世界のムナカタを生み出したもの
京王線の新宿駅で青と黒が印象的な「メイキング・オブ・ムナカタ」のポスターを見た瞬間、これはどうしても行きたいと思った。その理由は、今年の秋に彼の縁ある富山に訪問したこと、そして「何かみたことあるな…」という、懐かしい感じがしたから。
展覧会は予想以上に混んでいたけど、2時間半かけてじっくり見て回ることができた。大正〜震災、戦争、高度成長を生き抜いた棟方志功の作風には、あったかさと力強さ、時代の色がほんのりと映っていた。今回は「世界のムナカタ」を作り上げたもの、つまり「ワット(What)」メイキング・オブ・ムナカタについて考えてみる。
「世界のムナカタ」を生み出した版画という選択
棟方志功が有名になったのは版画だけど、10-20代前半はゴッホに憧れ、油絵がメインだった。しかし川上澄生の作品に影響を受けて版画に転身し、その後は仏教や古典をテーマにしたものを数多く生み出していた。
展示会でその数々を見ていくうちに、版画という技法は彼の表したい世界観と当時の状況、どちらにおいてもベストな選択だったように思えてきた。
理由の1つが版画ではより大きく・高い作品を作れること。すこし前に富山・南砺にある棟方志功の記念館に訪問したことがあった。ここでもっとも印象的だったのが、トイレだった。彼はトイレの壁や天井にまで絵を描いていたのだ。思い立ったら描かずにはいられないのだろうなぁ。
今回の展覧会でも、彼の「とにかくいっぱい描きたい」が表れている作品が多くあった。1枚の大きな版画だけでなく、小さな作品を組み合わせた大作も。この場合、絵画のように一枚の大きなキャンバスは不要だ。版画作品を組み合わせて屏風に張り合わせる。巨大なキャンバスのようなインパクトを生み出しながら、様々な展示会に運ぶことができたのだ。
だから棟方はもっと大きく、もっと背の高い版画作品を作り続け、それらを展示会に持ち込んで日本での評価を上げていった。
彼の生きた時代背景の観点からも、版画はメリットが大きかった。というか、白黒での版画作品ゆえに「世界のムナカタ」と言われることにつながったのかもしれない。
棟方志功が世界的に評価されたのは1950年代前半だと言われている。その当時、欧米では大量生産・大量消費が始まり、ポップアートが生まれ初めていた。このポップアートは、ビビッドカラーが多く使われ、大量生産・大量消費社会における大衆の生活を映していた。(アンディ・ウォーホルなどが代表的)
そこに現れたのが、仏教や「極東」の日本をモノクロ版画で表現した棟方志功の作品だ。ポップアートとは全く違う世界観を持つ彼の作品は、欧米のアートシーンで目を引くものがあったと想像できる。
どこか見覚えのある懐かしさ
棟方の作品は白と黒が特徴的だと書いたけど、色彩を使うのも上手かった。そしてこの色彩感覚は、戦時中に疎開した富山・福光(現・南砺市)の影響だと展示会で感じた。
少し話を戻す。戦争初期の棟方は、軍部に贈呈するためにスピード重視の筆絵で数千枚にのぼる不動明王の絵を描きあげた。その後は富山・福光に疎開した棟方。このときの作品は様々な色が使われていて、「富山で感性が開放された」という印象すらある。東京時代は主に仏教やキリスト教の経典、あるいは古典の歌など何らかのすでにあるストーリーを題材にした作品が多い。
でも富山に来てからは自身の生活の周りに映るものの数々を、鮮やかに描いていた。戦時下でテーマの決められた絵を描かされたことへの反動もあるかもしれないけど、富山生活で彼の感性が作品に表れていった気がする。
日本の自然と文化の瑞々しさを写しているから棟方志功の作品は観る人々の共感を生み出して、懐かしい気持ちにさせるのかもしれない。
そんな彼の作品を、彼が生きていた時代に建てられた国立近代美術館で見られたのはとっても良かったです。
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