4月記 ここを分岐点とする。
わたしは好き勝手大魔神だ。
自分がやると決めたら、絶対やる。
周りの静止で止まれるのは、まだ迷いがある段階で、そのあとは、自分が納得いく答えが出るまで走り続けてしまう。
答えが出る以外での引き際がよくわからず、身体を壊すことだったり、疲れる果てることだったり、病気になってしまうことの外的要因でやっと自分はやり切ったんだな、ここまでなんだなと認められるようになる。
不器用すぎる。
引き際って、わかる時がいつか来るんだろうか。
自分って大体こんなもんだよなって前もってラインを引けるようになるのかな。
そんなことも言ってられず、4月。
家を選び、引越しの業者を決めた。
引っ越しの見積もりの際に一人暮らしにしては物が多いんですよね〜と営業さんに告げられ、世の中の一人暮らしの物を持たなさに驚いた。
ここ数年、恒常的に断捨離を行なっており、だいぶお気に入りのものしかなくなったなぁと自分では思っていた。
複数社見積もりを取ったので、何人かの営業さんと話す機会を得た。
とある営業さんが出会った過去に1番荷物が多かった一人暮らしの方は、女性の画家さんだったそうな。
想像に容易く腑に落ちた。
わたしもキャンバスこそ小さいものしかないけれど、各種画材で段ボールがすでに埋まっている。
いろんなものに手を出してきた多趣味人間は確かに世の中的には荷物が多いのかもしれない。
それに加えて、古くて広い家が好きなので、社会人になってから2DK以下の部屋に住んだことがない。
際限なく増えるわけだ。
身軽に生きていくことには憧れるけれど、今価値を感じているものまで無理して切り捨てる必要はない。
好きなものに埋もれながら生きていくのも一興。
というわけでお引越しが決定した。
家の条件を広げていくうちにぎりぎり都民ではなくなったけれど、些細。些細。
学生を卒業して初の友人と会える暮らしができる。
学生の時の友人だけではなく、いろんなきっかけで縁があった人に会いに行けるようになる。
どのくらい変わるだろう。案外変わんないかもしれない。イメージもできないけれど、楽しみでわくわくしてる。
友人と特別じゃない場所で、理由もなくぶらついて、他愛もない話をぐだぐたしたい。
今まで他人事のように聞き流していた、大きな展覧会、イベントへ、当事者として参加できるようになるのも嬉しい。
本物に触れる機会が増えるのは、良いことだ。
実際に見たことないものの話は出来ないので。
解決しなければいけない問題もまだずっしりとあって、この引っ越しはわたしの「死にたいほど生きづらい理由」の一つは解決してくれるけれど、まだある。
引っ越しが終われば、また次へ、また次へと手をつけていかなければならない。
自分が背負ってきた荷物を下ろし、整理し、1個ずつ片付けていく。そういうフェーズなんだろうなって。
楽しく生きるために今ちょっと踏ん張ろう。
年々頑張れなくなる身体に少し鞭を打ちながら、やれるとこまでやる。
というところまで書いていて、
多忙にまみれ埋もれた4月記を今更ながら投稿。
決意に満ち溢れた月でした。
よく頑張りました。
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スケジュール帳を見返していて、書き残しておきたいことがあったから追記。
4月17日、おばあちゃんが我が家にお泊まりに来た。
中学から親元を離れ、おばあちゃんの家で通学していたので、わたしは思春期の一番面倒な時期を、母親ではなくおばあちゃんと過ごした。
母親と暮らしていた時は家事の負担がかなりあり、それを怠ると怒鳴られたり時には殴られたりもしたのだけれど、おばあちゃんが生活のことを担ってくれたおかげで、わたしは自分の思春期にかなりちゃんと向き合うことができた。
だから、感謝している。
その後の人生で肝心な時に寄り添ってもらえなかったりもするのだけれど、歳も歳だし受け入れられないものもあるだろう。
そうわたしが割り切れる程度に余裕を持てたのは、きちんとモラトリアムを過ごせる環境を与えてくれたおかげだと思ってる。
4年ぶりくらいに会ったと思う。
70歳くらいだと思うんだけど、久々に会ってとてもちっちゃくなってたらどうしよう〜なんて会う前までは不安になったりもした。
そんな心配を跳ね飛ばすように我が家で1番エネルギッシュで活動家なご婦人はわたしの記憶の中のおばあちゃんと変わらずお元気で、正直安心した。
関東に引っ越すことでさらに実家から足が遠のくだろうから、生涯でおばあちゃんに会えるのは最後かもしれないって覚悟していたから。
だけど、あまりの元気さにまた1度くらいなら会えるかもしれないなって思えた。
せっかく遠路はるばる四国から九州へ来てるというのに、おばあちゃんの作ったご飯が食べたかったから、夕飯は一緒にスーパーに買い物へ行って、一緒に食卓を囲んだ。
正直なことを言うと、もう懐かしい味なのかもわからなかった。使っているちょっと調味料の違いなのかもしれないけれど。
それでも、またこの時間を過ごせたことが嬉しかった。
実家とはいろいろあって、疎遠になっているけれど、切るに切れないのはきっとこういう時間がわたしは本当は好きだったから。
2泊する予定だったけど、結局おばあちゃんはそそっかしく、またわたしも仕事の休みを取れなくて手持ち無沙汰だったため、結局1泊で帰って行った。
おばあちゃんの作ったほうれん草のお浸しは、美味しかったから後日、作り方を教えてもらって自分で作った。
受け継げるものが一つでも多ければ嬉しいなと思う。
2年後くらいに一度実家に帰ろうかなって思えた。そんな出来事でした。
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