なぜフェミニズムは存在し、女性たちは戦うのか? 4つの “波” と現代日本
フェミニズムは終わらない
2017年にフリージャーナリストの伊藤詩織さんが上司による準強姦被害を訴え、ハリウッドでは女優たちが連帯して男性映画監督によるセクハラを告発した"Time's Up"運動が起こってから5年、日本でも園子温や榊英雄など有名映画監督によるセクハラや性被害の告発がありました。
男性権力者による女性の性的搾取が明るみに出てきていることは良いことですが、日本における性的暴行に対する処罰は法的にも社会的にも非常に弱いです。また、過剰な性的コメントへの問題意識の高まりに対し「なんでもセクハラだと言われては困るな〜」と生きづらさを訴え、女性の権利主張そのものを揶揄する人が余りにも多いです。
ツイッターを始めとする日本のSNSでは、フェミニストを自称する人の主張は過激思想としてレッテルを貼られて「論理的でない」と攻撃され、すべての性にとってのより公正な社会構造を望む声すらも、未成熟で過度に単純化された議論に埋もれてしまっている現状は認めざるを得ません。
私は、日本社会において構造的に女性が抑圧され、多くの特権保持者(男性や、男性に独占された様々な権利を持つ女性)によってその構造が疑われてこなかった歴史が長すぎると思います。もちろん問題を抱えているのは日本だけではありませんし、女性だけが権利的マイノリティーではありません。しかしもう2022年です。表面的な「エンパワメント」や「女性活躍推進」を終わらせ、性差が他の機会格差の誘因とならない社会にしていくにはどうすればいいのでしょうか?
この記事の構成について
この記事では、主軸としてVOX.comに掲載されているConstance Grady氏が書いた非常に分かりやすい記事:
'The waves of feminism, and why people keep fighting over them, explained' の和訳を中心に、より最近の時期に関しては付言をしながらアメリカを中心に起きているフェミニズム4つの波(Waves)の簡単な解説を行い、最後に日本におけるフェミニズムの文脈をごく簡単に付け加えて説明します。情報の出典はなるべく文中に提示していきます。
さて、原始のフェミニズムが生まれたのはアメリカだけではありませんし、「あれ?女性ももしかしたら人間かもしれないぞ?」と人々が思い始めた痕跡はもっと前の時代からありました。しかも「波」と言うと、出ては消えるフェーズのような雰囲気があるだけでなく、一つの「波」で括られる時代には様々な考えがあるのにそれらが一枚岩かのような誤解を生みかねないので、昨今はこの捉え方には賛否両論あります。
しかし、現代のフェミニズムが抱えるあらゆるニュアンスや主張の背景を議論する上で、女性解放思想に基づく政治運動の変遷というのは大事な概念になってきています。だからこそ日本におけるカジュアルなフェミニズム議論での登場が少ない「波」という概念を導入し、より思想史に配慮のある議論に寄与できればと思います。これらの「波」を知ることでフェミニズムの多様性や変化、進化、未完成性と発展可能性を知っていただけたらと思います。
さて、本題に入る前に少し留意点があります:
なるべく分かりやすく伝えられるよう努めますが、回りくどいと感じる場合もあるかもしれません。扱う問題が複雑であるが故ですので、フェミニズムをれっきとした人文学として受け止め、是非頑張って読み進めてみて欲しいです。要点は各章冒頭でまとめるのでそちらに目を通すだけでも理解の助けになるかと思います。
こちらの記事はフェミニズムの歴史を時系列で追ったものです。現代のフェミニズムについて深く切り込んだものではありません。記事の最後に私なりのおすすめ図書をご紹介しますが、私は学者ではなくあくまで学習者です。より包括的で学術的な文章を読んでみたい方はぜひ研究者の著作や学術論文に当たってみてください。
私の他の記事を読まれた方からすると大きな傾向チェンジに見られるかもしれませんが、フェミニズムは社会のあらゆる論点と地続きだと考えています。この記事をはじめとして、より日本社会に根ざしたフェミニズムの問題、SNSでのフェミニズム関連議論へのコメント、日常生活や学生生活における問題などあらゆる文脈に当てはめてフェミニズムを身近に感じで頂けるように別記事にて議論できたらと思います。今後も読んで頂けたら嬉しいです。
フェミニズムの “波”
