ただのひと

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最近の記事

結婚てきめえ

何かをするたびにいちいち承認を得なければならない。 なにかをしたいと考えても、いちいち嫁の顔色を伺わなければいけないし、ぐちぐち文句いわれる。まさに自由を差し出すと言ってもいいだろう。 休みの日になればどこかへいくように仕向けられる。 ただでさえ、週五日で働いてるのに、土日の時間でさえも、他人に拘束されるとか、その生活はまさに奴隷そのもの。 世の中の奴隷たる旦那たちは、それが気持ちよくなってくるのかな。 それでも子供は可愛いという苦しい言い訳 結婚の良さの一つとして

    • 内面化される畜犬本能

      犬という動物がいる。 私は犬を飼っている。犬が好きだ。何せかわいい。 犬には人との社会性があり、そこが評価される。 しかし、これらの飼い犬が最初から人との社会的交流を持っていたわけではない。 何世代も交配を重ね、人の都合よく繁殖を促され、半ば強制的に人間に従うように改良された。 言わばその血肉に、社会性を刻印されるわけだ。 実は人間も同じようなことが言える。 人間は欲求でのみ行動すると、裁かれることを教師や親から学ぶ。 人に危害を加えないこと、愛することや助け合うことが良いこ

      • ハイデガーはビジネス本に搾取されがち

        ハイデガーは、非本来的に生きることや世俗的に凡庸に生きる人間を「ダス・マン」と呼んだ。 要するに、社会が要求する課題や期待に左右されて行動する人間を、非本来的に生きる人間と定義づけた。 対して本来的に生きるとは文字通り、自分の本来の価値観に基づいて生きることである。 自分は哲学者でないので、浅い見解で申し訳ない。 では、ハイデガーが言うように、本来的に生きるにはどうすればいいか? 「メメント・モリ(死を忘れるな)」である。 死を忘れないことによって、社会の喧騒を離れ、自己の存

        • 人間社会における差別と優越性の必要性:学歴偏重社会から見る人間の本質(chatgpt著)

          # 人間社会における差別と優越性の必要性:学歴偏重社会から見る人間の本質 現代社会、特に日本のような学歴偏重社会を観察すると、人間という種が常に何らかの形で差別と優越性を求める傾向があることが見えてきます。この現象は、単なる社会の歪みではなく、人間の本質に根ざした深い問題かもしれません。 ## 1. 人間の本性と比較の習性 人間には、自己を他者と比較することで自身の価値や位置づけを定義しようとする根深い傾向があります。これは、生存競争の中で進化してきた本能的な行動パター

        結婚てきめえ

          スマホ社会は気持ち悪い

          クソガキならいざ知らず、いい歳したおっさんが小さい板に夢中になってぽちぽちしてる姿は本当に気持ち悪い。 何が気持ち悪いってそれを他人の迷惑も顧みず歩きながらとか、チャリになりながらとか、車を運転してるのが尚気持ち悪い。 自分は前を向かなくても、他人がどけばいいという自分勝手な他人への無関心さが気持ち悪い。ぶつかれば舌打ちというガキのような大人等。 そういうノンモラル的な行動をしてるのに、マスクはしっかりつけてるのが気持ち悪い。損得勘定でモラルを使い分けてるのが気持ち悪い。

          スマホ社会は気持ち悪い

          記事書くのめんどくさいので、Chatgptに「真理の危険性」を聞いてみた。

          以下Chatgpt先生の見解である。画像はcopilotで作成。 真理の危険性 序論 真理は、哲学や科学の分野で最も重要な概念の一つであり、人間が世界を理解し、秩序を構築する基盤となるものです。真理の追求は、知識の発展や技術革新を促進し、社会全体の進歩に寄与してきました。しかし、真理そのものには潜在的な危険性も存在します。真理は時に力を持ち、私たちの思考や行動を制約し、社会や個人に負の影響を与えることがあります。本記事では、真理がどのようにして危険な存在になり得るか、そ

          記事書くのめんどくさいので、Chatgptに「真理の危険性」を聞いてみた。

          自己肯定感と創作について

          僕は圧倒的に自己肯定感が低いと自負している。その原因は幼少期に遡るだろう。自分に自信がない人や、自己肯定感が低い人は、幼少期に親に褒められた記憶がないか、否定された記憶ばかりがある場合が多いとされる。私が知る限りではそうだ。おそらくこれは心理学などで一般的に認識されている見解だろう。三つ子の魂百までという言葉があるが、それほど的外れではないだろう。それほど幼少期に受けた影響は大きい。 僕の創作意欲がほとんどないこと、芸術に対する興味が乏しいのは、その影響かもしれない。芸術と

          自己肯定感と創作について

          知識不足はロジックと経験で考えるしかないのか。

          最近noteを始めたのだが、もうすでにネタが尽きてる感がある。 そもそもnoteを始めた当初は、自分の、世界に対する不満や、内面を吐露する為に始めたので、それが無いということは、即ち現状に満足しているとも考えられるかもしれない、、 いや、そうではない、おそらく自分の書くという行動に対して抑制を掛けているのに違いない。というのは、自分の中で思っている世間に対する不満や批判の声、それらは結構知識不足なんじゃないか?という自分に対する疑念があるのだ。 例えば僕はホリエモンがあまり

