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私は、色々「グレー」なのではないか?

私は「グレー」なアダルトチルドレン??

 次男の不登校、そして最近家庭内で起きている問題色々…。
 何がいけなかったんだろう?あの時、どうしていればよかったんだろう?あの発言がいけなかったのかな?もっとこうすれば良かったのかも。…後から思うことはたくさんある。

 そんな中で、ふと思ったこと。
 それは、「私はアダルトチルドレンなのかもしれない」ということ。
 アダルトチルドレンに限らず、HSP、ADHDなど、それぞれの特徴などを見て、完全に当てはまるというよりは、どれもこれもグレーな感じ。
 HSP、ADHDは、家庭の問題とは直接関係ない気がするので、今回はちょっと片隅に置いておくことにする。

 そもそも、「アダルトチルドレン」とは、「子どもの頃の心的外傷体験によって、傷ついた状態で大人になった人」のことを言うのだそう。
・虐待を受けてきた
・機能不全家族だった
・毒親に育てられた
・親が過干渉もしくは過保護だった
・親が精神的に幼い
・親が依存症だった
このようなことが原因のようだ。
 ただ、私がそういう家庭で育ったかというと、あまり当てはまるものがない。強いて言えば「機能不全家族だった」ということだろうか?
 「強いて言えば」というくらいの環境で育ったので、アダルトチルドレンとしても症状が薄く、「グレー」なのではないか?と思っているのだ。

私の家庭環境

 私の家は、父、母、2人の兄、父方の祖母の6人家族だった。
 2人の兄とはそれぞれ9歳、12歳と歳が離れており、末っ子でしかも唯一の女子ということもあり、まるで一人っ子のように育てられた。

 私は、父に怒られたという記憶がない。というより、物心ついてから、父と関わった記憶がない。小学校の父親学級で一緒に竹トンボを作った記憶くらいか?年の離れた唯一の娘に、どう接していいか分からなかったのかも、と、今になって思う。欲しいものの話、進路の話など、全て母経由で伝えていた。
 母とはかなり衝突していた。小さい頃は、朝の準備がなかなかできない私に「なんで早く準備できないの!?」と、毎朝頭を叩いて怒っていた。思春期の頃はバリバリの反抗期で、母とは話したくないと思っていたし、話しても不機嫌な受け答えしかしなかった。
 兄たちとは年が離れていて、同じ家に住んでいても会うことも少なく、会話をすることがほとんどなかった。
 祖母は、一番最後に産まれた孫である私のことをとても可愛がってくれていた、らしい。土曜日のお昼は、仕事で居ない母の代わりにお昼ご飯を作ってくれていた。会話をする機会も多かったが、ネガティブな内容(早くに夫(私の祖父)を亡くしていたためか、「もうばぁちゃんもお迎えが来るのかな」というような内容)が多かったり、口うるさいところもあったため、思春期の私は少し距離を置いていたところがある。少し距離を取っていた時期に祖母が亡くなった。口うるさいと思っていたことは、実は心配してくれていたんだと、亡くなってから気が付いた。

 そんな家庭環境で育った私は、自分の立ち位置も幼くして理解していたので、欲しいものは買ってもらわないと気が済まない、という、手の付けられないような我儘な子に成長していた。(家の中でだけね)
 よく言えば自由奔放に、悪く言えば放置されて育ったのだと思う。特に祖母が亡くなってからは。
 母ももしかしたら,色々と心配していたことはあったのかもしれない。でも当時の私には「心配しているよ」という気持ちが伝わってこなかった。ただガミガミ怒られているとしか思わなかった。

母との関係

 私も結婚し、子供が生まれた今でこそ、母とは普通に話すし、母も「やっぱりお嫁さんと実の娘は違うもんね」と言って、会話もする。
 ただ、昔は「確執」というか、私も母に普通に接することができない時期があった。「私のことを分かってもらえない」と思っていたのかも。

 決定的な2つの出来事がある。

 1つ目は、祖母が亡くなって少し経った頃。
 中学1年の私は、友人と2人で万引きをしてしまったのだ。
 案の定お店の人に見つかり、学校に連絡が行った。そして親にも。
 母が学校に迎えに来て、家に帰るときに「なんでこんなことしたの!?」と怒ったように言った。父にも「こんなことしたんだよ!?」と、怒ったように言った。涙も流していたけれど。「お店に謝りにいかないといけないじゃん!」と。
 私も友人と、なんでこんなことをしよう、となったのか覚えていない。しかも商品をカバンに入れるのも、こっそり、というよりは、ガンガンカバンに入れていく感じ。見つかってもいい、と思っていたのかもしれない。
 母はその時、私を責めるばかりで、なんでこんなことをしたのか、心配してはくれなかった。後になってから思う。この時私は「なんでこんなことをしたの?」と聞いてほしかったのだ。自分でも、なんでこんなことをしたのか、答えられなかったかもしれない。でも、気にかけて欲しかったんだと思う。

