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明日以降の話をしようぜ

時速36kmのサテライトという曲について文章を書く。単刀直入に言うけれど、生きるの、やめたいときあるよね。

自分のすきなところなんて見つけられないし、自己肯定感なんて微塵もない。それでも傍にいてくれる人や支えてくれる友達はいて、だからこそ、自分をないがしろにすることが他人を傷つけてしまうこともあるのが本当に悲しくてひどいことだと思う。

わたしだって明るく自信を持って生きていたいが、もう無理なのではと悟ってしまった。みんなそれぞれのつらさを抱えていて、不安を感じているかもしれないけど、知ったこっちゃない(最悪だね)

まだ残る痛みを気にしながら起きて、痛みに耐えながらも何ともない振りをして過ごして、夜になると耐えきれずに泣いてしまう。そんなふうに日々が進んで、気づけばこんな感じ。

(あれ、わたし、何してたんだっけ。)そう思ってしまったら最後。黒く渦巻くきもちが暴風のようにわたしを揺らして、支配する。

まあこんなことは初めてではないし今までで1番大きい希死念慮ではないなとやけに冷静な判断をしたりして布団に潜る。好きな作家さんの文章やブログを読んで、一緒に夜を越えてくれる音楽を聴く。

今夜もいろいろ聴いたけれど、何度も頼ってきた時速のサテライトについて改めてことばにしたいと思う。この曲に関してひとつ、印象的な思い出があるので残しておきたい(思い出というほど大きなものではないが、思い出に大小をつけるのは美しくないよね)

漠然と憂鬱なきもちを抱えていた時期に1度、なぜか大人に相談したことがあった。でも残念なことに予想通り、なんにも解決せず、それどころか余計に苦しくなって、駅のホームで電車を待っていた。

そのときに偶然流れてきたのがサテライトだった。この曲に自分の存在を肯定されて小さな小さな明日への希望に手を伸ばし、足を踏み出せた夕暮れどきがあった。

今の話をしたり以前の話をしたりでまとまりがなくて申し訳ないが、思考がめちゃくちゃなので許してほしい。

サテライトで歌われている「何が美しく見える 暴き出してその正体を歌う」から感じられる、自分の美学を信じることの大切さやむずかしさ、脆さがとても綺麗でわたしは大好きだ。

一生とか永遠とかって信じられないよね。だから時速が歌う"できるだけ長く"とか"できるだけ全部"とかのほうが頼りになると思っている。

痛い、わからない、怖い、死にたい。そういうきもちに寄り添って、押し付けがましくなく光へ手を引っ張ってくれるのがサテライト。

どのフレーズも、心のつめたくて硬い部分に染みこんで、ゆっくり溶かしていってくれる。わたしが今回改めて文章を書きたいと思ったのは、「手のひらに伝わる温度が正常かどうか 確かめ合いながら歩こうか」に対して自分なりの解釈が生まれたからだ。

この言葉を聴いてふと、他の楽曲も含めよく出てくるまともや常識、正常といった単語を使う仲川さんにすごく親しみを覚えた。自分の人生なんだから自分の道を行け、とか、やめてもいい、とか、そういう歌に救われることもある。

それでも社会でそれっぽくあることに執着している人もいるし、今の苦しみよりもここから逃げた先での身のこなしが怖い人もいる(どれもわたしだね)だからこうやって正常かどうかを気にする彼の歌詞はとても人間味があって、助かる。

救われるんだけれども、助かるって表現の軽快さがなんとなく合うからここではあえて。

わたしがいなくたって、あなたがいなくたって、世界は普通に回る。でも「そんなことはないよ。お互いに手をつないで、温かさを感じて、できるだけ長く歩いていこう。」こんなふうに思える時間は僅かだが、時速を聴いているとこう思える時間が生まれる。

どんなに微かな光だろうと仲川さんは認めてくれる気がする。だから痛みを気にしながらも明日の希望を持っていたいと思える。

こういう瞬間が一瞬でもあるから人生は輝くのだろうね。たとえ恒星や惑星の周りを回る衛星のような生活だと感じてしまっても、それらすべてに意味があることは明らかだ。

ただそれを忘れてしまうのも忙しい世界では無理のないことだと思う。それでも自分にとって中継地点になるような何かにすがって、心の安寧を得て、生きるのだ。

将来を考えると不安で、今を生き抜くこともつらいけれど、いつも傍にいてくれる人や時速36kmの存在を、サテライトとして歩いていくのだ。

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