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パリさんぽ! #33 〜 大スキ! フェラ・クティ!

ひっさびさのパリさんぽ!
姐さん実はパリ在住でなくて、東京在住なんじゃないかと思われてしまうほど、パリの記事より東京の記事のほうが多いこの頃でした。
そして今日6月21日夏至の日は、おフランス『音楽の祭典(フェット・ドゥ・ラ・ミュジク)』の日。

パリでお仕事、ヴァカンスは東京で、みたいなことになっていますが、最近はパリもさんぽすると言うより、展覧会で息抜きってパターンが多いようです。

今回は、パリ音楽博物館、シテ・ドゥ・ラ・ミュジクで開催中のミュージシャンの展覧会。
『大スキ! フェラ!』
と大きな声で言っちゃいましょう。
とうとう姐さんご乱心か、と心配なさってくれた方、もう少し姐さんの過去記事を掘り下げてみてください。
きたきた姐さん絶好調、と身を乗り出してくれた方、お待ちかねのさんぽですん。あはん♥

今回は、パリの北東に位置するラ・ヴィレットという地区。

〈本日のMAP〉

画面右上、赤い印の所。
パリ市の一番端っこです。

ミッテラン政権下のパリ再計画の一環で、この広大な緑の敷地に、パリ国立高等音楽舞踊学校(いわゆるコンセルヴァトワール)、コンサートホール、劇場、科学博物館、大展示場等が造られました。

左に見える鉄製の「ラ・グランド・アール」はかつての牛市場で、1974年までは食肉処理場(屠殺場)として使われていた場所。

wikipediaより。
1867年頃。
汽車に乗ってやってくるのはきっと牛くんたち。
♪ドナドナド〜ナド〜ナ🐮
今はメトロで姐さんを連れてくる…
wikipediaより。
こちらが1900年頃の様子。


現在は『ツタンカーメン展』開催中。
そのすぐ右の劇場は魚市場跡。セリが行われていたことでしょう。

並木の後ろは、パリ管弦楽団のシン・本拠地として用意されたコンサートホール、2015年に建てられたフィルハーモニー
こちらの設計は、かのジャン・ヌーヴェル。
2012年に汐留の電通本社ビルも手掛けております。




そして音響はコンサートホールの最高峰、サントリーホールや東京芸術劇場と同じ、永田音楽設計が手掛けておりますね。

ちと手前に見える大きな噴水は、かつて牛市場があった頃、牛くんたちの水飲み場として活躍していたものを保存。
一番右、1995年創立のシテ・ドゥ・ラ・ミュジクには、コンサートホール、ガムラン教室、楽器博物館と展覧会場。
姐さんはかつてここのコンセルヴァトワールで、2年ぐらい西洋音楽史のクラスに通っておりましたので、中身は手に取るようによく存じております。
今回の展覧会もここで開催中。

とこれを書いている時に流れてきたニュースに、ちょうどフィルハーモニーの話題が。
2021年から、このパリ管弦楽団の指揮者兼音楽監督に就任した、クラウス・マケラ。フィンランド出身の若干27歳。

なかなかのフォトジェニック。
絵に描きたいん。
2022年には日本行きも果たしてますね。

お得意は、ロシア音楽と愛国心のシベリウス。
姐さんとお好みとお合いしそうで、俄然注目😆
是非一度熱いコンサートでお会いしたい♥

てなこと言ってますが、本日はフェラ!

いってきまっしゅ!
この日は終幕一日前のギリセーフ。
どこぞにもいらっしゃいましたね。
すぐに脱ぎたがる方。
フェラ神図。
このポーズも神業です。
さてその神はどこの国に現れたかというと、
ちゃんとあってもナイジェリア
ついでに言わせて頂けりゃ、
どこにもなくてもアルジェリア。
お粗末っ。
フェラが居たのは旧首都ラゴスでごわす。
人口一極集中型と生活環境の悪化から1991年に首都移動!
現在この国の首都は国土の中央アブジャなのじゃ。
この経緯はちとブラジルにも似ておるな。
でも急に首都移動ってスゴいエネルギー。
そこまで来るのにも歴史ってのがありますからね。
ということは、今となってはこのラゴスでの出来事は
みな夢のような昔話でございますん。

