『雑談』を後ろの席から盗み聴き EP.71「反応で生きること」を聴いて
前回の配信(EP.70)の続きを早く聴きたいと心待ちにしていた5月21日(火)の20時過ぎ。
ダウンロードしてEP.71を聴き始めたところ…、
アレ?「虎に翼」の米ちゃんの話題を起点に「されたこと・してくれたことで(世界を)見ている人」のことに話題が変わってる…。前回の解説の続きはないのか、とちょっとがっかりしてお二人の話の内容が全然頭に入ってこない。(苦笑)
聴取二回目(以降)でまあまあ理解はできたのだが、後半(10分過ぎ)の部分がどうにも腑に落ちないというかピントが合わない感じで、何回聞き直してもモヤモヤが晴れない。
今回はその辺りをしつこく考えてみた。
「こうされた・ああされた」でしか記憶が固定していない人、いるね
これはよく解る。
一旦「されたこと」に気持ちが行ってしまうと以後も「されたこと」に注目してしまうのは確か。
また、他人の気持ちはコントロールできない(他人の気持ちをコントロールするのは「自分の仕事」ではない)。一方で、「何をされたか」で自分の世界ができていると、『自分の世界』は他人が何をするか、何を思うか次第なので、自分ではコントロールできない。これはとても辛い。
これに続く、「夫が予定を出してくれないからわからないと言った人」のエピソードについても、スーさんサクちゃんの言い分もよくわかる。(以下略)
この後は、聴いててなかなか解らなかったところに触れていく。
なんかされたから「反応として」怒る、その怒りだけを大事にしている人に違和感があって
この『「反応として」怒る』(=配信タイトルの「反応として生きる」)の意味が何回聞いても解らなかった。怒るのは何かに反応するからであって、殴られたら怒るでしょ?って思ってると、その少し後のところ(11分24秒あたり)で「もちろん、ぶたれたら怒るのは当たり前で、そうじゃなくて…」となって、「あれ?」と困惑。
「それは無視すればよくない?」ということに、ことごとく全部に反応していると、やっぱり誰かへの反応が自分って思ってるんだ…
ここでの「誰かへの反応が自分」って、それ当たり前じゃない?って思って困惑。他人から何らかの関わりがもたらされたら、それに反応するのは当たり前じゃないか、と。
この後も、「自分に軸がないってそういうことなのかな」とか「取り合うこと・取り合わないことを自分で選んでいいという前提が共有できていないんだろうな」「他人に渡しちゃってる」「それ、ただの反応だよってことを『自分』だと思っている」とかも出てくるんだけど、頭の中で「言葉が横滑りしまくる」感じがして全然理解できなくなっていた。(13分24秒くらいのところまでこの困惑が続く。)
自分はどうかと考えることにした
何回聴き直しても頭の中で言葉が滑っていくので、自分のことで考えることにした。ワタシも「こうされた」で世界をとらえる癖があると思っていたし、自分ごととして捉えると理解しやすい、のではないかと考えたから。
以前の記事で書いたように、ワタシは「他人に嫌われたくない」という恐怖心が根底にあり、それが行動指針の一つとなっている(いた)。また「他人を信頼してはいけない」という生存戦略もとってきている。
この二つをとっかかりにしてみた。
なぜなら…
「他人に嫌われたくない」という心理は、EP.70でスーさんが言っている通り「私は他人に好かれていないと価値がない」と考えている、ということ、つまり「他人に嫌われる」ことは「私には価値がない」と同値だと"ワタシが考えてしまう"ということだから。
「他人にされる・他人がする」(ワタシが嫌われる)ことが自分の価値判断のスタートになっている。「された世界」でワタシ自身の価値を捉えているということになる。
また、「他人を信頼してはいけない」という生存戦略をとったのは、「信頼したら痛い目にあわされた」から。(と推測できる。実際に痛い目にあったかどうかは定かではない=ワタシにはその記憶は全くない。)
