私を作ってきたのかもしれない言葉|「恋愛寫眞―もうひとつの物語」市川拓司
中学生の頃、
朝の読書の時間に読んだ小説
市川拓司の「恋愛寫眞」。
映画も何度も見て、
主題歌も何度も聴いて
大好きな作品でした。
長い年月忘れてたくせに
なぜか、最近よく思い出します。
思い出として心の奥底に眠っていました。
当時、全く理解できませんでした。
「好きな人の好きな人って
ライバルだよね?」
「きれいごとじゃん」
中学生の私は、この感情以外に
何も感じられなかったのです。
謎、はてなでした。
けれど、あれから20年。
今なら理解できるような感覚があります。
「好きな人の好きな人
それも好きな人のアイデンティティ」
「彼をもっと理解したい」
「ありのままを受け入れたい」
彼女は、外側での欲望ではなく
内側での欲望を優先することで
好きな人の見ている世界をも愛したのかも。
そうか、深い愛情の形だったのか、と。
過去から現在、そしておそらく未来でも、
この言葉は、私の愛情の価値観の指標のようなものなのかもしれません。
そしてそれを今思い出すということは、
過去の私が今の私に
伝えたいことがあるのかもしれない。
時を超え、もう一度しっかり
読み直すべきなのかもと感じました。
この物語では、愛情の形についてを
考えさせられるのかもしれません。
愛情について考えたい方へ
是非おすすめします。
(この記事は2023.7.31 執筆のリライトです)