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【メモれ!メモリーズ】シンガポールで水墨画


27。もしかするとこれは私の運命的番号。
やっとこ帰国し、連れて来られたホテルの部屋が27階。普段ヨーロッパの低い建物に慣れている私には、久々にアジアンパワーをバーンと叩きつけられるようなこの高さ。
でもなかなか眺めはよろしくて、あんみつ姫の如くミニチュアのように働いている日本のサラリーマン方や、かわいい旧式レトロ路線バス、昭和初期の重厚建築や時計台、野球はよくわからないけれど、あれはきっとスタジアム等を上から眺め。
それにまたなんときっちりまっすぐな駐車場の車の停め方! まず線がきっちり書いてあるところもさすが(しかも停めてはいけないところに斜線入り!)。道路も碁盤の目で綺麗に整備されている、これは(私の中では)新しい街。
やや遠くには船にお知らせ、"ワタシはココよ"と光る高い塔。そしてその先が海。もう少し左に目をやると、居た!港のキリンさんたち🦒
これは貨物船からコンテナを下ろす時に使うガントリークレーン。
♪コレを見ると思い出す〜

なんかこのカンジ、私が以前3年程居たシンガポールによく似ている。
東京23区ほどの小さな島。南沿岸に近い辺りのコンドミニアムの部屋も27階。
ちなみに従姉妹の誕生日が2月7日。私は4月7日。結婚したのも27歳だった。



その27階の部屋も距離的にはここから港までとあまり変わらず、目の前に公団住宅が林立してはいたものの、海も見え、遥か地平線奥に見渡せた向かい側のインドネシアの島。
二毛作の焼き畑の季節になって、インドネシアからの煙がモクモクとやって来ると、緊急事態宣言。

「スコールの後。2012年11月」のサイン。

その頃、部屋から眺めた夜景をスケッチ。
暑かった一日の熱を拭い去るように降ったスコールが、遠くの見晴らしを良くしたところを鉛筆描き。

その当時のある一日の様子を書いた記事がこちら。

今と似たように大した用事もない私は、いつでも涼しい図書館へ。
そこで出会った一冊の画集。
パラパラ見ていると、
「あ、コレってお札にある絵とおんなじだ。」


50SGD(シンガポールドル)の裏に描いてあった絵が画集に。

こちら、真中の赤いインクで印刷されている
ブドウの木に囲まれる2匹のサル」。
画家は、チェン・ウェン・シー(Chen Wen Hsi)。


そしてもう一枚、上の絵すぐ右側にオレンジのインクで印刷された
塩漬け魚の乾燥」。
画家は、チョン・スー・ピェン(Cheong Soo Pieng)。


上の、毛のフサフサ感と古典的水墨画のタッチ、そして下の細長い手足と胴、アーモンド型の顔と目が特徴的で、繊細な線で描かれた土地の人達の日常風景。

🤩 えー! 運命の出会い〜 

50ドル札に描かれているってことは、これがシンガポール絵画界のビッグ2! 間違いなし。
他にも数名のローカル色強い絵画群。
ん〜、コヤツら...

最後に載っている画家の経歴を見ると、ほぼ全員が同じ学校の卒業生、または講師陣。
そしてその学校の名前が、Nangyang Academy of Fine Arts(南洋芸術アカデミー)、略してNAFA。

家に帰って早速検索。
『1938年開校。この国に2つある芸術学校の一つで、美術、音楽、舞踊の3学部。マレーシア、インドネシアからの留学生多し。』
ほー、由緒正しいカンジ。
『来年度入校希望者受付は11月末日まで。』
あ〜、シンガポールは1月が新年度。
え!? 締切りまであと3週間!?
これは、これは! 呼ばれてる!? 行くべし? 行かなきゃでしょー😆

早速次の日、学校見学。うちからバスで15分位の中心街、国立図書館のすぐそば。良いロケーション。しかも授業料めちゃ安! フランスにいたら絶対出来ないし。
でもさ、娘ちゃんどーしよ。生まれて8ヶ月で連れて行ったんで、その頃まだ16ヶ月のべべちゃん👶🏻

戻ってきて、このコンドに来てから偶然知り合ったサンフランシスコ出身のライターママ、旦那が台湾系のフランチェスカにご報告。
「行きなさいよ! そんな幸運二度とない!」
え! さすが大げさアメリカン。そんなビッグチャンスかなー。
でも、べべちゃんどーしよ。
「メイドちゃん頼めば? めちゃ楽よ。だって、アナタ学生やるって事でしょ? 夜だってシンガポール・バイ・ナイト楽しめるし。」
彼女のとこにはフィリピン人のメイドちゃんが居ていかにも、ボスって感じで色々頼んでるけど。いや、でもどーも日本人的には私仕事してる訳でもないのにメイドちゃんなんて、遠慮しちゃう。
「じゃ、保育園だね。そう言えば、線路の反対側にある公団住宅の中に一軒新しいの出来て、家の息子ちゃん用に目付けてたの。聞いてみれば?」

