(2)街で前から歩いてきた人に突然頭皮を揉まれた時の傾向と対策
わはろんは子供の時から哲学的だったりする
こんな感じでな
これ考えてる自分ちょっと孤独なんじゃないかみたいに感じてたから
成長してスマホを手に入れてからはじめてまともな人も同じように考えるんだと知って
どこか安心した
名前でなんとなくどういうことか分かるだろうけど
詳しく気になる人は
自分で調べてください
で前回
我思う、故に我在り
の考え方で自分を落ち着けてたけど正しいとは思えないっていう話を今回でするって書いたじゃん
まずなんで今でも幼少期の考えについてモヤモヤしてるかというと
高校の公共と論理国語の授業で
掘り返されたからなんだよね
デカルトの思想〜とか言って
公共では紹介されただけだったからまあよかったんだけど
国語の先生が
これ難しく聞こえるかもしれないけど、心の不健康によって体の不健康がもたされることがあるのはみんなよく分かるだろうから
そのイメージでいいよ
昔正しいかどうか議論されてたらしいけど今なら心と身体が繋がっているって、デカルトが正しいってわかるよね
って言ってて
ちょっとそれイメージしてたら幼少期に
そうは言っても身体と心が別物かもしれないじゃん
って思ったことを思い出しちゃったの
だからわはろん授業中に1人だけそこに取り残されてうおおおおって哲学してた
で
その授業脳死で板書することしかできなかった
(脳死ってこう気軽に使うのよくないと思うよわはろん)
イメージ的には
例えばARのゲームみたいに
現実の世界にゲーム画面が重なることで
それを1つの正しい世界として見ちゃっている状態
国語の先生が言った
心が不健康だと身体も不健康になるっていうので言うと
実は心と身体は乖離しているけど
たまたまその2つが同時に具合悪くなっただけかもしれない
みたいに
反論の余地があるんじゃないかって思ったんだよね
で今もモヤモヤしてる訳だけど
もう世界の真理(笑)を知ろうとしてもわかんないって割り切るしかないと思ってる
だから怪しい宗教とかを信仰したとて世界の真理が見えてくることはないと思うねん
高次元で何かが起きていたとて
高次元の方が有利なはずだから
高次元側が隠したいと思っている限りわはろんの短い寿命では
どれだけ世界について考えても見えてくるのは単に自分が作り出した虚像だけで
逆に複雑になってしまうから
おわり