フェミニズムが波の集合体と捉えられるようになったのは1968年にマーサ・W・リアーがニューヨークタイムズ紙の記事に書いた見出し「第二波フェミニズム」がきっかけでした。これは第一波フェミニズム(アメリカでの白人女性の選挙権獲得など)の動きが衰退した後、フェミニズムが再勃興したためです。「波」という考え方は時代や世代によって変化したフェミニズムの主要な主張を捉え、それぞれの立ち位置を把握するのに便利でした。これにより、第一波に当たる20世紀初頭のサフラジェット(アメリカの女性参政権を訴える運動)が突飛で過激な発想ではなく、続く世代の女性の権利のための連帯を可能にする入り口だったと捉えられるようになりました。
しかし、「波」という考え方は前述の通り完璧に現実を反映したものではありません。このメタファーがフェミニズム史の捉え方として誤解を生みかねないというのは、2010年に歴史学者リンダ・ニコルセンが表明した考えです。ジェンダーによる権利格差の是正を求める諸運動が"波"のようにいずれは収まると考えられると、葛藤や対立が無視されたり、運動が「盛り上がって」いないというだけで重要な問題が無視されかねません。
くっきり時代ごとに分けてしまうと、フェミニストの間でも世代間に厳しい区切りがあるという印象を抱きやすいですが、実際には連綿と繋がって展開しているものだと彼女は捉えています。また、現在主流となっている考えは、殆どの場合は一つ前の時代で主流だった考えの傍流で温められていたものです。また、のちに説明するインターセクショナリティ(個人の中にも複数のアイデンティティが交差し、各人が質の異なる抑圧を経験している)という考えの導入によって、フェミニズムを「波」で捉えるのをやめようという動きも強まっています。
「波」の考えを思考の役に立てるにせよ、排除するにせよ、フェミニズム議論に欠かせなくなっているのは事実であり、棄却するならば一体何を棄却しているのかを知っておくのは重要ではないかと思います。「波」という考え方が孕む問題点を念頭に置いたところで、ここからサフラジェットから#MeToo運動までを含むフェミニズムの4つの「波」を説明していきます。
第一波: 1848 〜 1920
第一波フェミニズムはアメリカの女性参政権運動の形で持続し、憲法修正19条可決後に運動は分裂した。
成果:女性参政権の理論上の獲得
問題点:黒人女性の排除
第一波フェミニズムと呼ばれるものは、男女同権の思想そのものの起源ではなく、19世紀末〜20世紀初頭にかけて女性の参政権を求めて西洋諸国で持続した最初の政治運動を指します。70年間、第一波フェミニストは選挙権を獲得するために行進や講演会、激しい抗議デモを行っては逮捕されてきました。アイダ・ハーパーが書いたスーザン・B・アンソニーの伝記によれば、参政権というのはそれを獲得した瞬間、女性にとって「他の諸権利も確保させてくれる」存在として認識されていました。
1848年のセネカ・フォールズ会議が基本的には第一波の始まりと言われています。約200人の女性がニューヨークの教会に「女性の社会的、市民的、宗教的状態および権利を議論するため」に集会しました。ここで12の要求が定められ、その一つが選挙権でした。
会議は、奴隷制廃止論者でもあったルクレシア・モットとエリザベス・キャディ・スタントンによって組織されました(2人の出会いは、1840年の世界反奴隷制会議で、女性禁止だったために出禁になった時)。このこともあり、当初の新生女性運動は奴隷制廃止運動と強い結びつきがありました。ソジャーナ・トゥルースやマリア・スチュワート、フランシス・E・W・ハーパーなど黒人女性も運動の中心的人物として、女性参政権だけでなく全人種の参政権を訴えていました。
しかし、これら黒人女性の努力にも関わらず、エリザベス・キャディ・スタントンとスーザン・B・アンソニーらはやがて運動を白人女性の権利に限定することで運動を進めるようになっていきました。(例えば、1870年に憲法修正15条の承認によって黒人男性が参政権を得たため、元奴隷("field hands")より先に白人女性が参政権を得ないのはおかしいでしょう、と白人の非白人への優越を主張することで連携を図りました)このような経緯があり、黒人女性は一部の抗議デモから締め出されたり、白人女性の後ろを歩かされたりしました。
人種差別の問題があれど、女性運動は女性にとって急進的なゴールを展開していました。第一波フェミニスト達は参政権のみならず、教育や労働の機会平等や土地などの所有権も求めました(ほんの100年前まで女性は学校にも好きに通えず自分の土地も持てなかったのです)。