 2つ目の出来事は、中学2年生の頃だっただろうか?日も暮れかけた帰り道、私は自転車通学だったが、学校を出て少し進んだところを、自転車を引いて歩いていた。
 車通りも多い道の歩道で、少しガラの悪い男が声を掛けてきた。どんなきっかけでとかは覚えてないけど、しつこく「お金ちょうだい」とたかられた。「無いです」と言っても、「持ってるんでしょ?渡しなよ」と、なかなか諦めてもらえなかった。その日、なんでか知らないけど、私は5000円を鞄に忍ばせていた。帰りにどこかに寄ろうと思ってたわけでもないんだけど、なんでか、たまたま、持っていたのだ。しつこく「お金出しなよ」という男に、怖くて、早く解放して欲しくて、「無い」と言っていたお金を鞄から出した。男は5000円を受け取ると、すぐに去っていった。
 家に帰ってから、部屋に籠っていると、母が来た。反抗期真っただ中だし、自分の事を話すのも苦手だけど、その日のことは勇気をもって母に打ち明けた。母は私の話を聞くと、相手の男に怒るわけでもなく、学校や警察に連絡するでもなく、一旦私の部屋を出て戻ってくると、5000円を私に渡した。
 5000円を受け取り、母が部屋から出て行ったあと、私は涙が溢れてきた。怖かった思いと、たぶん、母にもっと心配してほしかったのだと思う。勇気を出して話したのに、「怖かったね」という心配の言葉を聞けなかったのだ。

 この2つの出来事から、私は親に「自分の事を理解してもらえない」と思ってしまったんだと思う。

お金=愛情?

 私は、金銭面で言えば、何不自由なく育ててもらった。
 欲しいものも買ってもらえたし、短大も行かせてもらった。短大の身分証明カードで校内での買い物ができるんだけど、売店やモスバーガーでどれだけ何を買っても、怒られる事は無かった。
 そこは本当に感謝している。何不自由なく、他の子に負い目を感じることもなく生活できたのは、間違いなく親のおかげだ。

 ただ、それが子供への「愛情」か、というと、それだけではないと思う。
 「お金」も、間違いなく愛情だ。ただ、それだけでは満たされないものがある。
 私は、幼少期に親と色んな会話をしてこなかった。聞いてほしいと思っても言えなかった。
 親も、私に「今日はどんなことがあったの?」とか、「テスト頑張ったね」とか、そういう会話はほとんどしなかったと思う。
 「親子の関わり」という愛情が、私には足りていなかったのだと思う。

「アダルトチルドレン」は連鎖する?

 母も7人兄弟の末っ子で、母親(私の祖母)を二十歳のころに亡くしているそうだ。今思えば、「母親からの愛情」というものに疎かったのかもしれない。

 そしてなぜ、私の生い立ちをこんなに長々と書いたのか。
 それは、私が長男を「アダルトチルドレン予備軍」にしてしまっているのではないかということを懸念しているからだ。

 この記事でも書いたように、長男が携帯を破壊して怒りをあらわにしたのだ。その時に彼が言った「もっと子供に関心持ちなよ」と。
 私は、私の親に「関心を持ってほしい、気にかけて欲しい」と思っていながらも、自分の子供に対しては出来ていなかったのだ。「長男はマイペースだもんね。しっかりしてるもんね。」勝手にそう決めつけて。
 それを、長男に言われて初めて気が付いたのだ。
 なんと情けない親だろうと思った。自分がして欲しかったことを、自分の子供にしてあげれていない、自分が嫌だと思った対応を、子供にしているなんて…。
 このままでは、長男も私と同じ「アダルトチルドレン」になってしまう。(まだ、私がそうと決まったわけではないのだが)それだけは嫌だ。長男に、私と同じような気持ちを、これ以上味わわせたくはない…。

 でも長男は「17年関わってこなかったんだから、今更関わらないでくれ。そっとしておいてくれ」と言う。「急に関わられたら気持ち悪い」とも言われた。
 でも、関わらなければ、長男が、もしかしたらすでに感じてしまっているかもしれない生きづらさを、大人になっても抱えさせることになってしまう。
 どうしたものか…。

私の「グレー」を見極めれば変わるのか?

 冒頭にも書いたように、私は、自分が色々「グレー」なのかもしれないと感じている。
 それを見極めて、きちんと対処することで、もしかしたら家庭内でのモヤモヤが少し晴れるかもしれないと思っている。

 先日、市内の相談室のようなところに、相談の申し込みをした。以前、次男の不登校のことで話を聞いてもらったことがあるのだ。
 次男の不登校、そして長男の親に対する嫌悪、それと私がグレーかもしれないこと。客観的に話を聞いてもらって、私自身のカウンセリングなども必要そうであれば、クリニックに行って受けたいと思っている。
 私がグレーかもしれないことと、子供たちの色々が関係ないのだとしたら、他にできる事は無いのか、相談しようと思う。

 日々の生活が、みんなの心が、少しでも穏やかになる方向へ進んでいけたらと願う。


 




 


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