過去の自分にぶん殴られる
最近携帯のメモを整理していたときに、ふと昔自分が書いた言葉を見つけた。脈絡も無くさまざまな所に残されたそれらを見つけてはぶっ刺され、ぶん殴られていた。
不安で、大丈夫になりたくて、自分を保つために書いていたこと。
前に進んでいることを実感し、自信に満ち溢れていた時に書いたこと。
痛くて、刺さった棘が何年も抜けなかった頃の叫び。
悶々と考えていたことが繋がって、「これだ!」と確信して綴ったこと。
どんなに綺麗事であっても諦めたくなくて、負けたくなくて、忘れないでいたかったこと。
その時その時に感じていたことを想像以上に書き留めていた。
整理整頓が苦手だから色んなところに書いてしまって、どこに書いたも忘れているし、そもそも書いたことさえも忘れているものばかりだけれど、そういったその時のエネルギーの放出みたいなものに出会うたび、今の自分に問いかけられてる気持ちになる。
過去の自分が真っ直ぐに今の自分を見つめている。
あの時私が諦めたくなかったことを、私は今諦めていないだろうか。
不安で、でもちゃんとそれから目を逸らさずに、どうにかして立っていようと足掻いていた頃の自分に今の自分を胸を張って見せれるのだろうか。
あの時大嫌いだった狡い大人のようになっていないだろうか。
弱気になって、大切にしていたことを忘れてしまっていないだろうか。
人は年々誤魔化すのが上手くなると思うけれど、ちゃんと自分の目で見つめて、向き合って、そのめんどくささやしんどさから目を逸らさない人でいたい。
それが今の私に出来る過去の自分への返歌であり、未来の自分との約束だと思う。
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