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# 拡散する世界で

わたしが本を読む理由のひとつに、実体験することなく痛みを知ることができる、ということがある。

もし、病気になってしまったら。
もし、事件に巻き込まれたら。
もし、この世から本がなくなってしまったら。
もし、戦争のある時代に生きていたとしたら。

本を読むことでわたしはその痛みを追体験する。悲劇は起こりませんようにと祈る。起こさないようにと慎重になり、世界がよくなるためのなにかをしようという気持ちが生まれる。

『#ある朝殺人犯になっていた』筆者・藤井清美さんの推薦コメントの中にあったこの部分、

『#ある朝殺人犯になっていた」で描かれるのは、ある日突然、SNS上で全く身に覚えのないひき逃げの犯人にされてしまう主人公です。彼のように当事者になる可能性も、反対に、意図せずとも誰かを追い詰める危険性も、現代を生きるわたしたちは両方持っています。

わたしの気持ちに似たものがあり、読むことを決めた。

テーマは「SNS」と「ひき逃げ事件」。
主人公は売れていない芸人・浮気(うき)淳弥。SNS上でかつてのひき逃げ事件の犯人と疑われてしまい、本人の手に負えない早さでプライベートな情報が拡散されていく。事件は時効を迎えようとしていてネットは炎上し、淳弥は攻撃される。
これは誰にでも起こりうることだ。芸能人ということで本名でやっていたり、あらかじめ開示されている情報が多かったりというくらいで、一般人であっても個人情報が漏れる場合は往々にしてある。ネットは社会の縮図のように見えて、普段は見せない裏の顔も存在する。匿名だからこそできる意見は、良くも悪くも厳しく鋭くなっていく。

「事実って集めても真実にならないんだよ」
淳弥の言葉にも文中の言葉にもはっとさせられることが何度もあった。あたかも本物であるように作り上げられていく恐ろしさ。誰も信じられなくなってしまう。すべてが悪意に取られてしまう。大勢の力は協力にもなるけれど、暴力にもなる。

「この人になら悪意をぶつけても許される」という生贄を作ることになる。それがいまはストレス発散になっているのか、正義になっているのか。わからない。それでも、ターゲットになった人が受ける苦しみはあまりに大きい。

時間が経って、世の中が一旦忘れてくれても、安心できない。またいつあんなことが起きるだろうって、ずっと怯えることになる。きっかけはなんだってあり得るんだから。 p.320

時間が経っても、ずっとネット上には残り続けるデジタルタトゥーもそうだし、一部の人は忘れることなく責め続ける。消えることのない傷になる。もしも噂されていることが事実ならば、正しいならば、攻撃し正義を振りかざすことは許されるのか?
この本では、淳弥は人生を取り戻すために犯人を見つけるという希望を見つけだす。信頼できる人がいるということはこれほどまでに力をくれるということを思い知った。もしわたしが疑われたら、そばで無条件に信じて支えてくれる人はいるのか、正直自信がなくなってしまってちょっと怖い。
SNSでは、大小あれどこういうことが繰り返されている。当事者でない立場でいる限りは真実を100%知ることなどできないわたしたちは、どうやってSNSと向き合えばいいのか。このnoteも含めて自分の姿勢やこれまでの発言を振り返るべきなのかもしれない。

読書の秋2021で、U-NEXTが出版もしていることを知った。ひとつ学びました。そして、タイトルに#をつけることはSNSの戦略でもあるのかな?と思った。単にSNSがテーマだからかな。


#読書の秋2021  #ある朝殺人犯になっていた

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