自分を愛そうとする人は、みんなのことも愛せる人だ _(2)診断・休職まで
休職する前の半年くらい、つまりは年明けから夏前まで
どんなふうに過ごしていたかな。
仕事時間に育児して、睡眠時間に仕事した。
育児が始まって、管理職になって、何年か前からずっとそうだった。
コロナ禍でリモートワークとなって、余計にそれが加速した気がする。
子どもたちは、ふたりとも喘息と診断されていて、
春先から梅雨時期にはよく体調を崩して保育園へ登園できず
病児保育で預かってもらったり自宅でお仕事しながら子守りをしたりしていた。
4月には家族全員でコロナ陽性となって、
20日間くらい全員でおうちにこもった。
6月には次女が体調を大きく崩してしまい、10日ほど入院して小さな体で高熱と戦った。
毎日、おくさんと交代で、制限された少しの面会時間を惜しむように付き添った。
そんななかにあってぼくといえば、
ずーっと頭がいたい、ずーっと胃がいたい、ずーっと左耳の奥がいたい、息をすると背中がいたいというふうに、毎日がつらいというよりかは、毎日がいたいと思っていた。
もともと、ひどい肩こりだからそれが原因だと思っていた。
子どもたちが寝たあとに、遅くまであいている整体に通って、6月はものすごくひどかったから週に2回も行って、伸ばしたりほぐしたりしてもらっていた。
また、腹痛の原因はコーヒーの飲み過ぎたとは意識していたんだけど
どうしても飲まずにいられなくて、週に10リットル以上を飲み続けていた。
1日が終わって、寝る前にもブラックで1杯飲まずにはいられなかった。
資源回収の日のあさ、1リットル入りのコーヒーの紙パックを束ねると10を超えていて、
次こそは1日に2〜3杯にしようって思うんだけど止まらなかった。
根雪のように深く、体の芯に疲れが横たわっているなあ、と実感していた。
深い話ができる同僚にはカラダがしんどいと漏らしていた記憶がある。
でも、「夏に負けたんよ」とかなんとか茶化していた。
7月の半ばくらいかな、子どもたちが寝た後に
おくさんとアイスクリームを食べながら話しをしていた。
最初は、年老いた両親がふたりだけで暮らしているぼくの実家をどうするか、
Uターンするべきかどうかなんて話をしていたんだけど
今後どんなふうにお仕事していきたいかというお互いの話になり、そこから最近のぼくのお仕事の様子にも及んだ。
毎日がきゅうくつでならない、
そんな表現でいまの仕事を辞めたいとうちあけた。
自分や家族の人生のために仕事をしているはずなのに、仕事のすきまにプライベートがはさまっているような気がして、でも仕事と育児でいっぱいいっぱいになっていて、もうにっちもさっちもいっていない、と。
しんどかったら辞めていい、おくさんからそんな答えをもらった。
そして、その前に一度、心療内科に行ってきてほしい、とも。
7月25日月曜日、毎朝通っているコンビニで、何をしたらいいか分からなくなった。
何を買いに来たのかを忘れたということではなくて、ここってなんだっけ?って頭が真っ白になった。
この週、道路を横断しようとして、2回、車に接触しかけた。
それでも心療内科には行かなかった。
気を付けて休養をとっていけば大丈夫みたいに思っていたのかな。
そのあと、ずっと水の中にいるようで、
自分が話している声がとても遠くに聞こえるし
息をつめて目を凝らすように文脈を追わないと
みんなが話している内容がつかめない。
次の週、8月2日火曜日の午後、やっと心療内科に行った。
その午前の打ち合わせでは、
自分の言っていることが通じているかを後輩に何度も確認した。
受診してみるとすぐに休むように診断書をもらったが、
何を思ったのか翌日の8月3日もまた朝から仕事し始めた。
でもやはりしんどくて、
15時からの打ち合わせは欠席させて欲しいと後輩に連絡した。
それが同僚と連絡をとった最後だった。
これで休むことにするね、
一緒にリモートワークしていたおくさんに伝えた。
夕方、いつもなら保育園へお迎えに行く時間になったけど
ごめんね、横にならせて欲しいとおくさんにお願いした。
寝室にいると、子どもたちが帰ってきてごはんを食べてる、
そしてお風呂に入っている、そんな気配が伝わってくる。
寝る時間になって子どもたちがベッドに来た。
そしていつものようにスヤスヤと寝入った。
ああ、そういえばこの日、次女は家にいたんだ。
なんでだっけ、体調を崩して保育園を休んでいたんだ。
夕方、リビングで横になっていたとき、
当時1歳になったばかりの幼い小さな次女がくっついてきた。
その手を握ってるとね、涙がこぼれたよ。
夜に、おくさんからぼくの上司に電話してもらった。
ベッドにいるぼくに、その声もなんとなく聞こえてくる。
翌8月4日、最寄り駅まで来てくれた上司に
奥さんから診断書を預けて、人事担当と休職の手続きをしてもらうことになった。
その日から毎日、自分のためだけの時間をとることに努めた。
あのまま休まずに仕事することもできたんだろうな。
みんなから、あいつなんか変だなと思われたり、いろいろなことのネックとなったりしつつも、なんとか毎日をこなしていくことはできたんだろう。
例えるなら、自転車はどんなにふらふらでよろよろであっても
走ってさえいれば倒れることはない。引き倒さない限り、止まりはしない。
誰かに引き倒してもらわないと止まれなかった、というのがあのときのぼくに近い。
ぼくはおくさんに引き倒してもらった。
とても優しくだけどね。
本当に休んでよかった。いまだから思える。
復職した今、同僚が休職したと聞くと
この上ない素晴らしい選択だと賞賛したくなるほどだ。ぜひしっかり休養して有意義な時間を過ごして欲しいと思える。
そう、8月4日から
毎日毎日、自分のことを考えて過ごし始めた。
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ここまで読んでくれてありがとうございます。
これからこんなふうに続けていこうと思っています。
よければお付き合いください。
・(1)はじめに
・(2)診断・休職まで(この記事)
・(3)休職のはじまり:しんどいよりも、痛くて重い
・(4)休職のはじまり:感情・思考の記録と、仕事・職場への思い
・(5)休職のはじまり:ぼくの前にも後ろにも
・(6)お仕事でのたくさんのコンフリクトたち
・(7)仕事とプライベートのコンフリクト、だけではなかった
・(8)休職期間中に学んだこと・発火したこと
・(9)最後に