中古戸建て市場を面白くしたい
「ネオヴィンテージ」と言うコンセプトで、住宅市場にマンションリノベの次のムーブメントを作ろうと思う。
建築の多様性が一番現れるのが住宅なのに、中古戸建てが面白くないのはハッピーじゃない。
戸建てだって、ヴィンテージ品のように「古くなるほど価値が出る」を実現できないか?
いや、できるはずだ。
この考えに至った経緯と想像する未来を書きなぐってみる。
背景
マンションリノベ市場が一般に広がって久しいが、自分が学生だった10年くらい前は今ほど知られていなかったと思う。
10年前、まだ私は建築学生だった。
一般の人に比べれば20代の頃から、そこらへんのアンテナは張っていたので、そのころの自分にとってリノベーションは珍しくない感覚だった。
そして、R不動産やブルースタジオ、リビタなどが出てきて、身の回りに面白い中古リノベ物件を目にする機会が多かった。
UR のリノベアパート (確かリビタの案件) に住んでるとある夫妻のアウトドア結婚式 (@アパートの敷地内!) を手伝ったのは良い思い出だし、古い団地を改修して住まうと言う価値観に共有した人たちのコミュニティに触れ、そう言うライフスタイルもあるんだと、その頃からリアルに触れていた。
そのときは、これが一般化しないはずがないとは思っていたが、それは建築学生特有の美的感覚から出た言葉で、「市場」や「経済合理性」というものにそこまで興味を持っていなかった。
社会に出れば、社会がどう回っているのか、市場が受け入れる商品とそうじゃない商品、市場が変化するとはどういうロジックか、市場を作るとはどういうことか、多少検討つくようになってくると思う。
気づけば冒頭にも書いたように、マンションリノベは立派な選択肢の一つになってて、むしろ第一候補に挙げる人も珍しくない。
それを実現したのは、価値観の変化だけじゃない。
経済合理性も備わっていたからだ。
そして、裏を返せば、中古戸建てが流行っていない理由もわかってくる。
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そんな折に、私も家庭を持ち、上の子はもうすぐ小学生になる。
家購入を検討し始めて、今の住宅市場が見えてきた。
そこで出会ったハウスメーカーが向き合う住宅市場の課題は、私が長年モヤモヤして答えが出ていなかったことだった。
「住宅を買うと損をする」
思い返せば、自分が賃貸にこだわっていたのも、柔軟な生き方はもちろん、ここのところが大きかったんだと思い知った。
それをファイナンスで解決しようとするアプローチがそのハウスメーカーの売りで、私たちには新鮮に映った。
ただ、どこか引っかかる。
鼻から注文住宅は否定されたのも気にかかる。
建築学科卒でこだわりが強そうだから失敗するって思われるのもわかる。
カスタマイズしたい欲求がないと言うと嘘になるけど、引っかかってるのはそこではなかった。
どの選択肢も魅力を感じれないなか、消極的な意思決定しかできない。
なにより人生でもっとも大きなお金を投じるのに、ジブンゴトになっていない。
人が考えたソリューションに乗っかるなんて、アマノジャクな私には無理だった。
家購入を検討するとリスクばかり気にしてしまうのは確か。
むしろリスクを楽しめる価値転換はできないのか。
いつも逆張りしてきた人生だったから、お前がそう言うなら私はこうやってみようと思ってしまう。
一度ケリをつけた (ついてない) 建築に戻って何かできないのか?
色々考えてみた結果、自分が「住宅市場を面白くしたい」と思うに至った。
今の世の中ますますお金は大事だとうたわれるようになってるけど、それだけで解決するなんて全然セクシーじゃない。
そこに青臭い美的感覚が少なからず残ってることは否定しない。
今はお金に興味を持ち出して、短期でインプットしての浅知恵だけど、住宅市場や不動産投資のことが少しずつわかってきて、それでもやっぱりお金に興味はない。
興味はないけれど、そこを無視して牧歌的に家づくり楽しんじゃおうというつもりではない。
市場価値を考慮することは大前提としても、住まいの価値ってそれだけじゃないだろと言うことを示し、伝えたいのだ。
あって然るべきもう一つの住の選択肢を作る。
住宅市場の渦中にいる人たちからすれば、青臭い、何を夢見てるんだ?と言われるかもしれないけど、多分できる。
根拠はまだないけど、確信が生まれた瞬間。
これだけ価値観が多様化する中、画一的だった住宅市場にもたらしたマンションリノベの功績は大きいと思ってる。
では、なぜ戸建ての中古市場は未だに盛り上がらないのか?
なぜ戸建てをリノベすると言う案件を目にしないのか?
