どうやっても靴擦れする
とにかく自分が情けなかった。嫌というほど自分自身が最低なことを再認識した。
封筒に入れられたお金とたった二文だけの手紙。母にごめんなさいと言わせてしまったことがあまりにつらくて情けなくて最低で、前日入りした寮の自室でずっと泣いていた。
口では言えないから、けじめのつもりだったのかもしれない。これでチャラね、今からまた仲良くしようね、という意味だったのかもしれない。けれど、そう汲み取るには言葉が足りなすぎた。
ごめんなさいと言わせるくらいなら実家を離れる決断なんてしなければよかった、と思ってしまう瞬間もあって、そんな風に考える自分も嫌だった。もうどうにもならないとわかっていた。何をどうしてもしなくても私は今自分のことをまた嫌いになったのだ。
初日の入社式、配属が発表された。まだ大阪の可能性もある、と半分思いながら、同時に半分諦めていた。東京志望で出したんだから今更無理だろ、って。封筒の中に入った通知書には諦めた通り東京の勤務地が記載されていた。喜ぶことも泣き喚くこともせずに通知書を中へ戻した。その後のお偉いさんの講義でも帰り道の電車でも涙を堪えるのに必死になっていた。講義どころではなかった。上を向いて歩いたとて涙はいつか流れる。
大阪と違って避ける素振りもなく平気でぶつかってくる人が多いし、通勤時間の満員電車は酷く非効率な気がした。初日だからこれと言って何かしたわけでもないのに、慣れないヒールも相まって帰る頃には疲弊していた。絆創膏を貼ったにも関わらず右足の人差し指は皮がむけてしまっていた。
部屋に帰ってきてまた泣いた。もうどうして泣いているのかよくわからなかった。寂しさとか下手な絶望感とかが入り混じっていて、でも結局はやっぱり情けないからだった。父から配属先はどこだったかとLINEで訊かれて返信したら涙が溢れて止まらなくなった。
情けない。散々贅沢に生きさせてもらったのに、親に謝らせて、自分の選択に責任さえ持てない。
ぐしゃぐしゃに泣いてInstagramのストーリーで「励ましの手紙をください」と質問箱を流した。予想もしなかったくらい多くの友人や先輩後輩が言葉を送ってくれて、予想もしなかったくらい長文でメッセージをくれた友人もいた。それを見てまた少し泣いた。
そうだ、もう、前を向くしかないんだ。
家族も友人もみんなみんな背中を押してくれた。
私はいつか前を向かなきゃ行けない。前を向くしかない。
東京の街並みも人混みもとりわけ好きってわけじゃないけれど、私の心はどうやったって靴擦れのように擦れていってしまうけれど、
ここからが人生じゃないか。
愛おしい街並みが、愛おしい景色が、愛おしい人との出逢いが、きっと見つかる。
私の心は、きっともうそろそろ泣き止むべきだ。
愛おしさと出逢う旅
私の人生も、第2フェーズへ。