セーヌ川さんぽ! 〈印象派画家の散歩みち〉 続!! ②ピサロの散歩みち
前回、志し半ばで途中断念した散歩みち。
今回は道に迷わないようきちんと事前調査し、地図も指差し確認OK。
最終地点は、あの!「マルリの水道橋」でした。
こちらは全行程の地図。
そしてこちらは、今日歩く残り半分。
♪A地点からB地点まで、行くあ〜いだに
ざっと7枚の案内板が有る予定。
さて、今回は何枚ゲット👍できるのでしょ〜か!?
まずこのA地点、今となっては家からやや遠いんです。
またひとり上り坂とぼとぼ歩くのイヤだし、元々同じ道を何度も通るの好きじゃないんです。
そこで、元祖乗り鉄グッドアイディア🤩
マルリ・ル・ロワの駅から、ひと駅列車に乗ってワープ!これで、あのマルリ陸橋も体験できる!
ルヴシエンヌ駅で降りて反対側から、水道橋を目指せば知らない町も初体験! 一石三鳥です。
ということで、張り切って国鉄マルリ駅へGO!
しかも運良く列車スグ来た。駆け込み乗車でーす。
息もつかずに、ハイどーぞ。
列車中からのサービスショット。マルリ陸橋通過中。
きゃ、でもあっという間。反対側撮るヒマもなし。
そしてすぐにルヴシエンヌ到着。
ステキな公園発見。ヘッダー写真のように静寂で誰も居らず。ひえー、素敵すぎ😍
間違わないよう地図を見ながら、でも自分から迷い込む。
ちょうど3時の教会の鐘。
昔から、小径マニアの私は、地図に出ていないこういう小さい抜け道など見つけると、魔法に引きずり込まれるようにすーっとそちらへ吸い込まれてしまうクセがあります。
前世はネコか。
こじんまりした町の中心はまだVillage"村"の面影が。
とってもかわいい町並なんですが、私には水道橋を目指す、という使命が。先を急げ。
ジャジャジャジャーン🧞♀️
懐かしのマルリ水道橋、再び♥
夢にまで見るほど、キミに会いたかったよ。
今でも小さなブドウ畑が残っていました。ワインも作ってるのかな。
この後いよいよ本日のメイン。大きな車道を外れて他の村へ入っていきます。
しばらく歩くと...
よっしゃ! 今回出足よろし。一枚目ゲット👍
カミーユ・ピサロの1872年の作品で、「ヴォワザン村の入口」。
こちらはそれほど大幅に変わっていないようですね。
ここで先程列車で通ったと思われる線路を渡ります。
ステキな手すり。これも当時の鉄作品ですかね。
どこかで見た竹垣の技術を思い出します。
それを渡ってスグ!
二枚目ゲット👍いやん♥今日はすぐいっちゃうかしら。
アルフレッド・シスレーの「マルリの水道橋」、1874年の作品です。
しかし、木が生い茂り過ぎていてせっかくの水道橋見えず。最後のフィニッシュを見届けることができませんでした。残念ー。
車道と並行してて危ないしな。
前進しましょう。
先程のピサロの絵の突き当り奥を左に曲がるとすぐにありました。
三枚目ゲット👍なんか調子良すぎー。
こちら再びピサロの描いた「ルヴシエンヌ、村の通り」。1871年の作品。
そして、現在の様子。ほぼ変わっておりませんね。
ということはあの右側のお家は既に当時から、いやきっともっと前からあったと思われます。
既に上の絵の中でも古さを醸し出していますからね。
それからもう1ポイント。
大きい車道に戻って来ました。
とても良い香りの藤の花の下に!
四枚目ゲット👍
こちらはオーギュスト・ルノワールが1895年に描いた「ヴェルサイユへの道」。
特に変哲のない、とても大きいトラックの通り道なんですけどね。
この辺の道は確かに全てヴェルサイユを向かっているかもしれません。
先程の大通りからずっと左手に続くこのお城、現在は毎年初夏に行われるテニスのローラン・ギャロスを見る方にはお馴染みの銀行BNP PARIBASの研修所。広大な敷地です。
(ちなみにローラン・ギャロス、今年はいつも通り5月24日〜6月13日に開催予定)
その後はまた村を通ってラストを目指します。
このゆるい坂を下りきった右手、ここも広大なお城のようですが、個人のお家。
ところで、この門柱前にある緑のニ本柱、何かご存知ですか?
