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『奇跡講座』さえも超えていく
『奇跡講座』学習者のSakieです。
『奇跡講座』は、活用するものだ、使ってなんぼだ!といつも私は強調していますし、私はともあれ使う!下手でもやる!いつか上手くなるから、というキャラクターです。
比喩ですが、
かなりずっこけることもあります。結構な大怪我も。
ですが、全て、必要なプロセスだったなぁ、、、
貴重な体験だったなぁ、と
今では全てに感謝し、大切に思っています。
過去の苦痛も、今の苦痛も、一喜一憂も
愛おしく、慈愛の心眼で眺めています。
(いや、そうなれる時があります、という方が正しいですね)
これからも、ベストなタイミングで
引き金、トリガーとなる出来事が起こるでしょう。
そこで、また個人の私は『自我と同一化』して
自我を直視して障壁を越えること
を怖がり、恐れ、怒り、罪悪感を後生大事にしたいと
言い張ると、既に原初の間違いの瞬間に設定済み(笑)であることを忘れ、それをまずは、順序よく(笑)深刻に捉える。
そして、咎め、裁いた後に、赦しを実践する。
その赦しの実践が、
罪は元来、存在していなかった。
咎めに値することも、裁きに値することも、
「何も起こっていなかった、、、幻想を見ていた」と
もっと言うなら
「愛を拒んでいたのは、拒絶していたのは、、、
私だったんだ、、、」と
深い感謝に変わる瞬間(Holy Instance)を
幾度も体験していく。
『奇跡講座』に執着がある(心の状態について、どんなプロセスで癒されていくのか?『奇跡講座』が唯一無二だと言い張りたい、私が一番好きな道が、1番カッコいい道だと言いたい[小さな狂った考え]がちょこちょことトリガーになることが多い私なので、赦しの実践がまだまだ必要です)私は、
いつもそうとはいきませんが、『奇跡講座』もしょせんはただの本です、と言うことは、お伝えしておきます。
もちろん、内容においては、珠玉の、[唯一意味のある選択肢]を提供してくれる、霊性の道のうちのひとつであること、真理についての本であることは周知でしょうが、神への帰還の道をサポートしてくれるものの一つです。解脱への道をサポートしてくれる学びのうちの一つです。
それを、“実践”すれば。
『奇跡講座』の中の、正しい思考体系の象徴である、
イエスのように、真の赦しを、“実践”していくことで、
普遍的な体験と言われるものを、私個人の、何よりも個人的な内的“実”体験にしていくことに意味がある。
だから、当然ながら、私は、とにかく、実践者である!ということを大切にしています。(実践者の方に向けて、ペーペーな私が当然なことを言い過ぎて、申し訳ない気持ち(笑))
今も、大人気の『奇跡講座』は、
『奇跡講座』界隈の噂話や、歴史に残る出来事として、ケンや、グロリア、ヘレンやビルのバックグラウンドについて、多々情報が溢れており、、、
ついついその全ての全貌を知ってから“実践”しますとなりがちなことも充分承知しており、それもプロセスとして、あっていいと思います。
私は、そのプロセスのフェーズは、そこそこにして、時々気晴らしにヘレンシャックマンはどうだったかな?とか、ケンならどう言うかな?どう考えるかな?なんて思考を動かしていきながら、
結局は、
「ケンなら、自我を直視して、真理に到達したらいいだけだよ、今、深刻に捉えているでしょう?」
と言ってくれるだろうと、、、ケンの実践手本を励みに、私の暗闇を見ることから逃げずに進んでいけたなら、その先には、必ず、赦しの達人(マスター)たる正しい思考体系となって生きる生き方があると確信しています。
でっち上げですが
『奇跡講座』を使って赦しの実践をしていく「私」が
「赦しの達人」となっていくこと
『奇跡講座』のマニュアル編にある
神の教師の特徴を携えるようになり
『奇跡講座』さえも超えていくことは
ストーリーとしては、必至でしょう。
それを難しいことにしておきたいのが、私たちの自我ですから
そんな事、至難の業であるべきことだと思いたい、言い張りたい自分自身の自我の思考と知覚を今から直視しようと思います(笑)