雑記録④【愛、執着、人が死ぬ】

12/18鼻をすすりながら最終ページを読みページを閉じた。
誰かにとって現実味のない遠い世界の話であっても、1度大切な出会いと別れを経験した人が深く共感し、惹き込まれるような言葉が詰まっていた。

最近思う、楽しい恋愛なんて存在しないのだろうか。
付加価値でしかない恋愛なんて、「楽しいだけでいいのに」と思っているのに、いつの間にか楽しいだけで終われず、苦しさに変わっていく姿が鮮明に描かれていた。

3人の視点から描かれる物語で、様々な伏線が張り巡らせていて、3人のそれぞれの物語を読むことでに全部回収できるような構成。
市子を見て思ったけど、他人の知らない部分を知らないままにしておく、無知なことほど怖いことは無いなと改めて実感した。


特に、この物語で全員が濃く関わっている最後の「先生」の章が個人的に好みだった。

「大切な人のことになると予感とか嗅覚とかが冴えるんです。まばたきの数とか、呼吸の仕方とか、キスの仕方とかでも違和感を覚えます。愛してれば愛しているほど、全部わかってしまって悲しいんです。」

この文章きっと忘れられないと思う。
私は「知る」と「慣れ」には繋がりがあると思う。

大切な人のことを知りたいと思えば知ることができる。
付き合った直後の新鮮な日と相手のことを山ほど知った日を比べたら、相手の癖や、気持ち、そこから生じる行動も理解できるようになるだろう。
言葉にしなくても意思疎通を測れるのは2人が共有してきた様々な想いや経験が積もったからこその結果で、お互いにしか生み出せない唯一無二の形でもあると思う。

しかし、そこに甘んじて、相手がここまで知っているだろうから言わなくてもわかるだろうという慣れの環境に縋ってしまった場合、お互いの新鮮な気持ちを知ることが出来なくなる。
求めていたことや、当然だと思って発したことが予想外の反応になったなど、二人の間に齟齬が生じた場合、どんどん自分の知らない相手が生まれ、すれ違って、苦しくなるのだろう。

自分の知見には常に懐疑心を持っておく。
お互いの感性や価値観は毎日変化していくのだろう。慣れに甘んじて、相手を知ることをやめてしまってはいけないと感じた。

読んでいて苦しい場面もあったが、深く心に刺さるような物語であった。

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