          知識不足はロジックと経験で考えるしかないのか。

          休日は休日の憂鬱がある。

          待ちに待った土曜日である。 休日には休日の憂鬱があると思うのだ。 そもそも五日も働いて二日や下手したら一日しか休みがない場合がある。 しかしながら、休日というのはいかんせん難しい。 ダラダラするのもなんか勿体無いし、かといって張り切り過ぎるのも疲れる。 休日というのはなんとも難しい。 そんな概念とはおさらばした世界線で生きたい。 よく巷では、働かないと不幸になるという詭弁を言うものがいるらしいが、僕は全く理解できない。 それは仕事以外に何もない主体性の無い人間の理論であり、労

          休日は休日の憂鬱がある。

          僕にとって書くことが無いという事=メンタル安定。

          自分は自分の内面を見つめるおよび、吐露する為に、noteを始めた。 というのも、自分の頭の中には常に思考の弾丸が飛び交い、戦場と化しているからだ。 こうなると、その戦争を鎮静化する為に、ある程度鬱憤を晴らさなければならない。 noteの効用もあってか、今日は書きたい事がない。 普通noteをやってる人であれば書く事がないというのは、嘆かわしい事かもしれないが、僕からすると書く事がないというのは、ある程度戦場が鎮静化し、 メンタルが安定している証拠なのかもれない。 誰かに読んで

          僕にとって書くことが無いという事=メンタル安定。

          花の舞のアトラスイベント

          初めて述べるが、私はアトラス信者である。 アトラスは老舗のゲームメーカーであり、35年以上も続く歴史の深い会社である。ちょうど私の2歳上にあたる。 今年2024年は、アトラスの豊作の年とも言え、様々なタイトルが発表された。 2024年2月には、名作のリメイク作品である「ペルソナ3 リロード」を筆頭に、6月には「真・女神転生V」などのビッグタイトルが発売され、今月9月10日には「ペルソナ3 リロード エピソード アイギス」が配信される。 それだけではない。 10月にはアトラ

          花の舞のアトラスイベント

          飯食ってるだけで金稼いでんじゃねえよボケ

          現在の貴族様ことYouTuber様は、ただ飯を食っているだけで、飯を食えるほど稼げるらしい。なんともうらやましい限りである。そういうと、「じゃあお前もやってみろ」と言われるかもしれないが、その正論には言い返せない。しかし、日常系YouTuberへのもやもや感は一体どこから来るのだろうか。ルサンチマンという言葉で片付けられるかもしれないが、この違和感の正体がわからない。 世の中にはもっと正当に評価される仕事があるのに、それを横に置いて、大衆の心を揺さぶって金を稼ぐやり方が、堂

          飯食ってるだけで金稼いでんじゃねえよボケ

          高学歴コンテンツに対する個人的見解。

          最近では、YouTubeや芸能界で、高学歴の人間が高卒を攻撃する内容が散見される。エンタメとして対立を演出し、視聴者の心を揺さぶるのは有用で、確かに見ものではある。ちなみに、僕は地元の最底辺高校を卒業しており、有名大学卒の人からは攻撃対象となるかもしれない。 しかし、なぜ昨今ここまで学歴に基づく対立のコンテンツが顕著に現れるようになったのだろうか。高卒の浅はかな考察を見てほしい。大きな理由の一つは、あらゆる職業において、高卒と大卒の差異とその壁が薄れてきたことだと思う。専門

          高学歴コンテンツに対する個人的見解。

          労働と怠慢

          働くのが嫌い。暑いのも嫌い、寒いのも嫌い。人と話すのが嫌い。皿洗いが嫌い、洗濯が嫌い、掃除が嫌い。運動が嫌い。 このように、生活の大半が嫌いである。 こうなると、生きるのは結構辛い。そう言うと、心無い人から「死ねば?」という言葉が返ってきそうだ。実際、母親にも似たようなことを言われたことがある。 僕は、人間は大抵怠惰な生き物だと思っている。しかし、それを口にすると、ネガティブだのニートだのと言われる。でも、よく考えてみると、世の中は矛盾に満ちていないだろうか。だって、怠

          正義という言葉が死ぬほど嫌い

          正義という言葉でどれだけの人間が死に、どれだけの人間が苦しんだか、過去の歴史を見れば明らかだ。かつては神の名の下に正義が制定され、その名のもとで多くの人が殺された。 また、お国のためという正義によって、どれほど多くの若者が命を失ったことか。 最近では、マスク警察やコロナ警察による正義が、個人の身体の自由を裁いた。最もたちが悪いのは、当人たちがそのことを忘れていることだ。正義とは、なんとあやふやで身勝手で、気が移ろいやすいものだろうか。なんという自己催眠なのだろうか。 正

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          今日書いた原稿消えたから記事投稿はなし

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