できるの定義 : できるってなんだろう
■ はじめに、サマリ
仕事が「できる」ってどんなことだろうって考えてきた。
その定義について、すんなりと5つに整理できたつもりだった。
でも、「できる」の基準はなんだろうってモヤモヤしていたら
「できるとは、人との関係によって生み出させる」ものだと気づいた。
だから、人によって評価は異なるし、
どんなコミュニティに属しているかで「できるの定義」も違っていく。
でも困ったこともあって、
他者から評価を受けることに敏感になることで
自分よりも他者を納得させるために駆けずり回って
疲れ切っていないだろうか。
自分で自分に「まる」をつけられたらいいんだけど
何がどうなっていれば「まる」なのか、
ぼく自身はそれを分かっているのかな、と。
そして、他者とも「まる」をつけ合うために、
自分や他者やコミュニティが
どんな「まる」をつけてもらいたいと思っているのか
みんなでお互いに理解しあっていたい。
そうすれば、それぞれの居場所で
少しでも心軽く過ごしていけるのではないかと思うのだ。
■ できるとは何か?を考え始めた
「できるの定義」については、
ぼくが社会に出たわりと早い段階からいくつかは整理できていた。
その後も付け加えたり、まとめ直したりして
15年くらいたった今では5つに整理したところで落ち着いている。
実は、ぼくのことだけど
テーマはこれに限らず、たくさんのことを文章にしたくて
考えをまとめていこうと取り組み始めた。
そのなかでもこの「できるの定義」については
いちばん最初に書き始めた。
なんだか簡単に書ききれるような気がしたからだ。
5つを並べて書いて、それぞれについて
あらましを加えていけばそれでよいかと思ったのだ。
でもそんな簡単ではなかった、という考えの流れをまとめてみる。
■ できるの定義
仕事が「できる人」になりたい。
後輩や部署のメンバーに「できる人」になってもらいたい。
「できる」とは何か?という問いを持って
同じチームのメンバーをはじめ、仕事で接しているみんなを観察してきた。
いま思えば、これらはあくまでも
とある「会社員」である自分から見えた自分と他者についての
「できるの定義」として浮かんできたもの。
・(1)環境的に
・(2)能力や資質的に
・(3)気づく
・(4)約束を守る
・(5)他者と向き合う
・(1)環境的に「できる」
これは本人をとりまくもの。
例えば育児や介護をしていれば、勤務時間以外の時間を
すべて自由に使えるというわけではないし、思うように残業できるというわけでもない。
あるいは、勤務時間内であっても、突発的に育児・介護に時間をとられることもあるだろう。
場合によってはそもそも会社員として勤務できないこともあるだろう。
というような、本人をとりまく状況によって就業できる状況は変わるというもの。
・(2)能力や資質的に「できる」
こちらは本人自身のもの。心身の特徴によって得意・不得意があるし、
また勉強して後天的に身に付けた知識やスキルも仕事ぶりに影響を与える。
・(3)気づくという「できる」
すぐそこにやるべきことやチャンスがあったとしても
それに気が付かなければ、そもそも取り組むことさえできない。
機会を得たり環境が許したり、あるいは能力があったとしても
活用・発揮できないことだってあるのではないかと思う。
こちらも本人自身のものだけど、属している場所によって大きく変わるものだと思い、(2)とは分けて考えたかった。
・(4)約束を守るという「できる」
他者との関わりにおいて、時間って、何にも代えがたい大切な資源。
約束するということは、相手に時間を確保させているし、
約束を果たせるように他のことを犠牲にさせている。
だから、約束を守ることで他者の大切な資源をも守り、損失も与えないという「できる」。
・(5)他者と向き合うという「できる」
仕事をしていると、他者と立場・事情・好みなどが相容れなくて、
大小さまざまなコンフリクトが産み出される。それをやりくりできること。
また、誰かと協動することでしか成し得ないこともある。
こちらの意図やその意義をしっかりと分かってもらって協力してもらえること。
■ 「できる」とは、他者との関わりの中で産み出されるものではないか
でも、ここまで書いてみたら、
まったくもって簡単には語り切れないテーマだったと気が付いた。
繰り返しになるけど、これらはあくまでも
ぼくが職場にいて仕事をしているうえで、
ぼくから見えている範囲で考えついたものだ。
つまりはうちの会社の、ぼくの周りでだけ通用するものだな、と。
だから、「できる」ということは、場所によって違うんだろうな、とも。
できた方がいいことやその点数みたいなものは
属しているコミュニティによってさまざまに異なるのであろうな。
それに加えて、そもそも
現代の職場において「評価」とは、往々にして他者とかかわるからこそ産み出されている、ということ。
この「そもそも」のところはきちんと心に留めておきたいと思った。
他者からよい評価を得ることが何よりの目的になっている場合もあってその是非を考えたいし、
一方で、自分も誰かの評価をしているということについても考えておきたいからだ。
こうしてぼくは、「できる」とは絶対の定義があるのではなく
「人との関係によって産まれ、変化するのではないか?」という問いを
持つことができた。
■ 他者の納得を求めて駆けずり回ってないか?
