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「リストの音楽と彼を巡る人々。」

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ハンガリーで生まれウィーンで学んだリストは、パリでピアニストとして華々しくデビューし、知識人が集まるサロンヘも参加できるようになった。
サロンでの交友を通して、彼の知的な高揚は
音楽理念へと結びつき、新しい分野への原動力となり、さらに未来へ方向づける作品を生んだ。

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1834年、文化人たちのサロンで、ベルリオーズはリストをマリー・ダグー伯爵夫人に紹介している。
マリーは1805年にフランクフルト・アム・マインに生まれ、リストより6歳年長で詩、文学、哲学、社会学、美術、音楽ときわめて高い教養を身につけていた。
彼女は作曲家兼ピアニストのフンメルについてピアノを勉強し、優れたピアニストで、その上美貌の持ち主であった。

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マリーの教養の高さに魅了されたリストは、
彼女と一緒に次々と出版されるラムネ、バルザック、ミュッセ、ラマルティーヌ、スタンダール、メリメやサンドの新作を熱心に読み続けた。
これらの作家たちを迎えたサロンにはショパンも常連のひとりで、ショパンをジョルジュ・サンドに紹介したのはリストであった。

リストとマリーは、サンドのノアンの館へ訪問しては何週間も滞在する仲間で、今日でも残されているサンドの長男モーリスが描いた絵は、リストがピアノをオーバーな姿で弾き、背後に煙草を吸いながら聞きいる、母親サンドを描いている。

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リストのサロンでの影響は、音楽、絵画、文学の境界線を取り払う。
ラファエロの絵画、ミケランジェロの彫刻に霊感を得たピアノ作品や、文学、詩、社会から影響を受けた交響詩《ファウスト交響曲》や《ダンテ交響曲》の作品へと拡がっていく。
また、リストが音楽家との交友から受けた影響は、ベルリオーズの管弦楽法であり、ショパンの抒情性やパガニーニの魔力的なヴァイォリンのテクニックであり、リストの数多い作品の中に生かされている。

彼は同世代の才能ゆたかな作曲家シューマン、メンデルスゾーン、シューベルト、ワーグナー、ヴェルディの歌曲や管弦楽曲をピアノ曲に編曲しては、各国の都市の音楽会で紹介した。

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リストは、巨匠となった晩年においても後輩の作曲家サン=サーンス、フォーレ、ドビュッシー、スメタナ、グリーグ、チャイコフスキーやロシア五人組の若手作曲家たちの才能を認め、作品に対するアドバイスや激励の言葉を述べ、また、彼らの作品をピアノで演奏しては、世に紹介し続けた。

ロマン派におけるリストは、民族音楽や無調音楽への方向付け、ピアノ技法や指揮法に至るまで重要な役割を果たした音楽家である。

(MIYABI)

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