機能はコモディティ化する。

※ これらは、僕がFacebookに日々したためている文章を、せっかくならとnoteにも投稿させて頂いたものです。気が向いたら、note用の文章も書くかも。こうしてあなたの目に留まったのも何かのご縁。ゆっくりしていってね!

【 機能はコモディティ化する。】

どうも、大学では一年間、ビリヤードサークルに所属していた、鈴木です。

なので、プレイキュー、ブレイクキュー、ジャンプキューの三本は持っています。

マイチョークは無し。

懐かしいですね、普通のスポーツと同様に ( と言うか、ビリヤードも立派な室内スポーツの競技ですが! ) 、ちゃんと日々練習に励んでいました。

なので今でも、全く出来ないよりかは出来る方かと。

ビリヤードは良いですよ。

本当に老若男女、一生涯遊び続けられるスポーツって、そこまで多くないと思いますから。

ジャンプショットは一応練習はしたけど、実際に使う場面 ( 使わないといけない場面 ) にはほとんど出くわさないイメージ。

さあ、これを読んだあなたも、レッツプレイビリヤード!

... はい。

本日も書いていきましょう。

ー モノ消費からコト消費へ。

さあさあ。こんなスローガンというかフレーズって、聞いたことあったりしませんか?

どういう意味かって。

肌感覚レベルでは頷いて頂けるかと思うんですが ( 恐らく、正確には統計にもある程度は反映されてると思うんですけどね。) 、昨今のトレンドとして、一般的な物欲の低下が散見されます。

あなたの周りに、高級スポーツカーが欲しくて堪らないという人、どれだけいますか?

高級腕時計でも良いです。

つまりは、元号で言うと平成の中期ぐらいまでですかね。

いわゆるハイステータスの象徴だった物品たち。

( ちなみに、それらが好きだからと言って、その嗜好を批判する意図は皆無です。本旨は嗜好と選択肢の分散による、消費動向の変化なので。ちなみに僕は高級腕時計は大好き。いつかはレベルソデュオのピンクゴールドを買うぞ! )

それらへの物欲が、皆さん押し並べて、年々、減ってきていると感じます。

何か高い ( ざっくりとした庶民的感覚で ) モノを買いたいという欲望は、分散化していっています。

インターネットによる情報革命によって、マーケティングチャネルが複雑化し、ブランディングも難しくなりました。

その上ですね、技術の発展によって、一定の高水準がデフォルトになった事が大きな要因かと思います。

例えばですが。

ー 冷蔵庫を買う時に、こだわりはありますか?

メーカーのこだわり、色のこだわり、大きさのこだわり。

大小含めれば、ある程度はあると思うんですが。

究極の話しをしますね。

家電量販店に行って、ザッと並んだ大量の冷蔵庫を前に、何を思いますか?

僕は、どれも一緒じゃん!って、思ってしまいます。

もちろん、サイズ、色、価格あたりはザッと見比べるでしょうけど。

こだわりにこだわって一台を決めるか?と言われれば、僕はNOかなと。

( そもそもほとんど冷蔵庫を使わないという生活スタイルも影響してるでしょうけど。でも、もう数年間はそれでも困ってないし。)

これ、似た様な話しで言えば、テレビやエアコンなどにも同じ感覚を受けていて。

めっちゃエアコンにこだわるって人、あなたの周りにどれだけいます?

一定の価格帯になってしまえば、どれも似たり寄ったりの機能になっちゃうと思うのは、僕があまり強い関心を持っていないからでしょうか。

ずっと、何の話しをしているかって。

機能は、どんどんと陳腐になっていきます。

それすなわち当たり前であり、それが備わっている事に対しての感動って、もう無かったりしますよね?

テレビの画質が高くて、感動します?

エアコンからきちんと温風が出て、感動します?

しない、ですよね。残念ながら。

( 改めて、日本の生活の水準の高さには驚かされますよね。ありがたい環境なんですよ、本当に。)

洋服だって、ユニクロで充分じゃんって、言ってる人は増えたと思います。

ザ・無難の時代。

機能はコモディティ化していきます。

一定の金額を投じれば、皆んなが当たり前に思っている機能を、当たり前に所有が出来る。

まさにコモディティ。

残念ながら僕たち人間は、慣れると感動をしなくなります。

当たり前になります。常識になります。

エアコンが点けられる事に、毎日感謝するのは至難の業です。

( 意識すれば出来ますよ?出来ますが、という話しです。毎日、エアコンにありがとうって伝えてますか? )

どんどんと、モノや機能に対しては感覚が鈍くなっていってるのです。

その分、感動に対しての欲望が貪欲になっていった結果。

コト消費と言われる、体験への欲求が先進国を覆っていってます。

何かをしてみたい、どこかに行ってみたい。

お祭り、イベント、ライブ、フェス、エンターテイメント、旅行。

何かモノを買うんじゃなくて、何かのコトを体験する。その為にお金を投じる。

モノと機能に感情が起伏しなくなりつつある時代に、このトレンドの変化は当たり前だと言えるでしょう。

すると、何が起こるかって。

高水準が当たり前になれば、低水準が恋しくなります。

LINEでメッセージをもらうより、手書きの手紙がもらいたくなります。

懐かしく、不合理なあの頃が恋しくなってくるのです。

不思議なものですね。

( 音楽においても、昨今のシティポップやローファイムーブメントも、それらの流れを汲んでいるんじゃないかなと。)

機能から、意味や愛着へ。

物から、体験や思い出へ。

お金は、感動を求めて移動していく性質を持っている。

合理化が進む事によって、人間の欲求は原始回帰するのかも知れません。

( 古くには、パンとサーカスがそれらに当たるのかな? )

より不合理に、より人間らしく。

コモディティ化する機能からの脱却。

僕たちは、懐かしさに回帰します。

不合理で不便なあの頃へ。

はい、本日もお粗末さまでした。

本日も稚拙な書き殴りにお付き合い下さりまして、ありがとうございました。

文字で何かを伝えるという、これらも原始的な方法論。

少しでも、あなたの感情を動かせていたら本望です。

それでは、また明日。当分は、木曜以外は晴れ予報。

余談 ... 本日もShibuyaCross-FMさんにて二度目の出演。あれよあれよと言う間に、何故か SHIBUYA Blockchain Records ( 番組名 ) の運営にも入りそうに。誰か、出演しますか😳?

何故か運営側の椅子から。
有名なロゴ。

追記 ... よくよく考えたら、せっかく外部に弊社 ( というか僕だけど ) を出すのに、繋がる先が無いともったいないなと!

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