春の紫陽花
白い紫陽花の花言葉は「ひたむきな愛情」らしい。
この一週間、気持ち悪いぐらい両親が優しかった。母は機嫌の悪い日が全然無くて、家事をちっとも手伝わずだらけきった私にも怒らないし、夜ご飯の時間より二、三時間遅く帰っても自分でできるのにわざわざ立ち上がってご飯を温めてくれた。向こうで食べなさいとお菓子やオートミール、使うでしょうと歯ブラシや下着、スーツ用のシャツと、本来自分で揃えるべき物たちも全て買ってくれた。大阪にいる最後の夜、父はご飯を食べに行こうと回転寿司を予約してくれた。旬の蟹や鯛が美味しかった。単三電池が無いなと呟いた次の日には買ってきたものを丸々くれた。書ききれないしもう覚えていないけれど、もっと沢山優しくしてもらった記憶がある。笑ってもらった記憶がある。なんだか本当に、終わるみたいだった。この文章を書きながら私は少しだけ泣いたりしている。
新社会人での変化はきっと「新生活」というよりも「新人生」という感じなのだろう。実際に心はそんな気持ちで。配属が東京になれば暫く家には戻らない。聞かれない限り話さないから、父は未だそれを知らないような雰囲気だった。
配属希望の面談をした時、悩みに悩んで東京にした。きっと東京になればお金もない、部屋も狭くて、別に丸の内のOLになれるわけでもない。それでも私は大好きで大切な彼に会いたくて、全てを投げ打ってでも逢いたくて、この想いを運命にしたくて、そうやって東京に行こうと決めたじゃないか。夢があるから一人暮らしをしようって、決めたじゃないか。
せいせいしたかった。優しくしないでほしかった。父や母の言動に腹が立つ度に「東京に行くんだ」と強く思えていた。それが今はどうだろうか、やけに感慨深くなるばかりで。
最後の一週間くらい出かける予定なんて入れるんじゃなかったな、と思った。私が想像するよりきっと両親は寂しいと思ってくれるのだろう、と解ってしまったからだ。
戸惑うくらい、腑抜けてしまうくらい優しくされて、寂しいとかじゃないけど、何故か今も涙を流してる。なんでだろうな、ほんと、なんでなんだろう。
今日、少し早く起きて部屋の片付けをした。掃除機をかけてゴミを捨てに行った。布団は犬がくつろぐ場所として敷いておいた。出る直前まで荷物の整理をしていたら父は最後にお菓子をたくさんくれた。いよいよ出るとなった時犬も含めて家族が玄関まで見送ってくれた、靴を履いている時私の鞄に母はお金の入った封筒を入れていた、「少ししか無いけどね」、昨日大丈夫だって断ったのにな。
私も父も母も笑顔だった、扉が閉まった瞬間涙が溢れた、目の前で泣かなくてよかった。
行きの電車でお母さんに抱きしめられて幸せそうに話す女の子を見た、自分にもかつてあんな時期があったんだろうか、そんな風に思った。
沢山すれ違って傷ついて傷つけて、このまま一緒にいたらお互いがお互いを不幸にしてしまうなと離れることを決意したけれど、それでも二十二年ここまで生きてこられたのは、紛れもなく両親のおかげだ。
最後にもらったいろんな形の「頑張れ」を、ささやかで大きな愛を、忘れないように生きていくよ。これからも、ずっと。
可憐に咲いた春の紫陽花が私を見ている。
ありがとう。私、行ってくるね。
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