中古戸建てが面白い選択肢になってくると、家選び家づくりはもっと魅力的になるはずだ。
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自分は高校生の頃から古着が好きだった。
今は着る機会がめっきり減ったが、学生の頃はよく下北沢の古着ショップに通って、ザーッと眺めては何も見つからず帰ることもよくあった。
この感覚はリノベと似てる。
リノベるが古着好きの夫妻を使って CM 作ってるのは的を得てると思う。
余談だけど、最近は不動産物件ばかり見てるから、YouTube の広告がほぼリノベる一色になっている。
使い古されたスタイルから、自分の趣向にあったものを選択していく。
マンションリノベも「作る=産み出す」と言うよりは「着こなす=スタイルを選択する」感覚に近いかもしれない。
一方で、古着の真髄は別にある。
古いもの=価値があるということ。
懐古主義ではない、その時代にできたものを肯定すること。
マンションリノベにはそこに物足りなさを感じることがある。
学生の頃によく見ていた団地のリノベとは違って、マスに認知された「マンションのリノベ」はややキャラクターに乏しい。
側から見てではあるが建物自体への思い入れを感じることはあまりない。
「ソフト」ではなく「ハード」に目を向けてみようよ。
中古マンションのメリットは古いことそのものではなく、安くて、流動性が高いところで、建物そのものはやはりあまり関心がないのかもしれない。
そこを隠蔽することが暗黙の了解になっているんじゃないか。
だって、その方がみんなそこそこハッピーになれるから。
とはいえ、きっとリノベした人は自分たちの想いを具現化できて満足してるだろうし、住んでよかったと感じてるとも思うし、そこを否定したいわけじゃない。→ここ、ヒアリングしたいかも
でも、そこの価値に「時間」と言う概念が存在していないのは確かだ。
中古戸建てで同じことができない要因はここにある。
僕がやりたいのは「古いものほど価値がある家」だ。
嘘みたいな話だけど、中古戸建てで新しい市場を作りたい。
古着には、ファッションの要素とヴィンテージの要素がある。
前者はどう取り入れ着こなすか、後者は背景とモノそのものを愛でるか。
ここには大きな違いがある。
消費されない普遍的な価値。
住宅でもそれを実現したい。
いや、数多いる建築家はそれをやってきている。
私がやりたいのは、住宅「市場」でもそれを実現したい、だ。
これは並大抵のことではない。
古い住宅が価値のあるものと認知されるための文化醸成と、古くても安心して住める検査や保証周りのスキームの両方が達成されないと、歯車は回らない。
僕らが発明するのは「R不動産的な商品棚」なのか「経年劣化に反比例する美」なのか「検査評価スキーム」なのか、はたまたそれらともまったく違うナニカなのか。
結果としては「市場」なんだけども、まだそこの解像度が足りていない。
時間が経ったり、人の手垢がついたりしたことで、価値が向上したものを歴史から発見していって、そこに共通するものは何か?
まずやるべきことは、「ヴィンテージ」の共通項を分析することと、そんな住宅が流通している未来を物語として語れるようになることだ。
応援してくれる方は購入すると、なぜこの考えに至ったかの至極個人的な物語が読めます。
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この考えに至ったきっかけは大切な友人の存在だった。
私の夢は、親友に家を建ててもらうこと、親友と一緒にまだこの世にない新しい何かを生み出すこと。
恥ずかしいから一度しか言いません。
親友Mは世界的に有名な某建築設計事務所のエース。
彼は大学時代の同期で、共に建築を専攻した同志であり、ライバルだった。
出会いは建築学部の新歓で、彼と挨拶を交わした瞬間、互いに「こいつとは本気本音で話せるぞ」と同時に感じ取ったことがその後の縁を予言していた。
建築学生としての生活が走り出すと、自然と2人で毎週建築巡りをしては、彼の家に帰って夜通し議論すると言う日々が続いた。
そこから、互いが互いの目指す道を見出すようになって、建築事務所に修行に出ては、学校の設計課題で切磋琢磨した。
時は経って、学部4年の春、ヨーロッパに建築を見に行こう!と投合し、スペインとフランスを1週間強で巡る旅に出た。
恥ずかしながら、これが私にとって初の海外旅行だった。
スペインではバルセロナのエネルギッシュな街、建築、人に触れ、フランスでは近代化より歴史と伝統が優位な成熟した都市に触れた。
「旅をするならスペイン、住むならフランス」
帰国後、申し合わせたように同じ感想を抱いた。
そして、フランスの持つ住の豊かさは、自国の状況を見るにそれに対する羨望は一層強まっていった。
親友は建築一筋で歩みを止めず邁進し、私は建築からソフトウェアの業界へ転身する。
互いが異なる道を歩む中、親友はフランスの世界的に有名な建築事務所に籍を置くことになったことと報告を受けた。
フランスに住むのか。
あの旅で抱いたものを実現するんだね。
自分のことのように喜び、ワクワクする一方、嫉妬を抱いたのも確かだ。
負けてられない。
私は建築を離れ、違うフィールドで戦うことを決めたから、同じ土俵ではないけれど、彼に負けじとチャンスがあれば、そこに飛び込んでいくことを続けた。
それから10年近く経って、もう一度一緒に面白いことがしたい。
それを「住」でできたら面白い。
親友はもう1人いる。
親友Aは構造から改修して価値を復活させるのが売りの建築事務所上がり。
彼は同じ大学の後輩にあたる。
学生の頃から社会人になっても、一緒にワクワクすることに首を突っ込んできた仲である。
共にイベントやワークショップなどを企画・運営したりともはや以心伝心。
リノベが流行る前から改修を軸としたビジネスをしていた建築家に師事しており、改修〜リノベや不動産などの守備範囲が広い。
そんな2人の個性と自分のペインを組み合わせたら、ヴィンテージな住宅を実現できる気がしてきたのだ。
実際にこの話をしたのは親友Aだけだけど、2人が共同で独立するという話が全ての始まりだった。
(親友Mも一緒に話す予定だったけど、所用でその場に来れなかった)
相談する前からここまでのことが理路整然となっていたかというと全くそんなことはなかった。
話始めたら、どんどんその場で言語化されていく感覚で、互いの感性と経験によって引き出された不思議な時間だった。
そして、一旦その普遍的な価値を「ネオヴィンテージ」と呼んでみることにした。
ちょっとダサいけど、今のところ一番しっくりきてる。