学校の澱み
今日しんどかったこと。
私はある教育系のアプリを学校に導入してもらう営業部隊に所属している。
そしてその中での私の役割はカスタマーサクセス。新規で新しいものを売るわけではなく、すでに導入してくださっている学校様に対し、活用のサポートをする役割だ。
私はお金の勘定が壊滅的に苦手なので、ヨミを考えるのが苦痛だし、誰かに無理を言うと言うことがどうしても苦手なので、とことん営業に向いていない。今年は、カスタマーサクセスとしてお客さんのお悩みを解決してあげることが仕事なので、気持ちよく働くことができている。
自分に合っている仕事と感じる。
昨日は、いつものように担当校に営業に行った。
今年の私のリーダーから引き継いだ学校で、大型私学の中高一貫校だ。金額も大きい。
そしてこの学校で、うちのアプリを使って大きなプロジェクトを始めてくれている。
授業を全部うちのアプリを使って行うというすごい戦略だ。
こんなプロジェクトを遂行するまで準備を整えたりいろんな人に営業をかけたリーダーには尊敬の気持ちしかない。
そんな大事なお客様と、1学期間運用を走らせてみてどうだったかと振り返りをしたかったのが今回のアポの目的。数学科主任とのアポだった。
リーダーは、私が数学の教員だったことを買ってくれ、「来てくれて心強い、ありがとう」と言ってくれた。
私も元教員として、この先生の話を聞くのが楽しみだった。
数学主任の先生は50代くらいのおじさんで、口をぎゅっと真っ直ぐに結んだ感じの表情が印象的な方。前髪がサラサラのストレートだった。
柔らかい印象の人ではないな。こういう先生いるいる。
相手の第一印象が硬めだったからといって焦る、ということはもはや私にはない。
そういう人は大抵、人見知りなだけだ。
パッとみて人見しりとわかる人見しりな人は、自分のコンプレックスを全面に押し出している状態だから、とても信用できてむしろ好きだ。
今回のアポは、この先生と、リーダーと、この学校に入っている自習室の教室長と私、4人の参加者。
スタートは少し意表をつかれた。
過呼吸の対応の話から始まったからだ。
どうやら自習室周りで過呼吸の生徒が出たらしく、その対応に教室長が関わったんだそうだ。
「過呼吸の生徒の対応をご存知ですか?まずは…」とその先生のお話。
私には関係ないなと思いながら話半分に聞いていたら、
「…なので、過呼吸は女子しかなりませんから。」
…?
「…最終的には本当に苦しそうなら、下着のホックを外してあげるとかも必要です」
…あれれ、ちょっとキモいな
必要なのはわかるが、本当にそうでも今この場で言わなくてもいいかも。
と一瞬だけモヤっとしつつも、もちろんこちらが引っかかるところではないので、誰もつっかからずに話は終了。本題に入る。
リーダーからのヒアリングが始まった。
「今学期振り返ってみていかがでしたか?何かお気づきの点などはございますか?」
先生はまずは、商品に対する機能面の不満を述べた。
「ここがもっとこうだったらいいのに。」
私はこういう類の話が嫌いだ。
なぜなら営業はエンジニアじゃないので、お客さんに言われた要望を「はいそうですか」とすぐに反映させてあげることができない。
先生が要望を伝える窓口は我々営業なんだから、それが正しいことはわかっている。
私がその話を、プロダクト側にきちんと報告すればいい話だ。
でも、完璧なツールなんてない。
「もっとこうだったらいいのに」はいくらでもあるが、いったん今あるものはこれなんだから、これをどう使うかを考えろよ。てゆうか、道具をどう工夫して使うかを考えるのがお前らの仕事だろ。誰でも使えるツールがあるんだったら、教員免許なんかいらないじゃんか。
私は元先生だったからこそ、誰よりも先生たちに甘く、心の中では誰よりも先生たちに厳しい。
今日の私たちの目的は、授業の活性化のために授業のFB観点を一緒に考えること。
この数学主任の先生とそれが相談できたら最高なのだが、少し話した結果おそらくそれが無理であることにだんだん気づいてきた。
この先生、自分のことが好きすぎだ。
特徴的な口癖。
こちらが褒めた時「そうですか?自分では何がすごいかわかんないですけど」。
先生が授業で工夫されている点はなんですか?
先生は生徒を惹きつけるためにどんな声掛けをされているんですか?
先生はどうやって授業中の雑談テーマを持ってくるのですか?
へぇ〜!!すごい!さすがですね先生、ご経験が違いますね。
先生の授業受けてたら数学得意になっていたと思いますぅ。
「そうですか?自分では何がすごいかわかんないですけど。」
と言いながら、気持ちよくなっているのは明白だ。
なぜなら、こちらがひとしきり褒め終えて次のフェーズに話を進めようとしたら、
「こんなのもありますけど。」
と次から次へさっきとおんなじようなプリントやら板書やら出してくる。
「うん、それさっき見ました。」
とは口が裂けても言えないので、
「なるほどなるほどぉ〜、すごぉ〜いですねぇ〜」
と我々の相槌もだんだん適当になってくる。
流石に雑なのバレるんじゃ。
よし、先生静かになったから次の話題いこ。「で、先生方の「こんなのも作ってみましたけどね。」
「…わぁ〜、先生これもすごいですぅ〜…」
私は苦しかった。
このわからんちんのおじさんの相手をすることが苦しかったのではない。
こういう人がいるからだ、ということを思い出したからだ。
教員とは尊い仕事だ。
未来のある、明るい仕事だ。
そのはずなのに、教育現場は停滞している。
もう味がなくなった古いものを何年も何年も前年踏襲で続けている。
この空気の澱みは、澱みの中にいても「絶対に何かが間違っている」とわかる。
でも、それがなんなのかわからない。
だから一度外に出てみることにした。
澱みの外側に出ると、澱みの正体がいかに先生たちの醜い感情なのかがよくわかった。
他責思考。個人商店主義。当事者意識のなさ。
ものすごく滑稽だ。
こういう人がいるから、何も流れない。良い風も悪い風も吹かない、何も変わらない。
でも私もそれを変える気がないから、所詮根っこは教員ということかな。
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