いつでも君のことが 本当は羨ましくて
遠い存在の人なら、その人に良いことがあったときに、素直に祝福できるのに、近くて大好きな人の成功は、祝福よりも羨ましく思ってしまうことがある。
本当に好きな人なんだ。
好きな人達なんだ。
嘘じゃない。
けど、心にモヤモヤが立ち込めて、その人の笑顔を見るのが、ちょこっと苦しくて。近くにいたいけど、離れたくなって。SNSをミュートしちゃったりして。
悔しさをバネにするほど、向上心はなくて。好きな人の喜びを共に分かち合えないことに自分に、ただただ、落ち込んで。
(そういえば、『私という運命について』に「◎◎のことは好きだけど、結婚するほど好きじゃない」って言葉があったな…)
………あー、一緒に、同じ温度感で、喜びたかっただけなんだな。成功したいけど成功していない自分にモヤモヤしていたんじゃなくて、一緒に喜べないことが苦しかった。そして一緒に喜べなかった理由は、喜びを分かち合うのは同じステージにいる人だけだって、自分で思い込んでいたから。
不思議だ。遠い存在の人なら、そんな命題は偽だって、直観で分かるのに、近くにいて、その差異が自分の物差しで測れる人には、この命題を適用している。
またすっと歌詞が心へ入ってくる。
英訳すると、We are we. みたいな、意味をなしてないような歌詞。
でも、ここにきて、あぁ、私は私だなって思う。違うステージにいようが、私は私だ。どこにいても、だれといても、私は私だ。ヒトとして、生物としての価値は変わらない。
私は 私だ。
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