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〝愛されたい〟という言葉に違和感を覚えた話。
大好きな人に愛された時の不安と歓喜が入り混じったような独特の感覚を私はずっと覚えていて、それを失くした後、何年も何年もその感覚に取り憑かれたように執着し、外の世界に求めた。愛されることを目標にたくさんの本を読み、ネットを漁った。でも求めれば求めるほど何故か枯渇していく感覚があった。本当に、心の芯から痩せ細っていく感覚。
"私は愛されてる!ってアファすると良いって本にもネットなもたくさん書かれていたのにどうして?"と、今度は焦りに溺れ、恐怖した。もしかして私にだけは効かないの?と不安にも襲われた。
またある時は、〝愛されたいって願うことは愛されてないという不足感を放っているから愛されない現実が引き寄せられる〟ということを耳にし、
じゃあどーすりゃええっちゅーねん!愛されてない現実は現実であるんだよ!
と苛立った。
どこに行ってもいっても何しても苦しい。正しい道もわからない。とにかく喉の渇きが治らない。もう嫌だ。そんな感じ。
その後、"愛されるには自分を大切にだと?まずは内面にから?十分してるよ!"とヤケになり、
それでも自分を大事にする「努力」を、【イライラしながら】細々と続けた結果、自己肯定感が一旦バグり、〝愛されるってなんだよ、私が愛してやんよ〟となったりもした。(もちろん愛したい存在は目の前にいない)
愛されたいって感覚はとても苦しい。
自分と向き合うのは、ましては自分を愛するなんて、出来ない。
それでも時々、自分に優しい言葉をかけた時に涙が噴き出すはなぜだろう。自分を愛する大切さを説いている映画や本の一節や歌詞に目が離せなくなるのは?気になって読み返してしまうのは?
....
今の私は、
以前のような"愛されたい"という懇願にも似た気持ちが湧き上がらなくなり、その言葉に対し、〝なんか、愛されたいって言葉って受け身じゃない?弱くない?〟と思っている。
そして、
働きもせず、無理もせず、ハンドメイド作品を時々作っては可愛い!とトキメキながら、好きな芸人さんの動画を朝から晩まで見て爆笑し、好きなちいかわちゃんのフィギュアを見つめては癒され、午後のコーヒーとお菓子を楽しみに生活している。
気分が良い、元気、エネルギーがある、とはこういう状態なのか、という感覚を全部の指の先で感じている。(どうして指の先なのかはわからないけど、なんとなくそこ)
愛されるのもきっと最高なんだろうけど、気分が良くなることのほうが先だったんだな、と思いながら。
今日も自分の気持ちを観察している。