体験の純度
体験には必ず不純物が付随する。それはある種内在的な、不可避のものではあるにせよ、我々を感動から遠ざける厭らしいものである。だから我々は、卑近の些事には感動できず、圧倒的な大自然を、はた不純物を取り除き感性を揺さぶる主要素を誇張させたような人工物を愛する。
僕は今日も音楽を聴く。小説を読む。しかしそれらの体験は謂わば、殆ど反抗的と言ってもいいような感動への憧憬を矯め殺さんが為のものかも知れない。だから、他人がでっち上げた偽りを心の裡に陣取られないように、せめて自らの虚構に浸っていたい、そう思いたいのである。
(Kyojin)
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