運動の発展とともに、性と生殖の権利(reproductive rights)も問題になってきました。当時ニューヨーク州法で避妊具の配布が禁じられていましたが、マーガレット・サンガーは1916年にアメリカで最初の避妊クリニックを開業します。彼女は後に "Planned Parenthood(家族計画・計画出産などという意味)"というクリニックを設立しました。サンガーについては賛否両論あるため別記事にて再び議論をご紹介します。
やがて1920年に議会が憲法修正19条を可決したことで、女性は選挙で投票する権利を獲得します。理論上はすべての女性に投票権が認められましたが、実際には、特に南部において黒人女性が投票するのは難しい状況でした。
黒人女性の実質的な投票権獲得だけでなく、生殖上の自由や教育・雇用機会の平等に向けてそれぞれの組織が運動を続けたものの、全体としての運動は分裂していきました。それぞれの運動を統一する強い文化的な勢いは失われ、再び運動が大規模化していくのは1960年代に入ってからでした。
第二波:1963 〜 1980
第二波フェミニズムは中産階級白人女性に担われ、多くのバックラッシュを受けて衰退。
成果:社会構造的抑圧としての性差別の可視化、理論上の男女賃金平等、女性避妊の権利、教育の平等、所有権の拡大、夫婦間レイプの違法化、セクハラの問題化、女性の客体化への抗議など。
問題点:黒人女性の排除、保守派からのバックラッシュ
第二波フェミニズムの起源は1963年に出版されたベティー・フリーダンの 『新しい女性の創造(The Feminine Mystique)』と言われています。もちろんフリーダンより前からフェミニズム思想を前進させる人々はいました。例えばシモーヌ・ド・ボーボワールの 『第二の性(Second Sex)』はフランスで1949年に、アメリカで1953年に出版されました。しかし『新しい女性の創造』の販売部数は3年間で300万部にも及び、社会現象になりました。
『新しい女性の創造』は「名のない問題」=女性は家庭に所属するべきで、それに不満のある女性は壊れているか変態であるという刷り込みを女性に対して行ってきた構造的性差別を非難する形で論を展開しています。フリーダンは「キッチンの床をワックスがけしながらオーガズムしなかったし、自分は何かおかしいのかと思った」と後に皮肉っていました。
しかし、彼女は女性自身に問題があるのではなく、女性達に創造的・知的活動をさせてくれなかった世界に責任があると論じました。あらゆる権利や行動を剥奪されていたわけですから、女性達が不満に思うのは当然だ、ということでした。
『新しい女性の創造』で挙げられる話はすでに学術界やフェミニスト知識人の間で議論されており、思想そのものが革新的というわけではありませんでした。革新的だったのは、その普及ぶりでした。この本は主婦が読み、友人に紹介され、教育を受け、家族とともにきれいな家に住む中産階級白人女性の間で大流行しました。そして、彼女達は怒る権利を得たのでした。
その300万人の読者が募らせた鬱憤をあらわにすると、フェミニズムは再び文化的な勢いを取り戻すこととなりました。第一波が求めた政治的平等だけでなく(これを獲得しきれたかどうかは別として)、社会的平等という、一つの統一的な目標を掲げました。
「個人は政治的だ(“The personal is political”)」 と第二波フェミニストは主張し、この言説はキャロル・ハニッシュによって流行しました。これがどういう意味かというと、個人的で些細に思えるセックスや人間関係、人工妊娠中絶、家庭労働などは、実際には社会構造的で政治的な問題であり、女性の権利を主張する上で根本的な問題だということです。
この運動はいくつか制度的・法律的勝利を掴みました。
まず、1963年の平等賃金法によって、男女賃金格差を理論上違法化し、60〜70年代に行われたいくつかの判決によって未婚・既婚に関わらず女性の避妊が可能になりました。タイトルⅨ(ナイン)は教育の平等を確保し、1973年にロー対ウェイド判決によって女性の生殖上の自由が保障されました(なんとこれは2022年5月に覆され、キリスト教保守派とリベラルの間で今大論争になっています)。
他には女性が自分名義でクレジットカードを持ち、住宅ローンに申し込む権利などのためにも戦いました。夫婦間レイプの違法化や家庭内暴力への認知向上を進め、レイプや家庭内暴力から逃れる女性の保護施設建設も行われました。また、職場内セクシャル・ハラスメントの認識とその法的禁止の為にも活動しました。
これらの制度改革と同等に、第二波フェミニズムの主眼は社会の女性に対する考え方にもありました。運動は、社会や日常の隅々にまで浸透した、「女性は家庭的で装飾的な生き物である」という考えや、それを増強するような価値基準を「性差別だ」と認識することによってそれら固定概念を取り壊すことを目指しました。
