自己肯定感と創作について



僕は圧倒的に自己肯定感が低いと自負している。その原因は幼少期に遡るだろう。自分に自信がない人や、自己肯定感が低い人は、幼少期に親に褒められた記憶がないか、否定された記憶ばかりがある場合が多いとされる。私が知る限りではそうだ。おそらくこれは心理学などで一般的に認識されている見解だろう。三つ子の魂百までという言葉があるが、それほど的外れではないだろう。それほど幼少期に受けた影響は大きい。

僕の創作意欲がほとんどないこと、芸術に対する興味が乏しいのは、その影響かもしれない。芸術とは自己肯定の極致だと思っている。現代アートなどでは、ある程度の反権力的な側面があり、体制側や群衆の価値や賛同を得られないことが多いからだ。そのため、信じられるのは己の価値観と自己肯定感である。大抵の人はその自己肯定感がそこそこか、それ以下、平均的に育つ。ここでは触れないが、その原因は最近の平均的教育の影響だと思う。

絵を描くよりもテストで良い点数を取ることが重視され、それが数値化された価値観であるため、多くの親は子どもをそのバロメーターで測る。すると、自己肯定感は学問的バロメーターに依存することになる。学問的バロメーターが低いと、自己肯定感も低くなりやすい。子どもが勉強せず好きなことをしていると、大抵の大人はそれを矯正しようとし、結果的に勉強嫌いになり、成績も悪くなり、親に否定されることになる。こんな状況で自己肯定感が上がるわけがないだろう。

自己肯定感は創作意欲に直結していると思う。創作とは他人の前で自分を肯定するかどうかにかかっている。大抵の人はそこで挫折する。僕もその一人だ。昔は空想が好きで、空想ばかりしていたが、最近ではその空想もなくなってしまった。創作の源泉はそこにあったのかもしれない。しかし、いつしかその創造の源泉を愚かだと考え、自分で閉ざしてしまった。もしその創造の源泉をこじ開けていたら、今はもっと違っていたかもしれない。とはいえ、たらればは無意味なのでどうでもいいが。

推測だが、自分はきっと芸術や創作が好きだった。しかし、自己肯定感の低さゆえに、それをやめてしまい、結果として芸術やアートへの興味も失ってしまったのだと思う。さて、疲れたのでここまでにしよう。また時間を無駄にしたかもしれないが。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?