次の朝買い物ついでにダメ元で寄った保育園。
「18ヶ月からの幼児クラスはいっぱいですね。」
やっぱり。
「だけど、私、メイドさん居ないんですよ!
でも学校に行きたいんです!
それにフランスから来てて助けてもらう家族もいないし!
(とフランス式自己正当化ブーブー攻撃+中華系大家族には不幸の一つとして映る核家族の主張)」
すると、園長先生。
「だったら、料金は少し高いけれどすぐにべべちゃんばかりの乳児クラスに入れてしまえば、来年への持ち上がりって事で幼児クラスも継続できますよ。」
え! やっぱりそんな裏技有り。
やってみるもんだねー。フランス式。
シンガポールの産休は前後で計3ヶ月のため、生まれて速攻保育園行き。
高くってもいいです。(ヨーロッパ感覚じゃ全然高くない) どうせ一ヶ月位の慣らし期間だと思えば。

次の日ベビーカー押しながら学校への入学手続きを終え、その足で保育園へ。
一緒に半日過ごすが、泣くでもなく、嫌がるでもなく、お昼寝までしっかりしているので、
「では、また明日〜👋」
一件落着🌸

そしてめでたくシンガポールで画学生🙌
NAFAの美術学部中国画科。
但し本科ではなくパートタイムで週4時間。
ここで一番嬉しかったのは、授業はもちろん、やっぱり図書館! 中国本土からのお宝のような画集がザックザク。ここに泊まっちゃいたいー。
授業は英語でしたが、漢字が読める日本人は、若いシンガポール人が読めない資料もなんとなく読めるのでラッキー。

元々古典的な中国画は上海や北京の画学校で教えられていましたが、文化大革命の影響などで、その技術を持って'40s~'60sにシンガポールへ移民してきた人がたくさん。そのエキゾチックな熱帯の風景の斬新さに感化された画家たち。そこへ新たに流れ込んだポスト印象派の影響から出来たのが、シンガポールの新しい『南洋(ナンヤン)スタイル』。
'30s頃から美術から文学にまで及んだ熱帯の光とそのモチーフ、地域や地元の生活を捉えようとするアイディンティティの探求は、1965年のシンガポール独立と共に成熟期へ。
まさに、墨絵と油絵の合成への挑戦。
これは、東南アジアの地理的観点とシンガポール美術史の中でも最も重要な時期。
そしてテーマはしばしば熱帯の植物、バティック生地の元にもなる花や鳥、カンポンと呼ばれる村の様子など。

上に上げた二人の画家に、あと二人のビッグを加えると、これまた中国人好みの巨匠四頭龍

チェン・ウエン・シー
・チョン・スー・ピエン
・リュー・カン
・チェン・チョン・スゥイ

こちらは、リュー・カンの「河岸の生活」。

シンガポール独立は1965年ですが、これは昔ながらマラヤ時代からのカンポン。

そしてこちらは、チェン・チョン・スゥイの「往年慕情」。

バティックで作った民族衣装のサロン・ケバヤを着た女性。
少し前まではシンガポールエアラインの女性乗務員の制服にも。私は以前これを着て歩いていたら、乗務員だと間違われたっ😅


そして、私が勉強したプログラムはこちら。
古典では写生は少なく、徹底的に定形の筆さばきを練習。

一乃道) まず中国画の基本は四君子

・梅 - 春
・竹 - 夏
・菊 - 秋
・蘭 - 冬

ここでほとんどの筆さばきと季節感をゲット👍
単独で描けば季節感を、4種盛りにすれば宇宙感や哲学までも表現。


ニ乃道) 花鳥、虫、魚

古典に加え、南洋ではブーゲンビリア等のトロピカルフラワーも有り。
虫は蜂や蝶、トンボなど。魚は金魚や鯉。
こちらは牡丹。



三乃道) 山水

松、石、木など自然の物。
これまでの集大成になる、中国画で最も醍醐味のあるジャンル。


四乃道) 十二支

ここで全ての動物登場。
(ちなみに十二支に入らない猫とパンダは古典ではほぼ出てこない)
「ネズミと柘榴」で子宝、子孫繁栄。


「ニワトリとヒヨコ」

雄鶏は、それだけの巨匠が居るほど重要な題材。

五乃道) 人物、百仙

題材には故事も多い。

これはズル賢い猿が長寿の象徴である桃を仙人にねだるシーン。



シンガポールと言うと、貿易、交通、金融に強く、教育も医療もレベルが高いという面が話題になりがちですが、もっとゆったりとした文化の面でもとても興味深い国なのです。


これは私がクリスマスカードにして送った友人が、最近になって、
「そう言えば、コレ覚えてる?」
と言って送ってきた写真。
全然忘れてたー!!



見事に南洋スタイル😆



ご紹介した絵は私の描いたものの一部。
また何かの機会がありましたら、メモリーズをメモっちゃいます!


それではまた。




メモれ! ワタシのメモリーズ。







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