第二波フェミニズムは人種差別にも関心がありましたが、その扱いは不十分に終わりました。女性運動の発展とともに、運動は反資本主義的、反人種差別・市民権運動に根ざしてはいたものの、黒人女性らは女性運動の中心からは弾かれるようになっていきました。
『新しい女性の創造』が指した「名のない問題」は特に中産階級白人女性が抱える問題で、自分で働いて生計を立てなければならなかった女性は、働かないことを奨励されていた中産階級白人女性らとは全く異なる種類の抑圧を経験していたのでした。
そもそも家の外で働く他なかった黒人女性にとって、働く権利を得ることは大した懸念点ではありませんでした。黒人も白人も共に生殖の自由を主張したものの、黒人女性たちは避妊や中絶に加えて有色人種や障害を持つ人々に強制されていた断種の中止を求めました。ご想像の通り、これは運動の中心にいた白人女性の最優先事項ではありませんでした。これに対し、黒人フェミニストの間でフェミニズムを脱して「ウーマニズム」を作る動きが生まれました。(「ウーマニストとフェミニストの関係は、紫色とラベンダー色のような物(≒ウーマニズムの方が包摂的)」とアリス・ウォーカーは1983年に書きました。)
限定的な対象にも関わらず、第二波フェミニズムの最盛期の急進的な運動は人々の印象に強く残りました。(これによって、ブラを燃やす女性たちのイメージが固定化されました。実際には大規模なブラ燃やし活動はありませんでした。)ただ、1968年のミス・アメリカコンテストへの抗議デモは大規模に行われました。彼女たちはミス・コンテストの侮蔑的な、家父長的な女性の扱いを非難し、抗議の一環として、参加者は女性の客体化(物扱いすること)を象徴するようなブラやプレイボーイ誌(女性ヌード写真を多く掲載していた)を捨てるなどしました。
このように、ブラを燃やしたりミス・コンテストに抗議する姿が、戦後アメリカのフェミニズムのイメージとして固定化され、フェミニズムを過激なものとみなすバックラッシュとして代表的に用いられてきました。
1980年代には、レーガン政権の保守主義によって第二波フェミニズムは「男性に見向きもされない寂しい人生から気を紛らわすためにブラなど些細なことに拘泥するユーモアのない体毛を生やした脚のガミガミ女」としてキャラクタライズされていきました。(残念ながら50年後の今日でも日本ではこんなことを言う人がたくさんいますね)
ある若い女性は1982年のニューヨーク・タイムズのインタビューで、「私は自分をフェミニストだと言わないようにしている。自分のためじゃなくて、男にレズビアンで男性嫌いだと思われてしまうから。」と話しています。別の女性が賛同して「周りを見て、幸せな女性と不幸な女性がいると思うけど、だいたい不幸そうな女性はフェミニスト。幸せで熱心な人のうちフェミニズムを支持する人は稀だ」と言っています。
このようにして、「フェミニスト=怒って男性嫌いで寂しい女性たち」というイメージが標準化され、第二波フェミニズムはそのモメンタムを失っていきます。このマイナスイメージは今でも拭われきれていません。また、第三波フェミニズムの誕生に際して、そのポジショニングにも関わってきました。
第三波:1991頃 〜 ?
第三波フェミニズムは統一的目標がなく大きな制度改革はないものの、先立つ二波よりもあらゆる人種・性・階級・身体特性に対して包摂的な思想に発展を見せた。
成果:職場内セクハラの問題化、インターセクショナル・フェミニズムの普及、異性愛規範からの一定の脱却
問題点:連帯感の欠如、トランスへの配慮不足など
第三波フェミニズムはその実体の合意が取れていないので、定義や起源を語るのは非常に難しいです。フェミニストの学者エリサベス・エバンスは、「第三波フェミニズムとは何かを巡る混乱そのものが、ある意味で第三波フェミニズムの主たる特色だ」と主張しています。しかし一般的には、第三波フェミニズムの始まりは1991年のアニータ・ヒル事件と、1990年代に音楽業界で登場した「ライオット・ガール・グループ(the riot grrrl groups)」という説に落ち着いています。
1991年に、アニータ・ヒルは上院司法委員会の前で最高裁候補のクラランス・トーマスからセクシャル・ハラスメントを受けたと証言しました。トーマスは結局最高裁判事になってしまったものの、ヒルの証言によって雪崩のようにセクシャル・ハラスメントの訴えが増えました。