あっちのチームにいたときは「できた」のに、
こっちでは「できない」こともある。もちろんその逆も。
会社なら、例えば、上司が変わればメンバーの評価も変わる
なんてことをよく体感してきた。
関わる人が変化するたびに自分ができるかどうかも変化していく。
そして、どんな場面でも「できる自分」でありたいがために
他者の期待に敏感になって、それに自分を寄せていこうとしてしまうのではないか。ときには必死で。
少なくともぼくは自分よりも他者を納得させること、
つまりは誰かの期待に応えて「まる」をつけてもらうこと、
そればかりを考えて駆けずり回っていたことがある。
他者を納得させることができても、自分が納得できていないと
それは全体では偽りの納得となって、
最後には自分も他者も納得できていないことになってしまう。
※これは別テーマとして詳しくまとめたいテーマでもある。
しんどい日々が始まって、それがいつまでも続いて、
そして疲弊していってしまうこともある。
※ぼくはメンタル不調に陥った。別で詳しくまとめていきたい。
■ 自分の理解と他者の理解
他者との関係でコロコロと変わっていく評価を追いかけていると
自分ができている感じもどんどんと変わっていって、
とてもじゃないけど心穏やかには過ごしていられない。
まずは自分で自分に「まる」をつけていかないと
心が健やかで、前向きに、お仕事したり生活したりしていけないよ。
では、自分がいいと思えることは何だろうか。
それはなぜいいと思えるのか。
その基準になっている自分の価値観とはどんなものなのか。
そこまで掘り下げて自分を見つめ直す作業、
つまりは自己理解がまずは必要なのではないか。
例えば職場においては、どんなふうにお仕事していたいか、
あるいはそこではどんな自分でいたいかということのベースとなっている
自分の価値観を認識したり、改めて考えて定義しなおすことやそこに目を向け続けることが何より大事なのではないだろうか。
そして、それと同じくらい大事だと思うのは、
一緒に仕事している相手や他のメンバーがどんな価値観や資質を持って
お仕事しているかを理解すること。
自分だって誰かに「まる」をつける役割を持っているからね。
自分もみんなも納得していることで
自分もみんなも「できている感じ」を得ることができると思うのだ。
■ さいごに
自分を理解することと他者を理解すること、
そしてお互いに理解しあうこと。
それは、自分の納得を定義することと
他者の納得に貢献することについて
考え続けるとても長い旅のように感じることがある。
「できる」を考えるって、
その長い旅路にあり続けることのような気もしてきたな。
でも大丈夫。みんなと一緒なら
長く旅していけると思ってる。
‐ ‐ ‐ 以上です。
読んでくださって本当にありがとうございました。
ほんとうにさいごに
ぼくはメンタル不調になって、突然に長くお仕事を休みました。
休んでよかったと思っています。
いま、体のどこかが痛いとか変だとか、
水のなかにいるようでみんなが話しているのが理解できないとか、、、
そんなことを抱えている方、すぐにでも医療にかかって休んでください。
会社のことは何も気にせず、何より自分のためにそうしてあげてください。
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