「感じること」からはじめる
宣伝会議「編集・ライター養成講座」43期生として半年間「書くこと」を学んだ。
子どもの頃から「書くこと」を仕事にしたいと思っていたけれど、今まで本気で向き合ってこなかった。パンデミックを経て、人生でやり残したことを考えた時に、まずはゴールや目的地に最短距離で向かう競争から早く抜けなければと思った。
本業で書く仕事をしていないわたしにとって、この講座を受講するのは、大きなチャレンジだった。数千字のエッセイ、「人物モノ」と呼ばれる人物を書く課題の数々。卒業制作では、6,000字の取材記事を書くために、企画からアポ取り、取材、構成、執筆までを一通り経験する。
講義自体は、土曜の週1回。毎回業界の一線で活躍する豪華ゲストスピーカーを迎えての講義は、大変学びが深かった。
後半の少人数クラスでは、お店紹介、本の紹介などに始まり、同級生や映画監督のインタビュー記事、エッセイ風の記事など、今まで書いたことのないタイプの文章を書く機会があり、細かく添削していただいて本当に勉強になった。
わたしの書く文章は、どこか薄っぺらく、新聞記事のような、ビジネスメールのような書きぶりで、読み手の心を動かすような、引き込むような文章ではなかった(いまもそうだけど)
それは、長くシンクタンクやコンサルティングファームにいたからか、性格なのか、スキルがないのか、、、恐らくすべて当てはまるのだけれど、この講座を受けての一番の学びは、自分の「読み手としての感性の浅さ」に気づけたこと。
読者としての、読み手としての感じかた・受け取りかたが、浅はかなのだ。だから、書けない。美味しいものを食べても「美味しい」という語彙しか出てこないように。
なので書き手になったとたん、ただ読んで素通りしていたのが、自分の細やかな心の動きに気づいたり、どんな表現にぐっときたのか、どんなリズムが心地よいのか、全体の構成や読みやすさを気に留めるようになった。
一緒に励まし合えるクラスメイト(いまや友人)達のおかげで、卒業制作は運よく「最優秀賞」を受賞できた。
でも、いまのわたしのスキルでは、書けない文章もたくさんある。
文章というのはやはり素晴らしくて、書き手の感性(経験や感情)を通して表現されたものが、読み手の感性と化学反応を起こしてその人に伝わる・届くことだと思う。
その「文章」の最終的なアウトプットが、書籍であれ、雑誌であれ、映像であれ、音声であれ、舞台であれ、企業のメッセージや政治家のスピーチであったとしても、伝える・届けるはきっと変わらない。
人物モノレベルの文章が書ける詳細な取材力、人を引き込み、画が浮かんでくるような瑞々しい文章を10年後には書けるようになっていたい。
半年の講座を通して、自信のない、張りつめた、堅苦しい文章を書いていた自分の心が、徐々に和らいでいる気がした。
少しずつ、季節の移ろいや人情の機微を感じるようになってきた。
最近、日々の生活から受け取るメッセージは
「お金のためとか生活のためではなく、本当に腹落ちすることを、本当に心からやりたいと思うことをやり続けろ」もしくは「目の前のことを面白く、やりたいことに変えろ」である。
何気ない日々を感じることから、はじめたい。
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