そしてヒルの証言にも関わらずトーマスを最高裁に送るという委員会の判断は「指導的役職における男性の過代表」という全国的な話題に発展していった。翌年の1992年は24人の女性が下院に、3人の女性が上院に議席を獲得したことで「女性の年」と呼称されることになりました。ヒルの姿は若い女性によって覚醒的な出来事になり、その一人のレベッカ・ウォーカーは「私はポスト・フェミニズムのフェミニストではなく、第三波フェミ二ストだ」と、雑誌Ms.の記事で「第三波フェミニズム」という言葉を創りました。
初期の第三波運動は職場内セクシャル・ハラスメントとの戦いと、女性の職場内地位向上を増やそうという主張が含まれる傾向にありました。理論的には、80年代のキンバレー・クレンショー(ジェンダーと批判的人種理論の学者)が構築した、様々な形で交差する抑圧を説明するインターセクショナリティー理論と、ジューディス・バトラーによるジェンダーと性は別物でありジェンダーは遂行的(performative≒生来的なものではなく行動によって規律される)だという理論に根ざしていました。クレンショーとバトラーの影響は第三波によるトランスジェンダーの権利運動やインターセクショナルフェミニズムへの発展の基盤となっていきました。
美学的には、第三波フェミニズムはライオット・ガールズの影響を強く受けました。ライオット・ガールズはドクター・マーチンの靴を履き、強やさかっこよさを強調した女性グループで、1990年代の音楽業界に増加しました。1991年の「ライオット・ガール・マニフェスト」でビキニ・キルのリードシンガーのキャスリーン・ハンナは「私たちの価値を確認させてくれるようなかっこいいことをすること・読むこと・聞くことは、性差別・健常者至上主義・エイジズム・種差別・階級差別・痩身至上主義・性差別・ユダヤ人差別・同性愛差別といったくだらないことがどう私たちの生活を形作っているかを考える力や連帯感をくれる」、「私たちは、女の子=馬鹿、女の子=良くない、女の子=弱い、と繰り返し言ってくる社会に怒っている」と書きました。
ここで「女の子」という言葉の使用は特徴的で、第二波までは子供扱いされることを忌避し、大人である「女性」と自称することが好まれました。彼女たちは "女子"大学生を否定し、"女性"大学生を肯定しました。一方、第三波フェミ二ストは「女の子」であることを好みました。その言葉自体を受け入れ、「女の子」という言葉自体を力強い、脅威的なものに持ち上げようとしました(よって、ライオット・「ガールズ(grrls)」)。この傾向は他の分野にも広がり、第二波フェミニストが棄却しようとした言葉や、メイク、ハイヒール、ガーリーなファッションといった美学を受け入れるようになりました。
ある意味で第三波による女の子っぽさの受容は80年代の第二波に対するアンチ・フェミニズムへの応答であり、別の意味では女の子っぽさの否定自体が女性蔑視的であるという発想に基づいていました。女の子っぽさは、本質的に男性性や中性性より劣っていないという主張なのです。これは、当時徐々に強まっていた、「フェミニズムが実効性を持つには、美の基準を形作った家父長制がもたらす危険性と楽しさの両方を認識するべきであり、楽しみを見出している個別女性を罰することに意味はない」という考えに基づいています。
このように、第三波フェミニズムは第二波フェミニズムとは全く異なる考え方や発信の仕方をしていました。一方、第二波のような強い文化的勢いには欠けていました(「女性の年」もほんの一瞬の出来事で、1992年以降政界入りする女性は激減しました)。第三波は中心的な目標のない、放散した運動なので、第一波や第二波のような代表的な制度改革はありません。
第四波:2008年頃〜現在
第四波フェミニズムはインターネット主導で運動が展開され、女性蔑視的思想に基づく犯罪との戦いが目立つ。
成果:#(ハッシュタグ)を用いて普及した数多くの運動。男性嫌悪への批判、よりインクルーシブ(包摂的)なフェミニズムの展開。
問題点:保守派からのバックラッシュ持続。
フェミニストたちは少なくとも1986年から新たな波の到来を待っていて、the Wilson Querterlyという雑誌に寄せられた手紙には第四波の到来が記されていました。インターネットサイト4chanでは、2013年に嫌がらせで「性的対象化OK、痩身崇拝、反肥満」を掲げる、それまでのフェミニズム史の全てを否定する偽の「第四波フェミニズム」の立ち上げが試みられていました(もちろん総攻撃を受けて失敗に終わりましたが)。
しかし、2012年ごろから#MeToo運動やTime's Up運動が勢いを増すと、ワシントンのウィメンズ・マーチ(女性のための行進)は参加者は毎年増え、2018年に政界に挑む女性の数が歴代最多数になりました。第四波の到来を意味するかもしれません。
