11月記 落葉の重なる隙間に。
ひとつきがあっという間だ。
ついこの間まで秋が来たと喜んでいたのに、
もう冬が足元に訪れている。
12月に入ったとは思えないほど暖かい日々が続いているのには、
凍える覚悟をしていたわたしにとっては好都合なのだけど。
11月。
仕事で成果を出したり、勉強したり、やりがいを感じたりすることで
自己肯定感が育ってきた。
そうしたら、自分が傷つく状態に対して、バリアを張れるようになった。
今、自分は悲しいな、つらいなと感じたなと思ったら、ちゃんと離れたり、
戦えるようになった。
どうして弱ってしまっているときほど、その場で耐えてしまうのか。
判断力の低下なのか、戦う気力を失ってしまっているのか。
自己肯定感が育つことで選べる判断を、いかに忘れずに持ち続けることができるかが大事だ。
つらいなって思いながら続けることは、だれも得しないよ。
aikoだって歌ってた。「疲れてんならやめれば?」って。
その歌詞だけはわたしの頭の中で何回もよぎっていた…笑
わからないんじゃない、これ以上失いたくなくて、傷つきたくなくて、
気付いてない振りをしてしまうだけなんだろうね。
順風満帆な人生なんて無縁だって、もう痛いほど知っている。
でも、そうやって浮き沈みを繰り返したからこそ、
人の手も借りながらだけど、沈んだあとに浮き上がる方法も学んできた。
これからの人生だって、またきっと弱ってしまうときがあるだろう。
また心は視野が狭くなり、しゃがみ込んでしまうだろう。
そんなときに、頭だけでも選択肢があることを理解しておきたい。
自信や誇り、自己肯定感は蓄積からできるものだと思っている。
蓄積はいつだって意図して積み上げているものばかりではなく、
気付けば与え続けられていたもの、そうせざるを得なくていつの間に積み重なったものもある。
会社の人にわたしの印象を聞くと「パワーのある人」だと答えてくれた。
ものごとを動かす力を持っている人。
変化せざるを得ない人生だった。
それがわたしの積み重ねた「力」になっていたのだろうか、なんて思うと少し誇らしくなった。
虚無のような30年だったと思っていたけれど、そんなこともないと、思えた。
11月に劇場版まどまぎとGのレコンギスタを観た。
どちらも面白い作品だった。
Gのレコンギスタは作品の中で考えさせられることも多くて、
何度だって観たい作品だった。
「時代を作るのは若い人たちです。」というメッセージに対し、
「若い人」から外れつつあるわたしが今考えなきゃいけないことはなんだろうと考えたとき、答えがまだわからなかった。
もう少し歳を重ねながら出していく答えな気がした。
若くはないけど、老いてもないぞ。
変化を諦めたときが人の老いだとわたしは信じている。
一年が終わるね。
やりたいことがたくさん観えてきた。
年末に向けて、走り切るぞ。