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死にたいときは文章を書け

・自殺と他殺
自殺と他殺ってほとんど変わらない。すきな作家が言っていて共感した。

他殺でも動機のある殺人はぜんぜん共感できない。感情を制御できずに法に触れたことを、日本中に知られるなんて恥ずかしすぎる。

でも無差別殺人はやる気持ちがわかる。絶対にやらないので危険人物リストには入れないでほしいですが…

あれって(社会を壊したい!)という気持ちからくる行動だとおもう。だから誰でもよくて、その人を殺すことで自分の世界が、この世界がなにか変わるんじゃないかという希望に賭けてしまったのでは、と。

全部壊したくて、その一歩目がその被害者だったってだけ。分かるんだよ、その気持ち…

ただ、この気持ちを理解できないような人のことは殺してはいけない。だから自殺のほうが多くなってしまうんだけれどね…

私は今「社会を壊したい!」期ではないので、わたしが死んだところで何も変えられないと感じている。他人の自殺は別として、自分の自殺はとても自己満足におわってしまう気がするのであまり現実的ではなくなった。

・季節の変化
季節の変わり目がにがてだ。気温の変化などで自律神経が自律しなくなるからなのか、いつも気が狂ってしまう。

昨年の秋から冬になるときがだいぶキツかった記憶だが、この調子でいくと冬から春もくるしみそうな予感がある。

季節が変わるとき、温度やにおいの違う風が吹くじゃないですか。それを感じてしまったとき、季節はかわるのに自分は変われないままだと気づかされるのがしんどい。

他人はしあわせになっていって、自分はまったく生活をすきになれなくて、毎日死にたくて、人のこともどんどん遠ざけて、それでも損得考えずに人に優しくしたい。私の優しさなんて誰もお呼びじゃないのに。

どうしたらいいか分からない。世界をすこしでも優しいものにするために自分もできることをしたいのに、優しさしか方法が思いつかない。

という状態でCRYAMYの世界のMV(カワノさんのお話があるほう)を見たら、息ができなくなってカヒュっと音がでるほど泣いてしまった。相変わらずどうしたらいいか分からないが、自分の望む世界をつくろうと最善をさがすことは間違いじゃないのかもしれないとおもえた。

・人の好意や善意
仲のよい先輩に「なぜここまで私に優しくしてくれるのか分からない」とこぼしたら、好意や善意を弄ばれたり拒まれたりしてきた過去の話をしてくれた。私に好意や善意をもって接してくれることはとても貴重なことだとおもうので、それを喜んで受け取ることは自然だとおもっていたけれど意外とそうじゃないらしい。

私はどんな人に好かれてもうれしいし、どんな人に褒められてもうれしい。過去の恋愛はほとんどが相手からそばに来てくれてはじまったものだった。友達も、距離を縮めようとしてくれたのは友達のほうだった。

自分に自信がなくて、なぜ仲良くしてくれるのかわからなくなる。何より以前はもっと人とはなれることが怖かったから、近づくことも容易にできなかった。

そんな自分に近づいてきてくれた人たちにはほんとうに感謝している。それしかなかった。

けれど彼は好意や善意を蔑ろにされたことが多く、私に優しいことや素敵なことを言うたびに気持ち悪がられないか心配している。だから彼も私の性格を稀有なものとして扱う。

与えたがりなのに受け取る人がまわりに居なかった彼にとって、すべてを受け取って喜ぶ私と居る時間を心地いいと感じてくれているらしい。こんなtakerな部分で感謝されるとはおもわなかった…

私は心のなかでは(~したい!)と思っているのに、(私に言われても/されても違うかな)とおもって自分のなかで勝手に物語を締めくくってしまう。これからはもっと気にせず渡していきたいが、受け取り屋さんも役に立つということだ。

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