多くのメディアで #MeToo 運動は第三波フェミニストによる運動と説明されてきましたが、実際には第三波を特徴づけるような思想的拡散性はありません。2009年にフェミニストのジェシカ・ヴァレンティは「第四波はネット上にあるかもしれない」と言い、それはそのまま第四波フェミニズムの主要思想の一つなりました。オンライン上でアクティビストたちは集会して運動の企画を行い、議論や討論を繰り広げました。第四波フェミニズムのアクティビズムそのものがインターネット上で行われることも(#MeToo のツイートなど)あれば、現場で行われることも(ウィメンズ・マーチなど)ありますが、基本的にオンラインで誕生し、普及しました。
このように、第四波の起源はFacebook、Twitter、YouTubeなどが人々の生活文化に浸透し、ジェゼベルやフェミニスティングなどフェミニズムブログがウェブで普及してきた2008年に見出されています。2013年頃にはガーディアンの記事に第四波フェミニズムが取り上げられるほどに第四波という考えが普及していました。現在、第四波フェミニストたちが #MeToo運動とTime’s Up運動の原動力となっていますが、過去にはコロンビア大学のエマ・スルコウィッツを中心に行われたマットレス・パフォーマンス(「Carry That Weight」:レイプ被害者が加害者が大学から退学処分を受けるまで構内でマットレスを抱えて歩いた運動)やカルフォルニア大学サンタバーバラ校での銃撃事件を受けて女性蔑視的な暴力被害をシェアする#YesAllWomen運動、テキサス州の中絶法案を差し止めようと活動したウェンディ・デイビスを応援する#StandWithWendy運動も第四波です。2011年のスラットウォーク(「SlutWalk」)も性被害を女性の「ふしだらな」服装のせいにする考えへの抗議(これも日本で未だ多い考えですね。男性は自分の性欲や行動の制御不足も女性のせいにするんですね。女性はレイプされる為に服を着ません。)で、第四波の動きだと考えられます。
いつの時代のフェミニズムもそうですが、第四波も一枚岩の運動ではなく、人によって異なる意味合いを持ちます。ですが、2015年にBustleが説明するように第四波フェミニズムの諸思想に共通する点として、クィアで、セックス・ポジティブで、トランスジェンダーに包摂的で、ボディ・ポジティブで、主にデジタルで展開されていることはありそうです。そして今、第四波は社会で最も多くの権力を持つ男性の行動や態度がもたらしている結果に責任を負わせ始めています。これまで責任を問われることなく女性を抑圧し搾取してきた男性中心的な社会構造への批判が強まっています。
参考記事は2018年に書かれたものなので、ここからより最近の動向を付け加えます。
2020年前後から爆発的に利用者が増えているTikTok(15秒〜3分の動画投稿可能)で、カジュアルかつ日常的に男女による女性蔑視的な行動や言動、態度を風刺するようなコンテンツが多くの視聴回数を得ています。発信者は女性だけではなく、男性も多くいます。(これに対してはまた流行便乗的だという批判もありますが、そちらの議論は別で行いたいと思います。)また、YouTubeでも「Social Commentary (社会問題への批評)」と呼ばれるジャンルが増加しており、ShanspeareやFilmFatales、Mina Leなどのように、メディアや物語に見られる女性に対するあらゆる構造的差別を取り上げて解説・批評をするコンテンツが支持を得ています。映画、ドラマ、本、政治討論といった既存のメディアや言説、あるいは他のクリエイターのコンテンツを直接かつタイムリーに批判することで、あらゆる場面でのフェミニズム的観点から見た問題点の可視化が急スピードで進んでいます。
議論のカジュアル化は個別意見の多様性と拡散性をもたらしている一方、表面的なフェミニズムの標榜や男性に性的暴行を加えた女性への過保護といった課題点もあります。例えば、現在進行中のジョニー・デップvs元妻のアバー・ハードの名誉毀損裁判は、2018年にハードがメディアに対し夫から家庭内暴力を受けていたと嘘の告発した為、それを鵜呑みにしたプロデューサーやスポンサーによって彼が多くの仕事を失ったことによる事件です。一方、セクシュアリティーやジェンダーのグラデーション性への認識が高まるとともに、「Toxic Masculinity (有害な男性性)」概念に代表されるような、女性だけでなく男性をも抑圧している家父長制の側面にも焦点が当たっています。
