Accidentally Wes Anderson(ウェス・アンダーソンすぎる風景展)
ウェス・アンダーソンの作品を初めて観たのは、大学3年生の時だった。交換留学でカナダへ行く際の飛行機で『グランド・ブダペスト・ホテル』。構図の可愛らしさとシニカルな内容に惹かれた。
あれから約10年。ウェス・アンダーソンは意外な形で日本での知名度を高めた。「映える」写真展、という形で。
「〜すぎる」という今らしいタイトルの企画展は、やはり若者だらけだったけど総じて良かった。なぜならウェス・アンダーソンの世界観を再現しつつ、独自の空間を生み出していた。彼の作品は登場しないのに、これはすごいと思う。
ということで今回は「キュレーションと写真の構成」それぞれの観点から、Accidentally Wes Anderson展(以下、AWA展)を振り返ってみる。
全体的に感じるキュレーションの重要性
AWA展はキュレーションがなくして成立しなかった。写真1枚1枚もいいのだけど、それだけでは単に「ウェス・アンダーソンっぽい写真」で終わってしまう。
企画が成立するのは、その空間に新たな世界が作り出されていることだと思う。AWA展はそれができていたのだ。
特に良かったのはターコイズブルーをテーマにした写真が並べられ、それがグラデーションのように変化していくパート。世界各地で撮影された写真が、ターコイズブルーというテーマのもとに集められ、その空間自体が1つの作品となっていた。思わず、「ああ、キュレーションってこういうことだよな」と感じた。
灯台のエリアも好きだった。灯台といっても写真ごとに表情が違うのが面白い。そして壁の色によって、写真がさらに「映える」ようになっている。(部屋に写真を飾る際は、写真ではなく壁の色で選ぶのがいいかもしれないな)
なぜ人は偶然(Accidentally)に惹かれるのか
キュレーションが肝とはいえ、やはり写真も大切。集められた写真は、全体的に平面的な印象だった。絞りがなく、遠近法の逆バージョンのようなフラットさが特徴的。水性線や座席は対象物を引き立てる額縁となり、コントラストが鮮やな色合い。
そしてふと「人はなぜ、左右均衡に引かれるんだろう?」という疑問が生まれる。
そもそも建物の左右均衡は、偶然(Accidentally)ではない。ほとんどの建物は、設計された時点で左右均衡になっているのだからそれが当たり前だ。
では、私たちが惹かれる偶然(Accidentally)は何か。それは自然や人が作り出す「一瞬」の景色なのだと思う。わかりやすいものだと、人や乗り物が通った瞬間。あるいは動物が横切った時。
でも建物だけの写真だって、偶然は生まれる。その瞬間の光の当たり方や撮影者の手元など、ほんのわずかなことで写真は変わるのだ。この偶然性に人は心が動かされるのだと思う。
これからのアートシーンで重要な力
私はアートに詳しくないけれど、こういった企画が今後ますます増えていくと感じた。卓越した一人の作品より、面白いことやってる人々のものを集め、彼らの作品をキュレーションし、空間としての新たな価値を生み出す。
インターネットで作品を観ることが容易になったことで、より空間の価値が高まっていくだろう。それゆえ異なる作品同士を組み合わせるキュレーション力がこれからのアートでは重要になってくる気がするし、そんな企画展にこれからも出会えることが楽しみ。
……と、ここまでポジティブな感想を並べたけれど(実際には80%良かった)、写真を撮る人の多さと、ディズニーランドのような演出に辟易してしまったのも事実。もう少し落ち着いて、自分のペースと解釈で鑑賞できればもっと良かったかもしれないな。
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