映画『花束みたいな恋をした』をもう一度考えるなら
別れるべきだと思う相手に気持ちが残ってしまって、強く離れることができなかった経験はありますか?
今年22歳になる私は、高校を卒業する春
『花束みたいな恋をした』を映画館で観た。
その頃ちょうど、Awesome City Clubの「勿忘」が予告でしか流れないのに神曲すぎて話題にもなっていた。
中高で最も恋愛相談をしてきた友人と二人で会っていた帰りに
帰る? でもまだ寂しいよね~ え、映画でも観ちゃう?!
でもすぐどうせ地上波するしねぇ・・・どうする???
なんて言いながら
高校卒業したての私たちにはまだ少し背伸びが必要だったノリと勢いで
中高女子校の私たちにはもちろん
彼氏がいたことなんてなかった
映画が終わった頃にはもう辺りは真っ暗で帰らなけらばならなかったから
一緒に見たその子がどんな感想を抱いたかは詳しくは聞けなかったけれど
当時の私の感想としてはこんなところだった↓
当時の私として感動した!とかいうわけでもないが、なんとなく心に留まった想いがあり、今でもこの時の感想を鮮明に覚えている。
私の気持ちは、とにかく二人の過ごしてきた(付き合っていたとき)の経過の仕方にすごく焦点が当たっており、
お互いの食い違いがきっと納得できなかったのだろう
最近ふと、結婚のことを考えたりもして
※参照
そういえば、
あの映画の二人はどうして別れてしまったのだろう
あの映画って何を伝えたかったんだろう
どうしてこういうタイトルがついているのだろう
なんて唐突に思い出して疑問に思った
記憶の中の映画の情報で思い出して考えたし
気になりすぎてもう一度観て考えていた
「なぜ別れたのか」については一言では結論づけられないと思う。
ここに堂々と書けるほど私も自信を持って読み取れたわけではない。
僭越ながら書かせていただくとするなら
というところだろうか。
もう一度観ながら、自分とも重ねがら考えたことは
二人の出会い方は決して表面的な物ではなく
決して今時の大学生的な軽いノリではなく
感情や考え方を、自分をしっかり魅せた上での惹かれ合った関係性なのに
と不思議だった。
いくら好きでも、いくら二人で楽しいことをしている時間が幸せでも
価値観が合わない相手とは長くは一緒に居られない とはよく言うが、
その価値観さえも人間は変わってしまうのだから
私たちは誰と一緒に歩んでいけば良いのだと思う。
もう一つ、今考えたからこそ感じた驚くことがある。
最後のシーンで、麦(菅田将暉)が「結婚しようよ」と言い出したことが、初めて観た時には衝撃すぎた。
繋ぎ止めるためにそんなことを発するなんて最低だしありえないと思った。
でも今ならその言葉を口にした麦の気持ちが少し分かってしまう。
恋人として、想い合う二人としては上手くやっていけない場面があるのだけれど
二人の中に時間によっても育まれた、一定量の愛がある。
家族みたいな感じ
だけど家族ではないからこういうすれ違いになってしまうけれど
家族になるのであればうまく行くんじゃないか。
だってこの感じ、気を使わない家族な感じ
家族になるのにはぴったりだと思うから
とはいえもちろん私もこの考えに賛成というわけではない
策の一つとして「あり得る」とは思う。
結論として二人は別れた。
ここがこの映画のミソだ。
別れた二人のこの物語を坂元裕二は「花束みたいな恋」と名付けた。
あの日々って花束みたいだったねと
二人がそう思える時、二人は正しく前に進むことができる。
どうしたらそんな風に過去の恋愛を捉えることができるのか
その解答は人によって違うかも知れないし
みんながどう考えるのかとても気になる。
私に足りなかったものはここだったのかなと
そんなことをぼんやりと考えた。