手を振れば金木犀
私は面倒な人間なので、飲食店で好きなアーティストの曲が流れると嬉しい気持ちと一緒に「流し聴くような曲じゃないんだ、この曲は」なんて生意気に思ってしまい、アーティストが望んでもない慢心で生きていることを反省する。
苦しくなると同じ曲をずっと流し聴いて逃げている私が言えることなんて何にもなくて、そもそも私はどこから逃げているのだろう。昨日もぐずぐず泣いた夜の最中で、二時まで同じ音楽を聴いた。約二時間。狂っていると理解していながら、それがやめられることはなかった。
苦しくなったのは夜で、無理やりで眠りについて、なんとか朝になってPCを開いて仕事をする。ずっと力の入らない、スイッチをオフにされてしまったような、コンセントを抜かれてしまったような、言葉ではなんとでも言えるけど心はそこにはなくて、あれ、それって私の恋愛記録にないよね、そんな酷いこと、してないよね。仕事を終えて布団に寝転んだ瞬間私は綺麗に孤独の形を受け取ってまた涙をこぼしてしまった。情けないな、情けないな、こんなに誰もいないと思ってしまうことが、すごく情けなかった。寂しいなんて、当たり前じゃないか。なのに、それなのに。
noteにいると、自分が自分であることを認められているような気がして安心する。別に誰にも認められてるわけではないし、ここにいる自分が本当の自分かどうかなんてわからなくても、だ。
貴方が宇宙を目指した理由、今なら少しだけわかるような気がするんだ。飽くなき創造への探究心が見せるものなんて、光だけでは形容できなかったのだろう。悲しむ暇も、苦しむ静寂も貴方の中には確かに在り、それだけではない人生をどれだけ強い筆致で描いてきたのだろう。貴方からもらう幸せが、私はいつだって少しだけ怖い。誰かを壊してしまうんじゃないかと思うほどのエネルギーで、貴方はきっと宇宙をも創り出すのだろう。
金木犀が咲いた。やっと、ひらいた。