「痛い目」とは「裏切られたこと」で、他人が「裏切った」のは「ワタシを裏切っても大丈夫」「ワタシを蔑ろにしても大丈夫」と思われた、と"ワタシが思っている"ということ。
つまり「痛い目にあわされた」のは「裏切っても(蔑ろにしても)大丈夫」と他人に思われたと"ワタシが考えた"から。
ここでも「他人にされる・他人がする」ことが自分の価値判断のスタートになっている。「された世界」でワタシ自身の価値を捉えてる。
そして、この二つの価値判断は意識には全く上がってこず、自動的(オートマチック)に進行する。
ワタシが嫌われそうな雰囲気やシチュエーションを察した瞬間に「嫌われないにはどうしたら良いかを考える」スイッチが勝手に入る。スイッチが入ったことすら意識に上らず、体と頭が勝手に反応しだす。それが当たり前。
人と接する時には常に「こいつは信頼しちゃいけないぞ」という自分には意識されない思考がずっと流れている。意図的にではなくいつの間にか、である。それが当たり前。
と、ここまで考えて「これか」とわかった気がする。
サクちゃんのいう「反応として怒る」とは、このオートマチックで出てくる反応で成り立っている「怒り(感情)」ということなんだ、とわかった。
このオートマチックで出てきたものを大事にしている人に、「それって本当の自分(の感情)なの?」という「違和感」をサクちゃんは感じていたんではないか、と。
これ、「ことごとく全部に反応してる」んじゃなくて「無意識のうちに全部に反応してしまう」のであって、「誰かへの反応が『自分』って思ってる」のではなく「誰かへの反応が『自分』だと思わざるを得なくなっている」のだと思う。自分で意識して積極的にそう思っているのではなく、そう思わざるを得ない状況に陥ってしまっているということ。
ただし、それは自分で自分に掛けた「そう思わせる呪い」(サクちゃん流の言い方だと「自分の設定」)が元になっているわけだから、外(他人)から見ると、自分から(積極的に)行なっているように見えるのもわかる気がする。
そしてサクちゃんは、その呪いを解けば(設定を変えれば)抜け出せるとこれまでに何度も言っている。ここには「希望」がある。サクちゃんは自分で実践して成功しているから。
ここまで考えて、ようやくすっきりとした。
今ならこれが理解できる。
自分に軸がない=オートマチックで出てくる反応だけで、自分自信の判断・感情がない
自分の中で選んでいいという前提が共有できてない=やってきたもの全てにオートマチックで反応してしまうから、自分の考えで選ぶという工程を持っていない
他人に渡しちゃってる=自分で判断せずにオートマチックで出てくる反応に任せちゃっている
ここもちょっと違うと思っている。
最初は誰しも「自分の考え」はあったはず。これが自然な状態だと思う。けれど、何らかの理由で「オートマチックな反応」を待たざるを得なくなることがある。(例えば「人に嫌われたくない」と思う体験を繰り返すことで「オートマチックな反応」として定着してしまう。)この状態を続けていると自分の考えを「出せなくなってしまう」んだと思う。わざわざ自分の考えを出す労力をかけなくても、勝手に反応が出てくるから。それが楽だから出さなくなる。自分から「出さない」を繰り返すと「出せなく」なる。やり方がわからなくなっていく。
だから自分の反応がオートマチックになっていると気付いて、『これはまずい」と思ったならば、自分の考えを出す努力をしないといけないんだよなぁ。
自分だけに花丸を集めるために、他の花丸候補生を排除してるんだと思って
いますよね、怯えて人の足を引っ張る人。
自分もそうならないように気をつけないとなぁ…。
困惑で始まった EP.71でしたが、なんとか自分なりの理解ができたようで、ちょっとホッとしてます。
この記事も長くなってしまったし、人には伝わらないかもれないなぁ。
「これはまずい」かも、と思わせてくれたサクちゃんとスーさんに感謝かな…。