さらに昨今の傾向として、主にファッションやアパレルの分野においてこれまでの資本主義、商業主義的な製造・マーケティングへの批判も強まっており、サステナビリティやエシカルな購買行動を推進する主張も増えています。通販でよりアクセスが簡単になったファストファッションの安価さの代償としてより一層その事業を支える発展途上国の(主に女性)労働者の待遇や廃棄埋め立てのインパクトの大きさ、石油系繊維の環境負荷に焦点が当たっています。日本ではあまり本格的に捉えられていない問題ですが、アメリカやヨーロッパでは大きなトレンドになっています。有名なニュースメディア以外にも、ShelbizleeeやKristen Leoやなどこれらのテーマに特化した発信者もいます。
現代日本のフェミニズム
ジェンダーギャップ指数の話はもう飽きるほど聞いているかと思いますが、日本の男女不平等は端的に言って統計的に酷いです。日本に焦点を当てたフェミニズム史は今後もっとリサーチして別記事にまとめようと思いますが、ここでは、フェミニズムの四波を踏まえた現代日本の状況を、東京に住む20代女性である筆者の意見も交えながら簡単に説明したいと思います。
現在の日本ではフェミニズムの支持者と非支持者の間で大きな溝があるのは否定できない事実です。何度も繰り返されるアニメにおける過度な女性の客体化と公共の場でのその露出にまつわる論争、あまりに多すぎる政治家の失言は言わずもがな、SNSや日常会話など非常に普通な場においても女性蔑視的言説が受容されてしまっているだけでなく、フェミニズムという言葉自体にマイナスなレッテルが貼られ、保守派からの揶揄や皮肉なしにはフェミニズム思想を語ることができない現状があります。この原因に対する筆者の仮説は日本文化の家父長制への依存の強さから生じる性別役割分業の根強さ(例:「大和撫子」「日本男児」「女医」「看護婦」「リケジョ」)と年功序列の権力構造による保守化ですが、ここではこれ以上踏み込まないでおきます。
日本でジェンダーの話題は何度もニュースのトピックとして上がっていますが、重大な矛盾点を孕んでいます。その代表例が2021年に当時日本オリンピック委員会長だった森喜朗の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」という発言後、当然彼はバッシングを受けて辞任することになりますが、その直後に自民党は男性しかいない会議に5人の女性が立ち会わせ、会議中に彼女たちは発言してはいけず、終了後に意見を言ってもらうという取り決めを定めました。ここまで読んでくださった方ならこの発言とこの対処のダメさがお分かりになるかと思いますが、何故か賛否両論あるこう言った女性蔑視的発言のどこがいけないのかについての解説は、改めて記事にしたいと思います。政府が掲げる「女性が輝く社会」という目標が広くアピールされている中でこのようなことが起きています。ジェンダーギャップの問題認識があるにも関わらず、何故日本で政治家の意識や制度転換がこれほどに遅れているのでしょうか?
もちろん、日本にも著名なフェミニスト学者がいますし若者の間で起きている女性運動もあります。例えば、2019年から就職活動におけるハイヒール着用義務に抗議する#KuToo運動やこれサポートしたChange.org Japanなどは現状の制度変更を求める活動をしています。しかし、政府として具体的な政策は出ず、2020年に航空会社でヒールの低い靴が容認されるにとどまっています。やはり、大多数の人々の考えが変わるまでにはまだかなり時間がかかりそうです。
なかなか議論が発展しない理由として、名古屋市立大学の菊地夏野准教授は2021年の記事で、「そもそも近代社会自体に、『男性からの“男女の不均衡”の見えづらさ』が含まれています。」と話し、公私の領域に分けられた近代社会のうち、男性が占めている公が変わらなければ女性を私領域に押し込めている制度が変わらないのに、その男性がセクハラや女性の性的対象化などの問題を公の問題として認識しようとしない点を指摘しています。
お気付きの方もいるかもしれませんが、これはアメリカでは第二波フェミニズムの時期に問題になった個人の非政治化状態で、政府が「国際基準」に達するための表面上諸々の制度設計を急いではいても、日本では「女性に対する社会的思想を変えなければならない」という文化的な勢いが欠けているために、例えば女性の出産・育児支援がないままで女性正規雇用を増やしたり、女性が被害を訴えれば「男性差別だ」と言った発言が生まれたりと言った大きく本質的な歪みが生じているのではないでしょうか?
