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フィリップ・K・ディック『火星のタイム・スリップ』(ハヤカワ文庫SF)

読後に見ると泣ける、素晴らしい表紙

 フィリップ・K・ディック『火星のタイム・スリップ』(ハヤカワ文庫SF)、今日読み始めて今日読了。ヤバいぞ。面白すぎて丸一日読みふけってしまった。控えめに評価する。

 傑作。SFと思って読んだら、哲学書でした、っていうレベル。あと文学でさえある。これは、翻訳された方のお力をお見事と言わざるを得ない。

 フィリップ・K・ディックについては説明する必要は多分ないだろう。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』というタイトルはあまりにも有名だし、アメリカSFの巨匠だ。『ブレードランナー』『トータル・リコール』『スキャナー・ダークリー』『マイノリティー・リポート』、枚挙にいとまがない。何かしら映画で観たことのある作家だと思う。僕も一通り映画を観ているものだから、わざわざ小説を読もうとしたことがなかったのだが、今はそれを激しく後悔している。今後は読みまくることになりそうだ。

 『火星のタイム・スリップ』は、もちろん火星が舞台だ。地球から火星に移住した人間たちの波が収まり、ある程度の環境の発展を遂げ、そして緩やかに衰退を感じさせる社会的気運の中で描かれる、様々な立場の人間たちの群像劇だ。

 主だって物語に関わってくる人間が、結構な人数いる。冒頭では、次々に新しい人物の視点に切り替わって話が進むので不安になるのだが、無意味に登場する人物は一人もいない。全ての登場人物同士が、相互に、複雑に、結び付いていく。その様子をただ読むだけでも、十二分に楽しい。想像だにしなかった人物同士に結び付きが生まれていき、気付けば網の目のように張り巡らされた人間関係のとりこになってしまうのだ。

 そして、この作品には、僕が読んだこれまでのSF小説と明らかに異なる点がある。「非現実」がない。確かに舞台は未来の火星で、様々な空想科学の元に構成された物語だが、描かれるのは現代社会の延長だ。宇宙人もいなければ(ブリークマンという火星の土着民は登場するが)、巨大建造物も、恒星間宇宙船も、ロボットもアンドロイドも出てこない。むしろ、物語は淡々と、人間関係だけを描写し続ける

 仕事で家に帰れない夫、帰らない夫に不満を持つ妻、成績優秀なその息子、隣の家の夫・妻・陰気な四人の娘たち、労働組合長の富豪、その愛人、火星の環境改善活動を指導する女性実業家、機械修理工場の社長、その社員にして闇取引を行う男、その男にこき使われる修理工。まだまだ登場人物はいるが、やってることは現代社会の構図と何一つ変わらない。でもこの物語は間違いなくSFで、その上で社会政治思想善悪に揺れる感情、挙げ句には教育の本質まで示唆してくるのだから、たまったものではない。そしてもちろんタイトル通り「タイム・スリップ」する。時間まで絡んでくるので厄介な話だが、読んでいて混乱は全くない。混乱のしようがないくらい整然と物語が進むのだ。これを傑作と言わずにいられようか?

 この物語の中心には、「自閉症」がある。この「自閉症」は現代精神医学における自閉症とは意味が異なるが、精神疾患であるとして扱われている。未来の地球では人口が激増し人との衝突が多いためであったり、火星という新しい環境に馴染んでいけずに発生するもの、といった描写が序盤ではなされる。自閉症のみならず、「分裂症」などという記述も現れるため、当初、僕は「こういう言葉を軽々しく使って欲しくないな」と現実の精神障害者の一人として感じた。だが、ちゃんと最後まで読んでみると、この言葉を使った作者なりの意図を感じられたように思う。想像だが、筆者も精神疾患について、書いた当初での実態の調査を入念に行ったのだろう。驚くべきことだが、この物語のテーマは「精神疾患を持つ者と、健常者を分つものは何か」ということなのだ。書かれたのが1964年であるというのに、筆者は現在の精神医学でも通じ得る知見を示している。

「生きる目的はわからない、だからどうあるべきかということは、生きているものの目から隠されている。精神病のひとが正しくないとだれに言えますか! ミスタ、彼らは勇気のある旅をしている。ふつうの物事はかえりみない。ふつうのひとならうまく扱えて、じっさいの役にたてるようなことは。彼らは心の内に向かって真実を探す。そこには底なしの闇が、まっくらな穴がある。そこから戻れるとだれに言えますか。戻れたとしても、真実をのぞいた彼らは、どうなりますか? わたしは彼らを尊敬します」

フィリップ・K・ディック『火星のタイム・スリップ』、1964年、早川書房

 これを言語化したことに僕は敬服するし、だから「ただのSF」ではない、とも感じるのだ。フィリップ・K・ディックのSFからは、単なるエンタテインメントには留まらず、なにがしかの思惟を感じる。他の作品も読んでみないと分からないが、知性や鋭く切り込む視点の存在を、文章そのものから覚えるのだ。

 精神疾患云々の話を抜きにしたとしても、かなりの人数の登場人物をたった392ページで描き切ってしまう手管はお見事と言うしかない。いわゆる「SF」らしい物語ではないが、最後には驚愕の「SF」的結末が待っている。この終わり方も、非常に僕好みだった。今後の読書予定リストから外せない作者が増えてしまって、嬉しい限りだ。次は『高い城の男』『ヴァリス』あたりを読みたい。

 あと、この文庫の表紙も良いよね……。ずーっと見てられる。読み終わってから、マンフレッドのことを思ってこの表紙を見ると、込み上げてくるものがある。

 え? 村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス(下)』はどうした、って? い、いやいやいや、よ、読みますよ? こッ、これからッ!

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