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HSPの私がこれまで歩んできた道-後編-

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前編に引き続き、HSP・INFPの私のこれまでどんな人生だったかを綴ります。


④大学生

大学生の時に、HSPについて知りました。
イルセ・サン著「鈍感な世界に生きる繊細な人たち」を読み、すごく納得して楽になったのを覚えています。
今まで漠然と感じていた生きにくさが、繊細・敏感だからと知れ、病名が付いたみたいな感じですごくすっきりしました。
どんな場面で疲れやすいかを言語化して下さっていたので、自分でも自分の事を理解できるようになっていきます。
また、同じような人がいるんだ、と知れました。

大学生活は楽しかったです。
自分が選んだ専攻には、同じような志を持った学生が多く、とても生きやすかったです。
ここで信頼できる友達ができました。今ではそれぞれ家族ができたり住む場所がバラバラですが、毎年会っています。

大学で演劇部に入りました。友達に誘われて入ったのですが、面白かったです。
みんなで一つの舞台を作り上げる事が楽しかったですし、ここのテーマは何、ここはどんな感情か、とかっていうのを役者さんは演技で、照明さんは照明で、大道具さんは大道具で表現するという事が楽しかったです。
HSP・INFPはこのようなクリエイトするという事に、とても喜びを覚えるみたいです。


⑤就職

楽しかったです。全国各地から集まった同期が30人いたのですが、みなそれぞれ個性があり、優しい芯のある人達でした。
一緒にいてザラりと嫌な思いをすることが全然なかったです。

当時苦手だったのは、人から見られている場面と、少し怖い人に声をかける場面です。
新人の頃などは、先輩がついてくださって一緒に見ていて下さるのですが、それが本当に苦手でした。見られていると思うと、緊張して上手く出来なかったです。
また、少し怖い人に声をかける場面も苦手でした。今忙しさ大丈夫かな?機嫌大丈夫かな?、冷たくあしらわれたらどうしようとかグルグル悩んでいました。

就職してから、色々とチャレンジして失敗もして、学ぶことも多かったです。またこの頃はYoutubeのクリスの部屋というチャンネルで、感情だったり脳科学について学んだり、HSP関連の本などを読むことで、より自分に対する理解度が深まりました。
そして、すこしずつ自分の苦手な場面を減らしていきました。気の乗らない飲み会は断るとか、人間関係がいい雰囲気のチームに希望を出すなどして、「しんどい」を減らしていきました。

就職してからもクリエイティブな活動をして楽しんでいました。
大学までデジカメやスマホで写真を撮っていましたが、就職してからフィルムカメラに惹かれ、購入しました。フィルムカメラの優しい雰囲気が大好きで、フィルムを買って現像してと少しお金はかかってしまいますが、楽しんでいました。一度インスタグラム上で行われたフィルムカメラ写真のコンテストに応募し、賞はとれませんでしたが取り上げられました(笑)

同じようにクリエイティブな友達ができ、その子とスカートを作るワークショップに行ったり、ノートを作ったり、江戸切子の体験をしたりしました。そういう時間はワクワクするので、やはり創造するのが好きなんでしょうね。

山にもハマりました。人が少なく自然が豊かで、リフレッシュ出来て、私のストレス発散は山だと言い切れます。また、おばあちゃんになっても山に登れる体でいる事が私の目標です。

⑥ホームステイ

これまで、ホームステイをさせていただいた事が3回あります。
そのうちの1回がHSP・INFPにとってしんどい環境だったので、それについて書こうと思います。
(その家族にはとても感謝しています。国民的な背景や考えの違い・性格の違いなどがしんどかったので、それを書いていきます。)

前編の高校生の時に一度目の暗黒期だと書いたのですが、このホームステイ時は二度目に沈んだ期間でした。
しんどかった原因一つ目に、境界線(バウンダリー)をお互いに引けていなかった事があります。
相手は私のためによかれと思って、意見を強く多くする方でした。また、国民性としても、おせっかい焼きでもあります。
そして私も当時は境界線を上手く引けていませんでした。「郷に入っては郷に従え」で暮らしたかったので、そこの土地の方がそう言ってるならと受け入れていました。また、元々衝突を避ける性格で自分の主張することが苦手だったので、受け入れていました。
しかし、相手が意見してくださる事の中には、自分にとっては嫌だなと思う事もありました。
例えば、「あなたは痩せすぎているからもっと食べて太りなさい、太っているのは綺麗なんだよ、ご飯は茶碗二杯がノルマだよ」などと言ってくれていました。
私は登山やマラソンが好きで、それらを楽しむために太りたくありません。そして何より、本当に毎日お腹がいっぱいでした。美味しく食べれる量を越していて、無理やり食べていました。それらを拙い外国語で伝えるも、「いや、まだお腹いっぱいじゃない、食べな」と言われていました。
そして自分の住む地域に他に日本人はもちろん外国人がいなかったので、私の考えはマイノリティでした。

これは一例ですが、このようなやり取りが毎日毎食、そして食事以外な場面でも続いていくと、だんだんと自尊心がすり減っていきました。
「私の意見は何なんだろう、私の人権は?」となっていきました。段々と自分の意見が無くなっていきました。そして、笑えなくなっていて、無気力になっていました。

そして、もう一つしんどかった原因があります。それは、一人時間・一人空間の確保が難しかった事です。
相手の国民性・地域性として、家族を大切にする文化があります。
同じ家にいて一人の部屋をもらえていましたが、ドアを閉めるという文化がありませんでした。私の部屋はリビングの隣だったので、常に誰かが通るたびに見られる状態でした。

私は一人時間が大切な人間なのですが、相手は「一人は寂しい」という考えの方でした。
私が一人時間を必要だという事は相手には理解されませんでした。職場でも気を張り、帰っても休まらないというのは、しんどかったです。

ただ、ここまでに相手にまったく悪意はありません。
本当に相手は私のためにいつもたくさん料理を作ってくれ、寂しくないようにしてくれていました。
悪意が無いのでこの行き場のない思いをどうする事もできませんでした。

結局、この後ホームステイを出て一人暮らしを始めました。
一人暮らしで一人の部屋・一人の時間が確保でき、自分の食べたい・食べれる量だけ食べる生活になり、精神的にも浮上できました。

この時に学んだのは、親切は相手が求めているものでない場合は、親切ではなくなってしまうという事です。
相手が望んでいる事なのか、それとも自分のしたい親切なのか、そこは見極める必要があるなと思いました。

自分が色々と気にしなければ一緒にもっと居れたのかな、他の人だったら上手くれたのかなとか思いますが、もうその当時は心がボロボロだったので、ホームステイを出させてもらって正解だったのかなと思います。

これが人生で二度目に沈んだ時でした。

この間も色んな本に救われました。
またこの時に支えてくれた日本の友達家族や現地の友達には感謝しかありません。
また、色んな経験・体験をさせていただき、ホームステイの家族にも感謝しております。

とりとめがない文章になってしまいましたが、以上がHSP・INFPの私のこれまでです。
今は元気になり、クリエイティブを楽しんでいます。
このnoteもその一つです。

これからも、繊細な自分だからこそ人に寄り添えたり何か役に立つ発信ができたらと思います。

いつも読んでくださる皆さん、ありがとうございます。

そよそ


お世話になった本のおすすめを貼っておきます。

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