このように第二波的課題感がありますし、SNSを利用した議論の展開や発信が行われる点では第四波フェミニズムの傾向は見られたりしますが、依然として日本では「波」と言えるほどの女性の連帯は認めづらいです。また、女子トイレや女子大のトランス女性受け入れに反応してトランスフォビア的発言が蔓延したりなど、第四波の包摂的フェミニズムからは程遠いというのが現状ではないでしょうか。
また、非常に現代的な問題として、SNSやインフルエンサー文化と結びついて「キャリアウーマン」や「ワーママ」の偶像化現象が見られます。「映える」写真やポップなキャッチフレーズとともに女性エンパワメントが気軽に謳われています。これらは家庭外で働く男女にとって認知向上に一定の効果があれど、一部の経済階級的・教育的・身体的アドバンテージがあった成功例にだけ光が当たり、多くの女性を苦しめるシステミックな問題を不可視化する危険性を孕んでいると考えられます。実は似た現象が2013年に出版されたFacebookCOOシェリル・サンドバーグの「リーン・イン(Lean In)」への疑問という形で顕在化していて、2018年にミシェル・オバマからの批評「(結婚して子供を産んで働く女性にとって)殆どの場合はリーン・インする(前のめりになる)だけでは解決しない!」の一言に集約されるかと思います。
参考図書
筆者の個人的なおすすめ
どれも読みやすく、実感的に理解しやすいです。
・A Room of One’s Own, Virginia Woolf (1929):昔の本ながら今にも通じるフェミニズムの問いが立てられている古典。
・The Beauty Myth, Naomi Woolf (1991):リベラルフェミニズムの導入的一冊。読みやすい。
・愛という名の支配、田嶋陽子(1992):体験ベースで理論展開。読みやすい。
・We Should All Be Feminists, Chimamanda Ngozi Adichie (2014):短くて端的で理解しやすい。インパクト大。
・Recollections of My Non-Existence, Rebecca Solnit (2020):エッセイとしても読み応え抜群な社会的示唆の多い自伝小説。
・正義と差異の政治、 アイリス・マリオン ヤング(邦訳2020):超充実。フェミニズムに影響を与えるロールズ以降の政治哲学の古典。
・日本のフェミニズム 150年の人と思想、井上輝子(2021):明治維新後からの日本のフェミニズム史まとめ。
・増補 女性解放という思想、江原由美子(2021):過去の思想の要点と不十分点が整理されていて思想発展の過程が理解しやすい。
参考記事にて紹介された文献
第一波フェミニズムについて:
・A Vindication of the Rights of Women, Mary Wollstonecraft (1791)
・Seneca Falls Declaration of Sentiments and Resolutions,
Elizabeth Cady Stanton (1848)
・Ain’t I a Woman? Sojourner Truth (1851)
・Criminals, Idiots, Women, and Minors: Is the Classification Sound?
A Discussion on the Laws Concerning the Property of Married Women, Frances Power Cobbe (1868)
・Remarks by Susan B. Anthony at her trial for illegal voting (1873)
・A Room of One’s Own, Virginia Woolf (1929)
・Feminism: The Essential Historical Writings, edited by Miriam Schneir (1994)
第二波フェミニズムについて:
・The Second Sex, Simone de Beauvoir (1949)
・The Feminine Mystique, Betty Friedan (1963)
・Against Our Will: Men, Women, and Rape, Susan Brownmiller (1975)
・Sexual Harassment of Working Women: A Case of Sex Discrimination,
Catharine A. MacKinnon (1979)
・The Madwoman in the Attic: The Woman Writer and the Nineteenth-Century Literary Imagination, Sandra M. Gilbert and Susan Gubar (1979)
・Ain’t I a Woman? Black Women and Feminism, Bell Hooks (1981)
・In Search of Our Mothers’ Gardens: Womanist Prose, Alice Walker (1983)
・Sister Outsider, Audre Lorde (1984)
第三波フェミニズムについて:
・Gender Trouble: Feminism and the Subversion of Identity,
Judith Butler (1990)
・The Beauty Myth, Naomi Woolf (1991)
・“Mapping the Margins: Intersectionality, Identity Politics, and Violence Against Women of Color,” Kimberlé Crenshaw (1991)
・“The Riot GRRRL Manifesto,” Kathleen Hanna (1991)
・Backlash: The Undeclared War Against American Women,
Susan Faludi (1991)
・The Bust Guide to the New Girl Order,
edited by Marcelle Karp and Debbie Stoller (1999)
・Feminism Is for Everybody: Passionate Politics, bell hooks (2000)
・Female Chauvinist Pigs: Women and the Rise of Raunch Culture,
Ariel Levy (2005)
Further reading: fourth-wave feminism
・The Purity Myth, Jessica Valenti (2009)
・How to Be a Woman, Caitlin Moran (2012)
・Men Explain Things to Me, Rebecca Solnit (2014)
・We Should All Be Feminists, Chimamanda Ngozi Adichie (2014)
・Bad Feminist, Roxane Gay (2014)
最後に
ご意見、ご質問、ご感想等あればこちらにお寄せください。応答できるものについてはできる限りしたいと思います。特にフェミニズムに懐疑的な人や不信感がある人からの反論や素朴な疑問も、(場合によっては苛立ちを抑えながら)なるべく丁寧にお答えして理解していただけるように努めたいと思います。
ここまでご拝読ありがとうございました。