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良寛と46年前の11月と窓からの皆既月食

年末年始の10日間の予定が既に決まり、師走に向けウォームアップ。
そんな中、昨年同様に舞台の見納めするため去年と同じく東京芸術劇場の席を早々と確保した。

今年は泯さんの舞台で見納めすることにした。


とはいえ、良寛の名が公演名に入ってなかったら観に出掛ける予定を作らなかったかもしれない。
良寛和尚の字は母の建てた家の居間に飾ってあり、生活の一部だった時期が少なからずあった。小学生の頃に毛筆で賞状をもらった貴重な経験もあり、周りになかなかいないその字は個性なのか、ましてや無いのか、自分の字にはない字体が年齢を重ねるにつれ好きになった。
良寛の様な字が書いてみたいと、とある書家の開講する場へ単発で習いに出掛けたりもした6年前。
結果、脱力感のように見えるあの字は力がないと書けないことを体感した。

田中泯の公演の予習として、松岡正剛の「外は、良寛。」を近くの図書館で借りてみた。
乗っけから良寛の書、というより字そのものについて感じるままに書かれている。
泡雪と良寛の字。
松岡さんは良寛の書を見ているときにKeith Jarrettのケルンコンサートを聴くとあった。それならとSpotifyを開く。今夜は皆既月食なので東の窓から欠けていく月を眺めながら、音楽を選ぶところだった。でもイマイチ今夜とは違う…。
私はあまりKeithのピアノは聴かないのだけど、良質なサウンドシステムの中で聴いて心に残っている一枚のLPを開いた。

1976年11月のサンベアコンサート。
折りしも、46年前の11月8日は大阪公演だった。

日本への来日公演の録音のLP。
即興性もあって、皆既月食のような長い時間じっくり変化を眺めるのにちょうど良い。
キースの泡雪LPと勝手にあだ名をつけてみる。


それにしても不思議。
輝きが褐色の赤茶になって月が姿を隠し、また輝きが現れ始めると言い表せない高揚感とともに何だか陽気な音楽が聴きたくなるのは何でだろう。
ラテンミュージックをON。