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私自身の「深掘り」をしようと思ったきっかけ。

我が家の子供たち。

不登校の次男。

 我が家の次男は、今、中学3年生だ。中1の3学期から不登校になり、今も学校に通っていない。
 学校を休み始めたころは、何が原因なのか?友達?担任?勉強?嫌な出来事があったのか?色々と考え、本人にも聞いたりして、どうにか学校に通えるようにならないだろうかと考えていた。
 その後、ネットで読む色んな記事や、インスタで不登校について発信している方の投稿を見て、「見守ろう」という考えに落ち着いた。
 今考えると、今までの、そして不登校になってからの私の行動にも問題があったのだろうか?そんな思いもしてくる。

大学受験の長男。

 長男は高校3年生。大学受験に向けて日々勉強を頑張っている。
 小さいころから年齢の割には大人びていて、小3の時の担任の先生が懇談会の時に言った「良くも悪くもマイペース」という言葉がぴったりだと思っていた。
 ちょっとした反抗期があったり、不機嫌な時があったりするけど、思春期だしこんなもんだろうと思っていた。
 親や兄弟とも会話をするし、愛猫にちょっかいかけたりもして、家庭内では穏やかに過ごせているものだと思っていた。
 しかし先日、長男が携帯電話を破壊し、今までにないくらい感情をあらわにして怒っていた。
 その日の夜に、長男、私、夫の3人で話し合いをし、何とか収まったのだが、長男がこうなった原因は、今まで私たち親が子供に対して「いい親子関係が作れている、穏やかな家庭環境ができている」と勝手に思い込んでいたせいなのだと思う。
 完全なる傲りだと思った。親として恥ずかしく思った。そしてそれを言わざるをえなかった長男に対して、本当に申し訳なく思った。

穏やかな三男。自由な四男。

 先に書いた長男、次男のほかに、我が家にはあと二人、子供がいる。
 三男は中学1年生。穏やかな性格で争いを好まないタイプ。運動は得意だけど、それ以上にゲームが大好き。やんちゃじゃないから勉強はできるのかというと実はそうでもないっぽい。
 四男は小学5年生。末っ子らしく自由奔放で、「ザ・少年!」って感じ。上三人が比較的おとなしかったからか、上の子たちがやらないようなことをよくやらかしてくれる…。ビッグマウスの割には、本番に弱いタイプ。

子供の問題は、親の問題?

子供それぞれに、それぞれの問題。

 同じ親から産まれた子供でも、全く同じ環境ではないわけで。家庭内での立場も違えば、学校での友達、先生も違う。
 それぞれに違う環境があり、その中で起きてくる問題も、みんな違う。
 それに対して、どう向き合うのか。どう解決に導くのか。
 「親」として「子供」にどう接するのが正しいのか…。

「親」と「子供」。

 そもそも、「親」というだけで子供を「正しい方向へ導かなければならない」という考えはどうなんだろう?
 もちろん「親」だから、「子供」に対して責任感はある。雨風しのげる家を用意しなくてはいけないし、空腹を感じないように食事も与えなくてはならない。清潔な衣服と、学校生活やその他の環境で必要になる用具も用意しなければならない。

 その点、私自身は私の両親に、何不自由なく育ててもらい、とても感謝している。
 ただ、私が迷ったとき、悲しいときに、私が満足できる、納得できる対応をしてくれただろうかと考えると…親を信頼できるほどの安心感を与えてもらったことは少なかったように思う。
 そう考えると、私自身は子供にとってどんな「親」になりたいのかが見えてくる。

 私は、自分の親にもっと話を聞いてもらいたかった。迷ったら相談をし、悲しいことがあったらそれに共感し一緒に悲しんで、嬉しいことや楽しいことがあったら、それを一緒に感じて欲しかった。

 私は、子供が迷っていたら一緒に考え悩み、子供自身が納得する道を歩んで欲しい。悲しいことがあったら一緒に悲しみ、話せば気持ちが落ち着く存在になりたい。嬉しいことや楽しいことがあったら、キラキラの笑顔でその出来事を話してほしいし、その話を聞いて一緒に笑い合いたい。
 私は、子供から信頼される親になりたい。子供に安心感を与えられる親になりたい。
 「親だから」ではなく「君たちよりちょっと長く生きていて、ちょっとだけ色々経験している人間だから」共に考えて、子供たちが自分の力で生きていけるようになるまでのサポートをしたい。

自分を紐解くことが、子供のためになるのか?

 なんだか話がそれてしまったような気がするが…。
 要は、自分自身を知らない人間が、他人のことなんか分かるわけないだろう、ということだ。
 私自身が、今まで自分のことをあまり深掘りせず、「まぁ、私ってこんな人だから」とざっくりした認識で生きてきたから、子供に対しても本質を分かってあげられず、今の家庭内での色んな問題が起こっているんじゃないかと思う。
 子供の抱える問題を一緒に考えて解決するには、そもそもまず親のことを信用してもらわなければいけないし、そう思ってもらえる存在にならなければいけない。
 信頼してもらえる存在になるためには、自分が自分のことを理解し、自分自身の問題を解決できるようにならなければならない。
 私自身の親との関係とか、信用とか、そういう問題を自分で理解することが、結果的に自分と子供との信頼関係や、子供自身の問題解決につながるのではないだろうか。
 …と、勝手ながらに思っているのである。




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