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『リトル・マーメイド』と種を超えた恋愛【ディズニー作品をセクマイ的に考える】

今回扱う作品

●『リトル・マーメイド(原題:The Little Mermaid)』(1989)
●『リトル・マーメイド(原題:The Little Mermaid)』(2023)


アニメ版と実写版で何が変わったのか?

1989年に公開された『リトル・マーメイド』ですが、その実写版が今年公開されました。

公開前から物議をかもしていたのは、主人公アリエルを演じる俳優問題。
今回アリエル役に抜擢されたのは、ハリー・ベイリーさんでした。

なぜ問題とされたのか?それを簡単に言うと、肌の色です。
アニメ版のアリエルは肌が白く、それに基づきディズニーテーマパークで会えるアリエルも白人です。
よって、アリエル=白人という考えが確立しており、それが崩れてしまっていることに対して素直に納得できない人が多かったようです。


実は、物議をかもしていたのはこれだけではありません。
物議をかもしていなくても、アニメ版から変更されている箇所はいくつもあります。

詳しくは、こちらの記事を参考にしていただきたいです。
というか、この記事を書かれた方は、ディズニープリンセスを中心として、人種問題やLGBTQ+などの問題について研究されている方のため、説得力は凄まじいです…。

といっても、何も触れないわけにはいかないかもしれないので、次節から少し意見中心に書いていきます。


「男は黙っている女が好き」を削除

このフレーズは海の魔女アースラの曲「哀れな人々(原題:Poor Unfortunate Souls)」に出てくる一節です。
足を手に入れるために声を失うアリエル。そんな彼女にアースラが放ったのが、

人間の男たちは
大嫌いよ オシャベリは
好まれるのは 黙ってうなずき
男の後ろを歩く

「哀れな人々」
作曲:アラン・メンケン
作詞:ハワード・アッシュマン
日本語詞:松澤薫、近衛秀健

要は「声なんて無くても大丈夫!」と言いたかったのでしょう。
ただ…今の時代にはそぐわないと判断されたのだと思います。

どこか、東京五輪の時に話題になった森喜朗さんの一件を思い出してしまいます。

ただ、個人的に思うのは、これを言っているのはヴィラン(悪役)なんだから、とことん悪いこと・酷いことを言ってもいいのではないか?ということです。
「この言葉の何がいけないのか?」と考えるきっかけになるのではないかと思うからです。

ただ…現実的には難しいんでしょうね……。


「合意のないキス」は性暴力

アースラに課されたミッションによって、3日後の日没までにエリック王子とキスをしなければならないアリエル。
そのため、アリエルにとっては王子にキスされることはウェルカムな状態だったのです。
しかも、セバスチャンたちによってムーディーな良い雰囲気にセッティングされています。

そんな状況下で歌われる「キス・ザ・ガール(原題:Kiss the Girl)」。

ただ、いくら雰囲気が良くても相手がキスをする/されることに合意しているとは限りません。
そういった考えに基づき、歌詞が変更されたのだと思います。

一瞬「え?」と思うかもしれません。
しかしながら、我々視聴者はアリエルのバックグラウンドを見てきた上であのシーンに入るために「キスを待ち望んでいる」と分かります。けれども、エリックはそんなことは知らないので「キスしてもいい雰囲気だな」とやんわり感じとる他なかったのではないかと思うのです。




種を超えた恋愛

さて、前置きが長くなりましたね。ここからが本題です。

今回注目していただきたいのが、アリエルとエリックはもともと別の生物だったという点です。
最終的には、アリエルは人間になるわけですが、恋をした当初は人魚でした。

これを我々の生きる社会に落とし込んでみましょう。
「人間以外と恋愛をする」です。

以前チラッと聞いたことがあるのは、犬と結婚したとか木と結婚したという話です【※1】。

どれも日本の話ではありません。

では、日本では何かないのかな?と考えました。

ピンと思い付いたのは「フィクトロマンティック/フィクトセクシュアル」でした。

フィクトセクシュアルとは、架空のキャラクターに性的な魅力を感じるセクシュアリティです。一方、感じるのが恋愛的な魅力であればそれはフィクトロマンティックと言えるでしょう。

https://jobrainbow.jp/magazine/fictosexual

詳しくは、こちらの記事・動画も参照してください。


言ってみれば、これもアリエルたちと同じ「種を超えた恋愛」と言えると思うのです。

私の感覚としては、映画を観た感想としてアリエルの恋愛指向に難癖をつける意見はいない印象…。それどころか「結ばれて良かった!」と考える人ばかりです。

しかしながら、フィクトロマンティック/フィクトセクシュアルの話になると…微妙な反応をする人が見える印象です。

なぜでしょう?


作中でのアリエルに対する反応

作中では人間(エリック)に恋をしたことへの賛成意見はありませんでした。
というか、父トリトンをはじめとして、反対意見中心でした。

その理由は「種を超えた恋愛」だからではなく「人間だから」
トリトンは、妻(アリエルの母)が人間によって殺されたと思っているために、人間を憎んでいるのです。

そこで、新たな疑問が生まれます。
では、フランダーやセバスチャンなどだったらよかったのか?【※2】
その辺りは作中では言及されていないので、何とも言えません。


作中でのエリックに対する反応

では「エリック側はどうなのか?」ですが、アニメ版(1989)では特に言及されていません。
基本的にアリエルがメインで描かれていたために、エリックサイドの心情については、それほど細かく描かれていませんでした。

ところが、実写版(2023)では違います。
アニメ版には出てこなかった「エリックの母」の登場によって、エリック側の気持ちが描かれるようになりました。

エリックの母が、相手は人間ではなく人魚なんだから諦めるよう説得するシーンがあるのです。
しかし、エリックは諦めなかったわけですが…。

先の章とも関連しますが、この辺りもアニメ版と実写版の違いで、今の時代と照らし合わせることのできるポイントなのではないでしょうか?




さいごに

ということで、映画『リトル・マーメイド』と「フィクトロマンティック/フィクトセクシュアル」を関連づけて記事を書いてみました。
しかしながら、私自身が「フィクトロマンティック/フィクトセクシュアル」について勉強不足だったことが否めないため、今後書き直しを行うということ念頭に置いていただきたいと思います。

また、文章力や語彙力が完璧だというわけでもないため、誤った認識を招きかねない書き方をしている可能性があることを事前に謝っておきます。

もし何かご意見等ありましたら、コメントをいただけると幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




※1:テレビ番組等でチラッと見た程度なので、資料等はありません。すみません。
※2:フランダーのモチーフはイシダイ、セバスチャンのモチーフはカニとされています。

参考文献(紹介順)


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