心に一生根強く残るものである。
「忘れられたら、死んじゃうのと一緒なんだって思ったら、なんか、焦っちゃって」
この「忘れられたら死ぬ」という考えに心が揺さぶられた。つい最近まで、自分も帆月と同じような心境だったからだ。何か成果を残さないと、生きているとは言えないような、謎の使命感と焦燥感に、いつも追われていた。その何かは何でもいい。とにかく毎日毎日一分一秒と時間を大切に、その時にしか出来ないことをやってきた自分にとって、刺さる一言だった。忘れられたくないという気持ちと死にたくない気持ちは案外似た部類なのだろう。今思えば大したことない悩みかもしれないが、当時は必死で踠いていた。帆月は当時の自分の心を見事に具現化した存在だった。転勤族で破天荒。転校前の不安は共感出来るが、彼女に言ってあげたい。転校してもしなくても、忘れたくない人は忘れない。それが真の友情であれば尚更だ。
ところで、何度も読み返してみたが、この話には幾つか疑問点がある。
一つ目は明比古についてだ。自分は勝手ながら明比古がこの物語の主要人物だと思っているが、彼は一体何者だったのだろうか。椚彦の存在を教えてくれたのは実質彼ではないか。本当にただの病弱な学生か、それとも神様に携わる者なのか。そんな彼が呆気なく忘れ去られたかの如く、この物語の最終章には全くと言うほど登場しないで終わっていく。これが帆月の恐れていた「忘れられる」というものなのだろうか。意図的であるならば少し虚しい登場人物である。いつか彼目線の話も読んでみたい。
もう一つは椚彦についてである。椚彦は帆月の心から生まれた神様なのだろうか。それとも古くからいる神様の一人なのであろうか。見える人の条件は何だろう。心が切羽詰まってどうしようもない人には幼い彼の姿が見えるのかもしれない。今度、心にどうしようもないくらい余裕がなくなった時は、自分も公園に駆け出し、近くにある鉄塔を眺めてみよう。
それからタイトルの「君」。よくあるヒロインを指す話ならば帆月のことだろう。しかし自分は、伊達も比奈山も木島や顧問の村木、警察や近所の人、ヤナハラミツルに最後の短編に出てきた三森、小山、佐久間、それから読者自身すら含む「君」だと信じている。
誰しも皆、心の中に鉄塔がズンっと聳え立ち、困った時に見上げればあの小さな神様がちょこんと上にいるのだ。そう考えると、この夏も悪くない。
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