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【noteユーザーこそ、価値あり】高校初級レベルの古典を学んで、結果よかった話
突然ですが、
古典と聞いて、どんな印象を持ちますか?
???
となりそうですが、実は、
noteを使う方にこそ、お勧めしたいのが古典。
僕は、進学塾にて、英語がメインでしたが、
サブとして、高校1年生の古典の解説や授業もしていました。
最初は、イヤイヤでした。
本当に何も楽しくない、と感じていましたが、仕事だから断るわけにもいかず。少しずつ勉強をしました。
今は、塾業界から離れて、古典と触れることも滅多にありませんが
たまに、あのイヤイヤだった古典を学んだおかげで
『あぁ、これかぁ』となる時もあります。
それが、結構『日本人でよかった』と思えるようなことが多いです。
(あくまで好みにもよりますが、、、)
息抜き程度に、よかったら読んでみてくださいね。
人生の縮図
いろんな人の、体験談や、本を読む理由
もちろん、人それぞれだと思いますよ。
僕はそんなヘビーに、本を読むタイプではありませんが、
休みの日など、図書館や、本屋にいくとなぜか安心します。
静かな方がいいんですかね。勉強できれば勉強もしますし、
本をパラパラ読むだけで、なんか吸収できている気もするし。
でも、本を読む目的を自分なりに考えてみると、
『他の人の意見を聞いてみたい』というのがしっくりきます。
こんな苦労しているんだけど、先駆者いないかな?
これを学び続けると、この人みたいになれるのか!
あの偉人も、同じようなこと考えている!
など、
そんな知恵を借りたり、買ったりできないかと思っています。
古文も、昔の人が書いた本
ことば遣い(歴史的仮名遣いなど)が違ったり、
そもそも古文単語が違ったり、活用が違ったり、
大人になって、とっつきにくいのは事実だと思います。
でも、これも、昔の人が書いた本なんです。
同じ人間だからこそ、感じ方も似ているところもあります。
兼好法師の『徒然草』なんて、
『ちょっと時間あって暇だから、とりあえず思ったこと話すね』
からはじまるんですよ?
これって、自由なことを発信できる、
現代版のnoteにめっちゃ似ていませんか?
もし、兼好法師が現代に生きていたら、
noteを使ってるんじゃないかなぁとかも思います。
(全然、悪意はありません。)
学生ではない今だからこそ、味わえる内容
感覚は、今も昔と変わらず、共感できる
ある時代のお話が、とても学び?気づき?になります。
(正直、高校生の授業で伝えていても、(そこの塾にくる)生徒達には、まだ早いだろうなぁと思って授業していました。)
<実例>
徒然草の『神無月の頃』というお話があります。
大体、10月ごろを神無月と呼んでいました。(ざっくりと伝えてます)
簡単に箇条書きで内容をまとめておきますね
旅の場面:10月ごろ、栗栖野を通り過ぎ、とある山里の人を訪ねる。
山道の描写:苔むした細い道が遠くまで続き、それを踏み分けて進む。
草庵の発見:わざと寂しげな雰囲気にして住んでいる草庵がある。
静寂の中の音:木の葉で覆われた懸樋から滴る水音だけが聞こえる。
住人の存在:閼伽棚に菊や紅葉が散らされており、人の気配を感じる。
感慨:こんな寂しい場所でも人は住めるのだと、しみじみ思う。
柑子の木の発見:庭に大きな柑子(みかん)の木が、実をつけていた。
違和感:木が頑丈に囲われているのが興ざめで、なければよかったと思う
<読解ポイント>
静寂で風情ある山里の草庵と、俗っぽさを感じさせる柑子の木の囲いが対比され、自然と人の営みの関係を考えさせられる。
昔から何かを学び取れる
作品から何を学ぶのかは人それぞれです。
どうしても、人として、自分のものはしっかり守らないとと
感じてしまいますよね。
でもそれがちょっと残念だと感じる感覚は、
今にはないものかもしれませんが、
自分が、その場の住人であったとしたら、
おそらく同じように、みかんの木を囲っているだろうと思います。
その様子って自分では気づけないけど、
周りから見ると、そう映るのか、と感じる
『客観視出来る』きっかけにもなり得ますよね。
今回は、古典の話をしました。
完璧に趣味の領域の話ですね。
徒然草では、『ある人、弓射ることならふに』なども
初めて内容を知った時に、
『おぉ〜すげぇ』となった内容で、お勧めです。
よかったら調べてみてくださいね。
(学生のテスト対策のサイトですが、貼っておきます。)
https://manapedia.jp/text/1665