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君が君を決めたかい

さよならポエジーが居てくれてほんとうに良かった。どんなときでも寄り添ってくれて、どんな気持ちのときも聴ける。

時速が聴けなくてもCRYAMYが聴けなくても、ポエジーは聴ける。「ポエジーのおかげで立てる」という時期がやはりある。

ポエジーの曇り空っぽさに救われている人がたくさん居るとおもう。落ち込んでいるわけじゃないけれど晴れないとき、このまま雨になってしまいそうなとき、ポエジーを聴くと落ち着く。

pupaや二月の中を/Februaryなどすきな曲はいろいろあるが、1番すきなのは『半分になった俺たちへ』かな…自分で決めることの大切さや、そうして打った点と点の間に見えない傷や価値があることを歌ってくれているとおもう。

「知らせてくれ 昨日はどうで 最近こうだとかを」ここも大好き。やさしいね、こんなにおもってくれて。

どうで こうだ とか日本語のあいまいさと美しさをふんだんに使っているところも好き。そういう表現も、ポエジーの曲がこころの隙間に染み込んでくる理由の1つなのかもしれない。

「記憶になる 記憶になって 記憶が背を押す」が最後に来るところも好きだ。記憶がわたしたちを苦しめることもあるが、「かつて私たちだったもの そうだったんだもの」結局背を押すんだろうなということも分かる。

アユさんの弾き語りにしか行ったことはないけれど、だからこそ純粋に音源だけでポエジーの音楽を吸収できている気もする。あまりポエジーで繋がった人が居ないというのも大きいかもしれない。

そういう些細な要素の1つ1つが、わたしの中でポエジーを唯一無二にしている。どれも唯一無二だけれどね。

歌詞の意味をほとんど理解できていないような気がするが、だからこそずっと聴いていて飽きない。どれだけ聴いても、まだあたらしく救われる歌詞があってすごい。

ちょっと短いけれど、この文章は冗長にするべきではないのでおわる。この鈍色の世界で、ポエジーと共に実弾であり続けたい。

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