フェラは、1938年生まれ。
16歳から歌い始め、1958年に英国トリニティ大学に留学後バンド結成。

1960年にナイジェリアが英国から独立。
1963年、帰国後本格的に音楽活動開始。

活発なライブ活動の中からアフロビートを確立。
ライブをそのままアルバムに。

アフロビートとは?
ファンクやジャズの流れを汲むアフリカ音楽。
パーカッションの多いブラスバンド編成が特徴。

そこに加わるアフリカ黒人開放運動に、ブラックパワー、ブラックパンサーが加わり、政治的歌詞と開放へのエネルギーを表した力強いサウンドへと昇華していく。

1970年代には、アフリカ'70を結成。


1972年 『Lady』。

アフリカ黒人開放運動の真っ只中。
自らのライブハウスで夜な夜な繰り広げられた夢の饗宴。
その力強いサウンドは、政治的歌詞と開放へのエネルギーをびんびん感じます。



1977年発表の『Sorrow Tears and Blood』は、そんな気分ダダ漏れの一曲。
YouTubeでさえ見られるかどうかわかりません。
当時のナイジェリアの様子が手に取るようにわかりますので、興味のある方は是非♪

1980年代には、エジプト'80を。

1989年 『Beasts of No Nation』
70年代の必死さが余裕に変わってきたフェラのステージ。脱ぎっぷりは変わらず。あはん♥

そしてオーダーメイドであろう衣装の数々が一気に公開。
同じ型のスーツに様々な刺繍等が施された一点モノ。あはん♥

さあ、アナタはどれがお好み?

しかも奥様は27人♥
キレイどころがズラリ。同時に彼女らはフェラのバンドのコーラス&ダンサーですん。

まさに『ブラック・プレジダント』というあだ名がぴったり。

そんな彼らの暮らしっぷり。

息子の一人で、アフロビートの後継者フェミ・クティは語る。

『いやぁ、パパクティがいた頃は大変だった。子供だったしね。
毎日一日が始まるのは午後3時くらいからだった。夕方になるとみんなでライブハウスへ繰り出して音楽の演奏が始まるんだ。そしてやっと終わるのは明け方近くさ。ハハハハッ。』

wikipediaより
フェミ・クティは楽器の単一音循環呼吸法
(いわゆる一気)のギネス世界記録保持者。
最高記録51分35秒!
スゴッ😆

おめかししてるときもあるんだっ手羽!
でもこの親子、よく似てらっしゃる。

あれ?

おパンツ一丁🩲、暑いんだっ手羽!

おうち時間はいつだっておパンツだけで🩲
あらあらここでも。

え〜い、めんどくせぃ!
十把一絡げで飾っておしまいっ。
じゃん🤩

自慢げなおパンツくんたち

きゃうん♥
ピンクのゾウさんだゾウ🐘
こちらもオーダーメイドね。
だけどおパンツまで公開したアーティストって、姐さんが知る限りフェラが初めて。
いやん♥


ってことで、レコードジャケットもおパンツ一丁じゃ🩲


そして末息子のセウン・クティも後継者。

こちらお子ちゃま時代のセウンくん。
きゃわゆいん。
wikipediaより
大きくなって似てらっしゃるけど、幸い脱ぎグセや
おパンツ一丁グセは後継しなかったご様子。ほっ。


コラージュ的ジャケットも姐さん好み♥

色々あってね、お家も炎上されたりしちゃったのよね。


1978年のベルリンコンサートは、ヨーロッパにたくさんのファンを作るきっかけに。

あはん♥


この衣装着とる!


このコンサートはレジェンドとして残されております。


そして日本にも来ておりましたよ。

録音したレコードは50枚以上。

今ならめちゃ高価かも。
泣いて欲しがる方がいるのでは!?


そんなフェラも1997年、58才にてエイズの合併症にて永眠。

だけどフェラの音楽はいつだってそばに。

今回は没後25周年の記念的展覧会となりました。


大好き!フェラ!



そして今回フェラTげっちん💪でみなさんお待ちかねの久々Tシャツショット!





きゃうん♥


















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