これは、馬車時代に大きな車輪で曲がる時に、門柱を痛めることのないように置いた保護石です。私の腰骨位の高さ。
その門の前のお家、何やら古そう。只今改装中で、よく見ると公団が買取り工事が進められているので、そのうち貸し出すのでしょう。
よく見ると、二階の二つの窓の間に小さなプレート。
「ここは、1787年建立の旧薬局」とのこと。
と言う事は先程のピサロの「ルヴシエンヌ、村の通り」にあった家も同じ頃建ったのではないかと推測。
その斜向かいには小さな公園。
奥にジャンヌ・ダルクと思わしき少女像。但し両腕切断されてますー。
時々、パリでも腕、脚、頭などが切断されたままの銅像が残っているんですが、これは1789年のフランス革命で民衆が、王家と教会を敵としてバッサバッサと切っていった名残ですね。
ということはこの町はフランス革命前からかなり栄えていた、と考えられます。
一応ジャンヌ像の後ろまで回ってチェックしてみましたが、年号は見当たりませんでした。
こんな大きなお屋敷が続き、
次に見えて来たのが、これまたすんばらしいお城🤩
地図を見ると"デュバリー夫人の城"となっております。
な〜んだ、ここも城下町。確かにロワイヤルな香りが。
ルイ15世の公妾にしてパリ司令官の愛人だった方。
果たして、その美貌とは!?
このヒトっ!!
(残念ながら私は余り漫画を知らないんですが...)
とにかく絶世の美女で世渡り上手であったようですね。
ルイ15世大好物のカリフラワーを使ったポタージュが、"クレーム・ド・バリー"として現在まで彼女の名を残しているようです。
但し革命で、やはりギロチンにかけられてます。
この後は、地図を見てもほとんど道がありませんので、城の庭園であると。
でも、散歩みちの案内板があと二つあるとのこと。
余りにも素敵なお家に導かれ少し脇道を入ると、
ルノワールの住んでいた家、発見。入口脇にプレート有り。
二階建てですが、屋根裏があって相当狭いのでしょう。窓の所に引っ越し用の滑車が取り付けられています。
ここには作曲家のクルト・ヴァイルも住んでいたようです。
もう少し奥のお屋敷には、指揮者シャルル・ミュンシュが住んでいたとのこと。
そして先程の道へ戻ってくると、五枚目ゲット👍
シスレーの描いた「ラ・マシーンへの道」1873年の作品。
こちらもほとんど変わりなし。
この道をまっすぐ行くと何やら橋のようなものが。
ただ、この通りにもう一枚あるはずが何度行ったり来たりしても見当たらず。
仕方ないか...コンプリートならず😢
どうやら今は芝生だらけになっているとこが川だったようにも見えます。
おやおや、こんな土管のような物が。
でも今は使われて居らず、コンクリ栓がしてあります。
わわわわ〜〜...
これはまたまたスゴイものを見つけてしまった、かも!!
地図を見るとこの後はもう一本道でバス通りに繋がっているはず。
確かさっきの絵も、「ラ・マシーンへの道」。
さて、ラ・マシーンとは?
1680年に4年をかけて完成した、巨大揚水装置のことで、セーヌ川の水を汲み上げ、直径12mの水車14輪、200のポンプ群からなる装置。高さ155mのマルリーの丘まで運び、そこから先に見た水道橋まで運んでいたもの。その後は、マルリー宮やヴェルサイユ宮殿まで。
当時は「世界第8の驚異」とも言われていたらしい。
その他7つは未だ不明。
何故か音声はありませんが、当時の機械の動きが解る動画を見つけました。
どうです? 驚異ですよな。
しかし、技術的欠点も多く、能力、耐久性でも不十分があり、1713年頃から衰退、1817年には解体されるに至りました。
こちらがその鉄管の一部ですが草ボーボー。
せっかくなので、またとない機会。
その驚異の一部を触らせて頂きました。
でっかいー♥
これでだいぶ満足したので、下山を急ぎたいと思います。
鉄管すぐ脇の沢のような道か、舗装された道かの選択が可能だったので、ちょっと沢行きたかったけど、舗装道から。
そして!
しばらく歩くと、素晴らしい眺望が。
中央のビル群がビジネスパーク、ラ・デファンス地区。それを超えるとシャンゼリゼです。
高層階制限があるのでビルが少なく、遠くまでよく見えますね。
やはりお城は高台に造るべし。
戦闘用の矢を打つ穴も城壁に残ってます。
いや〜、今日はこのルートにして大正解だったなー。
逆だったらいきなり死にそうだもんなー。
と楽々下りていると、うわ♥廃墟。
ちょっとペルーのマチュピチュに行った時の事を思い出す。若かりし頃。
更に、予定外の案内板!?
聞いてないよー。
シスレーの「マルリの高台」、1873年。
ま、いっか。一つ足りなかった分。ゲット👍
この案内板を見ると、ここに鍛冶屋があった、と。またか。こんな高い所に。
そして今の道はこんなです。
やったね!
なんだかんだでミッション・コンプリート💪
水道局ベンチマークもチェック。
OKでーす。
わー、やっと終点!
下から見た様子。鉄管上って行ってます。
今もちゃんと水道局の管理下ですね。
川の方に残る装置の一部。
おぉ、なんと美しいセーヌよ🥰
ワチキも嬉しいゼヨ。
時刻はなんと6時半。
はよ帰らんと。
流石にこの後はバスでピューっと、ものの5分でお家に到着。
大変お疲れ様でした😚
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